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黄昏から黒へ

「モルガナ、あぁ…モルガナ……死なないで……」


 いつしか私は口に出してそう言っていた。

「貴女のためなら、私はここで灰になってもいい」


 新しい世界。

 正しい世界。

 美しい世界。


 そんな吐き気を催すような数々の美辞麗句を、私が信じるとでも思っているのか。


「へぇ、随分と邪悪な世界がお好みのようね」

「生憎、死なないというだけで魔女の端くれらしいので」


 そう、この世界はまるで毒薬のようだ。


 朽ちた価値観。

 欺瞞の世界。

 猪の血のように、赤黒く濁った世界。


 生まれる前の仔犬達が、産声を上げる事も出来ない世界----。


「それでも、その中でもローゼン・ガルテン……貴女が最も邪悪だわ」

「あらあら、ご先祖様にそう評されるとは、光栄ですね」


 頭がガンガンする。

 視界がぐるぐるする。


 これが時空の歪みの副作用なのか、女主任の邪悪さから来たものなのか、あるいは両方から来たものなのか。


  いや、そもそもアーネンエルベの魔女達が身体を思うように動かせていないようにも見える。

 そもそも、ここでの時間は一体どれだけ繰り返されているのだろうか?


 そしてその時間は本当に女主任が操っていたのか?


 どこからどこまでが女主任の策略だったのか。

 あるいは、モルガナに踊らされていただけなのか?


 分かっていたの魔女と言う存在の中で、私は迷子のように一人震えながら佇む。


 ゆらり。

 

 抱き締めていたはずのモルガナが立ち上がった。

 まるで重さなどないかのように、その腕も指先も、何か実在しない物質で作られたかのような儚さだ。


 だというのに----その全身はこれまでにない強烈な悪意を纏っていた。


「術式開放完全完了」


 モルガナはまるで祈るかのように両腕を胸の前に組む。


「第一段階、第二段階消滅、第三段階消滅」


 カチリ。

 カチリ。

 カチリ。


 モルガナの動きに合わせるように私の頭の奥で何かが外れていく。

 古代の城壁の門が、軋みながら開くように。


 それは代々伝えられる舞のように、一つの無駄のない動きだった。

 優雅でありながら、持てる全ての力を誇示する、女王の舞----。


 目が離せない。

 夢のように美しすぎる。


 なのに、背中がこんなにも冷たいのは何故なのだろうか。


「……今から殲滅を始める」 


 モルガナは、普段と全く変わらない静かな声で宣告した。


「んじゃ、俺の任務もコレまでだな」

「は?」


 コレまでだと言われても、この男はここからどこへ出て行くのか?


「NRVNQSRの拘束を解いた以上、バチカンと魔女は、完全に無関係となった……そしてまた俺も、めでたく『存在しない』人間になった」

「そ、そんな無責任な……!」


 アンソニーに言ったのではない。

 バチカンに、そしてこの戦争に参加している全ての国に言ったのだ。


「ヒトラーはどうするのよ!?」

「あの魔女の歌を聞いた時点で死んでるさ」


 もうこの部屋からは誰も出られない。

 つまり、アンソニーは死ぬ。


「初めからこういう作戦だったの!?」

「いや、これは最後の策だ。捕獲は中止。最終手段の対消滅で何もかも消し去るつもりらしい……だからパチェリは俺を選んだ」


 パチェリ。

 あの小さな中庭で私が手渡した毒草を食べた時の、眼鏡を掛けた悲しげな顔が頭をよぎる。


「ここまでの作戦の失敗を彼は恥じ、悔いている」

「だけど……それは貴方じゃない」


 アンソニーは笑った。


「パチェリと俺はお前とモルガナのようなものだ。互いに憎み合い、補い合い、運命を共にするためのワンペアのカードだ」


 女主任は目を見開いたまま話を聞いている。


「これが済んだら、バチカンに保管されていた全ての文書は破棄され、収容の痕跡は封鎖され、庭園局も……どこかに吸収されるんだろうな」

「でも、それじゃあ、誰が魔女の管理をするというの!? あそこまで自由を奪い、蹂躙し、最後は灰になるまで使い潰しておいて!?」


 アンソニーは僅かに視線を背ける。


「それが俺やお前達の生きている世界なんだよ。そして、今を境に魔女どもの全ての軛は解かれ、残されていた理性は消え、封じられていた獣の本性が甦る」


 魔女の理性が、消える?

 獣の本性に支配される?


(確かに凶悪な魔女も、人の心が分からないような魔女もいた……だけど、アレでもなお理性を保っていての姿だったのだとしたら……?)


「……お前が見てきた魔女の姿は、数万年数千年かけてこの地球という惑星の文明レベルと共に変化してきたものだ……いや、もしかするともっと前かもしれない」

「どういう事?」


 アンソニーはポケットを探ったがもう煙草はないようだった。


「その前の魔女達は今の人間どもの比ではない残虐性を持っていた……ああ、最後の一本は残しておくべきだったな」

「どうせ対消滅で消えるのに?」


 つい真面目に返すと、「そういう慰め方もあるのか、ありがとよ」という呟きが返って来た。


「お前なら『黒化』はしないだろう。だから今から目にする魔女の本性から決して目を背けるな! 焼き付けろ!たとえその目をつぶしてでも、未来のために必ず脳に刻み込め! そし思い出せ、お前自身のために!」


 そしてその途端、モルガナが一面の黒に染まった。


 髪も。

 瞳も。

 素肌も。

 爪先まで。


忘れもしないあの森の、漆黒の闇よりもなお暗く。


 まるで黒ダイヤで作られた精巧な像のように、内側から溢れ出る黒い光に照らされて、モルガナはゆっくりと地面を指す。


 私は魔女を知らない。

 私は魔女の残忍さを知らない。


 魔女の本質を知らない。


「ホルダ、貴女の玉座よ」


 途端に『玉座』は、忽然と現れた。


 それは、この殺風景なコンクリートの部屋にはあまりにも場違いな、等身大の牡牛の像だった。

 でっぷりと豊かな腹の下には薪が積み上がっている。


「ヒッ!?」


 その巨大な像の正体が何なのか、ジョリーナは即座に気付いたらしい。

 数秒前まで勝利を確信して紅潮していた頬が、今は紙のように白く変わっている。


「……ま、まさか……ファラリスの牡牛?!」


 私は----モルガナの花のような笑みの裏側を、知らない。

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