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Kyrie

「これで良かったのよね……?」


 私の問いに答えてくれる声はない。

 昇降機の扉の前で、私は暫く放心していた。


 もう、ここには魔女しかいない。

 そしてその魔女も、いずれはここから姿を消す。


 そうして初めて、歪められた時の流れは元に戻るのだ。


 ヒトラーの一番長かった一日は、ヒトラーの死で終わる----。


 ヒトラーが最終兵器を使わなかった世界で、赤軍がベルリンに雪崩れ込む。

 戦勝国は、崩壊しなかった世界で、これからの自国の利益のためにパイの奪い合いをする。


 最終兵器など初めから発動などしなかった----それでいい。

 それが、あるべき世界の姿なのだから。


「モルガナ……」


 私は、ただ無性にモルガナの近くまで戻りたかった。

 

 大剣を引きずるようにしてモルガナ達がいるはずの部屋の中央を目指し、そして倒れてしまう。


「……ッ!」


 床に打ち付けた傷口から、じわりと血が滲むのを辛うじて知覚する。

 目の前には、吸いかけの煙草が一本。


「……やっぱり、味はしないか」


 700年も生きていて初めて口にした煙草は今の自分と同じく空ろな代物でしかなくて、舌先に僅かな苦さだけを残して床に落ちる。


「モルガナ……私、ここにいるよ」


 意識が遠のくのを覚えながら、私はモルガナのいるはずの方向に手を伸ばそうとした。


「貴女は私から何もかも奪った……でも、それで良かったんだと今は思ってる……」


 ワンペアのカード、とあの男は言った。

 そうだ、それが私達だったのだ。


「今更私だけ生き延びても、貴女が灰になってしまったら、私……どうしたらいいか分からなくなると思う……だから……」


 モルガナがいるから、私はあの地下牢で正気を保つことができたのだ。

 モルガナがいたから、私は戦い続けたのだ。


「私、貴女を殺すためだけに生きてきたんだよ……?」


 なのに彼女は私を生かそうとした。


「どうして……?」


 今となってはもう分からない。

 私がモルガナのために生きていたのか、モルガナが私のために生きていたのか。


 憎しみで繋がっていると思っていたのは、私だけだったのだろうか----?


「ねぇ、モルガナ……どうせなら、もう一度だけ繋がって……そして最後まで……私を使い切って……灰に、してよ……」


 私達は、本当はいつから繋がっていたのだろう?

 断ち切られてから初めてそうと分かる繋がりなど、あるのだろうか?


「ねぇ……聞こえてる……?」


 鈍磨した感情のまま生きてきた私が、今更こんな事を思うのは、ただ死が近いせいなのだろうか?


(分からない……もう、何も考えられない……)


 それでも、私は確信できる。

 あの深く暗い森の中で出会うずっと前から、私とモルガナは繋がっていたのだと。


 蝋燭の灯りの中で螺旋階段を降りて来た『はじまりの魔女』は私の手を取り微笑んだではないか----あぁ、また名前が変わったのね、と。


「私、生まれる前から貴女を知っていた……遠い遠い昔から、繋がっていた……そうなんでしょ……?」


 青い薔薇の咲き誇る場所で。

 海風が頬を撫でる美しい浜辺で。


 満天の星空の下で----。


 今とは違う、だけど間違いなく『私』である私の名前を呼ばれた記憶が、幾つも幾つも淡い水彩画のように浮かんでは消えて行く。


 だが、確かめるすべなど今はもうない。

 伸ばそうとした手は、もうピクリとも動かせない。


(……指も動かないのに、涙は止まらないんだ……)


 無様で滑稽な、なんとも『なりそこない』らしい終わり方だ。

 何もできない私に相応しい姿だ。


 私は嗤った。


「あは……ッ……あはは……」


 顔中を濡らしながら私は嗤い続けた。


 掠れた声で嗤い続けた。


 嗤い続けた。

 声が出なくなっても、嗤い続けた。


 全身が冷たくなるまで嗤い続けて、不意に気付く。


(……あれは……歌……?)


 どこからともなく歌が聞こえていた。

 間違いなく、それは歌声だった。


(幻聴……? まぁいいわ……これが幻聴だとしても天使の歌だとしても、いずれにせよ私はここで死ぬのは間違いないみたいだし……)


 死ぬ事自体に今更異論はないけれど、それでも感慨じみたものは胸を過る。


 やり残した事。

 心残りな事。


 閉じた瞼に浮かぶ姿に手を伸ばしても、もう二度と届かない事----。

 

(これも私の運命か……)


 後悔しかないとはいえ、こんな最期なら悪くはない。

 最後の最後が天使の歌で終わるというのは、ちょっと癪ではあるけれど。


(どうしてだろう? この歌、とても懐かしくて……胸が苦しくなる……)

 

 どこまでも透明なのに心の底から引き付けられるような歌声が、私の頭の中を満たしていく。

 誰が歌っていようと、私にはもう関係ない。


 たとえ、ふと疑問が浮かんだとしても----。


(……私、この歌を知ってるような気がする……でも思い出せない……)


 思い出さなくてもいい、ともう一人の私が囁く。

 思い出せ、ともう一人の私が叫んでいる。


 その間にも、まるで水晶の欠片が降り積もるかのような歌声が私を白い世界へと誘っている。


 そして----歌声に導かれたかのごとく、大剣が手から滑り落ちた。

 金属の立てる微かだが鋭い音を、私は他人事のように聞く。


(さようなら、モルガナ……)


 やがて、漆黒のカーテンが私の意識を優しく包み込んで----。


 私の世界は白く塗りつぶされた----。

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