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わるいゆめ

「……何が言いたいの?」


 やけに芝居じみた女主任の口調に、私は苛立ちを覚えていた。

 こうしている間にも、私達の頭上では終わらない4月29日が延々と続き、少しずつその歪みを増している。


 時の流れが飴細工のように、ぐにゃりと曲がっていくのが分かる。


 ぐにゃり。

 ぐにゃり。


 ヒトラーが最終兵器を使う決断を出すまで、少しずつ、だが確実に、時の流れが捻じ曲げられていく。


 ぐにゃり。


 今の私には何もできない。

 悪寒と眩暈に耐えながら己の女主人モルガナの側に控え、『力』を供給し続けるのが精一杯だ。

 

(モルガナ……何を考えているの? このままだと本当に混沌の魔女の『力』が開放されてしまうというのに……!!)


 だが、始まりの魔女は微動だにしない。

 深い緑のその目は、アーネンエルベの女主任を見詰めたままだ。


 森の奥の湖のような波一つない鏡のようなその目には何が見えているのだろうか----。


「その姉弟達が火刑に処された後、■■■■家は領主の地位を剥奪されて歴史から完全に抹消されたの」

「……じゃあ、何故その完全に抹消されたはずの■■■■家の事を貴女が知ってるの? おかしいじゃない」


 ジョリーナは嗤う。


「本当に何も分かってないのね、羨ましいくらいに自分を知らない……なりそこないの、魔女さん」


 羨ましい?

 だったら何故そんなに憎しみを込めた目で私を見るの?


「■■■■家には幾つかの分家があったわ……一族の血と記録を絶やさぬようにそれぞれの家には役割が振り分けられ、注意深く婚姻が行われ、誰にも知られないような通信手段で連絡を取り合っていた」

「へぇ、まるで秘密教団みたいね」


 書物が地層のように重なった父の書斎。

 鳩小屋。

 猟犬。


 父の腕から舞い上がり空の彼方へ飛んで行く鷹。


 遠い分家から来たという、私の母----。


(違う!)


 ぐにゃり。


 私の視界が歪む。

 歪んでいるのは時の流れのはずなのに。


「そう、■■■■家こそが、青い血の流れを守る一族であり、秘密教団だった」


(そんなの嘘に決まってる!)


「……そして、『力』を受け継ぐ母親から生まれた本家の娘は、彼らの研究と弛まぬ努力の結晶だった」


 女主任の声が少しずつ遠くなる。


 何を言っているのか、分からない。

 何故私にそんな子供騙しみたいな話をしているのか、分からない。


「アーネンエルベが、いえ、この私が本当に探し求めていたのは、聖杯でもロンギヌスの槍でもない……私の先祖が嫁いだという■■■■家の痕跡と、その血を受け継いだまま生き続けているという、火刑にされたはずの娘よ」


 だから、どうして私を見るの?


「私としては他の聖遺物なんてガラクタはどうでも良かった。けど、取りあえず探す振りだけはしていたわ……そうすれば予算も人員も出るし……まぁ、木を隠すなら森の中、ってやつね」


 一人でひとしきり笑って、白衣の女は息を弾ませる。

 面白くもない冗談で狂ったように笑った残響に、地下壕の女達のけたたましい笑いが被さる。


 時の歪みが加速していく。

 

(そうだ……これは悪い夢……私は悪い夢を見ているんだ……)


 目が覚めたら私は自分のベッドから起き上がり、部屋の窓を開けて朝日を浴びた庭園を、そこに咲き誇る数え切れないほどの薔薇の花を----。


 だが、私が今嗅いでいるのは、硫黄の匂いだ。


「私の本当の名前は、ジョリーナ・ローゼンガルテン……聞き覚えはある?」

「……いいえ」

 

(早くこんな悪い夢から覚めなきゃ……!)


 私の母の実家の名前が、どうしてこんな頭のおかしな女の口から出て来るのか分からない。

 

 とても遠い遠い母の実家。

 国境にある小さな城の庭にも薔薇が咲いていたという。

 

「本家の娘がバチカンに捕らわれたという情報はすぐに全ての分家に伝わった……彼らは家訓、いえ、教義に忠実に行動した」


 父の書斎。

 いや、あれは本当に『書斎』だったのだろうか。 


 街中の書物を集めてもなお、あの膨大な書物の山には届かないだろう。


「本家に伝わる書物や当主の日記は素早く運び出され、バラバラにされ、全ての分家に分配された。地位も財産も捨てて、■■■■家の残された一族は市井に紛れ、ある者達は国外へ逃れ、ある者達は農民として痩せた土地を耕しながら細々と生きた……」


 女主任の呼吸が乱れている。

 目の充血がひどい。


 興奮のせいなのか、それとも身体を酷使しているからなのか、私には分からない。


 不条理な悪夢の中で、音程の狂ったワルツがぐるぐると繰り返されてる。


「……父の死後、探し当てた本家当主の日記を読んでから、私はずっと願っていた」

「何を?」


 誰でもいい。

 早くこの悪夢から私を引き摺り出して欲しい。


「……私自身が魔女になって、私達ローゼンガルテン家の一族に苦難の歴史を歩ませた元凶に復讐する事を……それが今夜叶うの」


 今夜はこれまでで最高の4月29日の夜よ、とアーネンエルベの女主任----ジョリーナ・ローゼンガルテンは舞台女優のような仕草で胸に手を当てた。


「名前を捨て、過去を偽り、あのヒトラーに『純粋なアーリア人のためだけの世界』の御伽噺を信じ込ませて最終兵器の極秘計画を立ち上げる事ができた……それも全て貴女を追うため、探し出すための手段でしかなかった」


 その成果がこれなのか。

 私に対する憎しみがこれから歴史を、世界を改変するというのか。


 狂ってる。


「名前を捨てても私は青い薔薇の血を引く者……薔薇と言う花にどんな名を付けようとも、その香りには変わりはないの」


「しゃらくせぇ女だぜ」 


 情報将校の吐き捨てるような言葉も、彼女にはもう聞こえてはいないようだ。


 ジョリーナは私に向かって手招きする。


「貴女もそうよね?」


 まるでここには私と彼女しかいないかのような恍惚とした表情で。


「会えて嬉しいわ……夢にまで見た私の遠い遠い、愛しのご先祖サマ」


 ぐにゃり。


 何もかもが狂っている。

 そしてこれはまだ序幕に過ぎない。


 なのに私は何もできない。


(……もう、戻れない)


 本当のところは分かっていたはずだ。


 ぐっしょりと犬の血に濡れたシスター服を着たこの私を悪夢から引き摺り出してくれる存在など、初めからどこにもいないのだ----。

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