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ローゼン・ガルテンの賭け

「ああ、ついに……! ついに総統が決断を下したわ……!!」

「……そんな!?」


感極まったジョリーナの叫びと共に、耳を聾するかのような鋭い警戒音が鳴り響き、低い天井の四隅で赤い照明が点灯し始めた。


 俄かには信じがたかった。

 だが確かに円環の魔女ジョリーナは、『アドルフヒトラーに最終兵器を使用する決断を下させる』までに1945年の4月29日を繰り返し、その歪を固定化させ、『本来起きたはずだった歴史の上書き』に成功したのだ。


 戦争における魔女の『力』の『戦術的利用禁止』

 パチェリ、いやピウス十二世はこれを予見していたのだろうか。


 あの日、中庭に立ち私が勧めるがままに毒草を口にした、痩せぎすの男を私は思い出す。


「あはは!これでもう、私……ローゼン・ガルテンは賭けに勝ったのよ! もう誰にも止められない。止めさせなんかしない!!」


(こんな……これが、円環の魔女の力……?)


 たった一人の魔女に、これほどの規模の時間の繰り返しができるはずなんてないと思っていたのに。

 なのに、間違いなく既に過去になったはずの1945年の4月29日の深夜に、私達は立っている。


『全作業員は速やかに退去! 退去後は室外から完全封鎖の事! 繰り返す! 全作業員は速やかに退去! 全てのルートの入口を爆破のうえ、敷地内からの退去を禁じる!』


 どこか人工めいた女性の音声が間断なく繰り返し流れる。

 とはいえ、当の作業員達は全員床の血だまりでピクリとも動いていない訳だが。


 (これが、戦争で魔女を使うという事……)


  何をいまさら。


 法王庁は魔女を武器にしてきた。

 異教徒達は魔女を武器にしてきた。

 社会主義国は魔女を量産化しようとしてきた。


 何が違う?

 どんな『やむを得ない事情』があった?


 何もない。


 ただ、『使える』からだ。


 私達はただ『人間でない』というだけでその『力』を権力者に管理されてきただけだ。

 猟犬を交配させるかのように血を掛け合わされ、『力』をモノのように使われてきただけだ。


 あの軍用犬達のように----。


(これが、この恐ろしい力がこの私の『子孫の』能力だというの……!?)


 自分の中に流れる血に、私は初めて本当の恐怖を思えた。


「さあ、これで歴史は『本来の姿に正しく』変えられる」

 息を弾ませながら、女主任はモルガナに勝ち誇った笑みを浮かべて見せる。


 モルガナは眉毛一つ動かさない。

 ただ、彫像のように立っている。


 彼女の超然とした様子に苛立ったのか、今度はジョリーナは私に向かって声を張り上げた。


「アイリス、貴女の敗因は、本家が根絶やしになってもそれぞれの能力や知識を分散させた分家が全て潰えた事よ」

「……そうね、強欲な人間によってね」


 吐き捨てるようにそう言うと、女主任は嘲るような眼で私を見る。

 まるで何も理解していない生徒を見下すような眼で。


「あら、でもどんなに素晴らしい力でも、それが使いこなせなかったら単なる御伽噺でしょう?」

「で、貴女は御伽噺に満足できなかった訳ね……これで満足? 世界を壊して私に復讐する事が?」


 私がもし、なりそこないの魔女ではなく、『力』を持って家系に名を残す魔女だったら、この女の妄執は生まれる事はなかったのだろうか。


(いや、この女だったら、多分私を越える魔女になろうとしただろう)


 人間が魔女になる主な要因は、耐え難い悲しみや怒り、欲望・嫉妬そして絶望だ。


(なのにどうして、この女はこれほどまで私への憎しみを持ちながら魔女として発現しなかった?)


 頭の片隅に浮かんだ疑問を振り払い、私は女主任と対峙を続ける。


「本家の貴女が持つべき『力』は『円環の力』と『混沌の力』の二つの『力』だったのよ……なりそこないのために受け継ぐ事ができなかったその『力』、その一つを私は見付けだした。というよりは、ロマの収容所でだけど」


 ああ、そこから連れて来られたのがこの口輪を嵌められた紅い髪の少女なのか。

 餓死寸前だったのだろうか、拘束具の上からも、年齢相当に身体が成長していないらしき事が分かる。


 ロマの人種的分類については、現在でも定説が存在しないため、厳密にどの人種に分類できるかは、いまだに判明していないらしい。


「歴史的経緯をたどると、ロマは西暦1000年頃に、インドのラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いたとされるわ」


 なるほどその歴史が謎に包まれているのも納得がいく。

 そしてその中に紛れる事さえできれば、世間の目に晒される事も少なかっただろう。


 ヒトラーがナチスを始めとしたロマを含む少数民族狩りに手を付けるまでは。


「旅に出た理由は定かではないけど、一般的には西方に理想郷を求めたと言われていわね。 彼らがヨーロッパにおいて史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受けることとなるけど、ユダヤ人の陰に隠れて世界各地に逃げおおせたロマも多いわね」


 女主任の口調に澱みはない。

 話の整合性も一応ある。


 こうはみえても、一応研究の方も少しまともにしていたようだ。


「とはいえ、ロマの中にも12の種族があってね、、エリー、カルデラーシュ、ジャンバジ、ロワリ、アラバジ、コバチ、トパナなどの名称があり、種族により異なったロマ語を話しているの」

「で、私の子孫はどの種族に入っていたの?」


 不意に警告音がピタリとやんだ。

 次に発動の第二段階まで移るのにどのくらい時間があるのか分からないが、必要な情報だけこの女から聞き出す必要がある。


「それがね、ロマにはいつの間にか現れた十三番目の誰も知らない種族があると言う噂が昔からあったの。どの種族とも接触はなく、かといって敵対することも来なく、森の奥に暮らし、年に数度の祭りの時だけ何処からともなく現れては消えて行く集団……その歌も踊りの様式もどのメロディーにも似ていなかった」

「……で、他の分家の人間は?」


 ああ、その事なら、と女主任はめんどくさそうな溜息をつく。


「男で因子を持つ者はほぼいないから、ユダヤ人と一緒にアウシュビッツに皆送ったわ……女は一応全員検査して血液と細胞を採取させてもらったけど」

「……そう」


『採取』の最終工程があの『魔女のスープ』なのだろう。

 始めてそれを見た時から、微かな予感はあった。


 だが、私の心が怒りに満ちるとか、そういった事は不思議となかった。

 ただ、モルガナがどう戦うのかだけが、今の私の一番知るべき事だった。


『総員は速やかに退去!』


 不意に警告の内容が切迫したものに変わった。

 

『アイゼルネ・ユングフラウ起動5分前! 国内外全中継所は感度最大に調整のうえ、ソナー員は最大防護をもって作業に当たるように!』


 遂に始まるのだ。

 歴史の流れを捻じ曲げる、この地上で最大の殺戮が。


 女主任が鉄の処女の背後の操作盤を押すと、大仰な音がして紅色の髪の少女の口輪が外れる。

 俯き加減だった少女が顔を上げると、その髪と同じ色の瞳が私を見た。


 ----ゾッとするほど空虚な目だった。

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