侵食
「ここで起きた事を忘れる!? 何故そんな必要が……!?」
モルガナからの答えはなかった。
その代わりのように「それ」は唐突に始まった。
灼熱の錫のようでいて、真冬の河の氷のように。熱くて冷たいドロドロとしたもの。
それが私の中へ奔流のように流れ込んできた。
「んあッ、な、何……何これ……?」
それはモルガナの『力』だった。
私の供給した『力』を数万倍に増幅させた、もはや暴力としか言えないほどの勢いの『力』が私の中へと逆流してきたのだ。
「ひッ!? と……溶ける……!?」
まるで身体が床へと吸い込まれて行くかのような感覚に舌まで縺れる。
そして私の意識は、腕でも突っ込まれたかのように無秩序に掻き混ぜられ、意識として機能しなくなる。
「ぐ……ッ、うぅ……やだ……何なの、なんで私なのに、私じゃない……みたいに……」
それは、あたかも脳の中を極彩色の蝶の群れが乱舞しているかのような感覚だった。
蝶の黒い翅は赤や黄色、青に緑に金銀の模様に彩られ、そこからキラキラと輝く黒い鱗粉が際限なく降り注ぐ。
(私、私は……私……なのに、何も分からない……)
私の理性が黒い鱗粉に塗れていく。
私の思考の輪郭が消されていく。
(これが、モルガナの本当の『力』だったのか……)
私という名の個の意識が、モルガナのそれと繋がっていくのが分かる。
自我がモルガナのそれに書き換えられていく。
はじまりの魔女に侵食されていく----。
二人の魔女の絶叫がいつしか心地良くすら思えるようになっていた。
愉悦。
狂喜。
己の力で相手を圧倒し、恐怖させ、苦痛を刻み、命を奪うという事は、これほどまでに幸福感を与えてくれるものだったのか。
考えうる限りの悪意が奔流のように流れ込んでくるのを感じながら、私は笑った。
もう、狂っているのが自分でもよく分かっていた。
「あはッ……あはは……あは……あははははははははははッ!!」
そうだ。
これだ。
人間の心を思うがままに嬲り、自我を失わせ、己と同一化させる。
これが、『魔女』なのだ。
狂いながらも私は一つの理解に辿り着く。
だから『魔女』は存在してはいけないのだ。
「ありがとう、モルガナ」
私は自分でも気付かないうちに大剣を握って立ち上がっていた。
「貴女に私は取り込めないわよ」
今の私はどんな姿をしているのだろうか?
舌以外の肌はまだ白い?
いや、もうそんな事はどうでもいい。
「私には、やる事が残っているんだもの」
モルガナを殺す。
殺す。
殺す。
それだけが私の意識として唯一残っていた。
もはや魔女達の末路も、人間達の戦争の勝敗も、何もかもがどうでも良かった。
失望すら覚えない。
ただ、一つの衝動のみが屍のような私を突き動かしていた。
(今なら斬れる……この全身に漲る衝動のままに、モルガナを、斬れる……)
絶叫はまだ続いていて、私は少し顔を顰めた。
世界なんか勝手に終わればいい。
だけど、これだけは私の手で終わらせなければならない。
そうすれば、きっと私も灰になれる。
私の全てもまた、終わらせられる----。




