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混沌と円環

 艶のある白い包帯のようなもので『娘』の中の少女は拘束されていた。


 燃えるような紅い髪は、ばっさりと切られている。

 睫毛の下の褐色の瞼は閉じられている。


 そして、その口には白い口輪。


「魔女……!」


 硫黄の匂いが部屋に充満する。

 歌で人を操り、狂わせ、死に至らしめる『混沌の魔女』がそこにいた。

 

「貴女の血の匂い、とても濃い……ロマの血を引いているわね」


 モルガナが目を細めた。


「だけど、もう一人……」


 途端に、殺風景極まりない部屋中にワルツの調べが鳴り響いた。

 そして女達の甲高い、悲鳴のような笑い。


 私は耳を疑った。

 間違いない。


 さっき微かに聞いた地下壕の中の音が、今はこの隠し部屋ではっきりと聞こえている。


 グラスのカチャカチャぶつかり合う音。

 物憂げに歩き回る軍靴の音。


《もう終わりなのね》

《いや総統はまだ諦めていないぞ。なにせ最終兵器がまだあるからな》


 絶望の嘆きと、偽りの希望の声。


《外に出て煙草が吸いたいわ》

《寒いんだから風邪ひくわよ。どうせもうここは煙草の煙だらけじゃないの》


 私は思わず振り返った。


 今は8月だと教えられている。


(そうだ、中庭の芝生はあんなに青々としていたのに……)


 それ以前に分厚い壁に隔てられている地下壕の喧騒など、絶対に聞こえるはずはない。


 だというのに、すぐ横で、首筋の後ろで、アンソニーの隣で、消えたかと思うとまた喧騒が聞こえ始める。


「おい、コイツはポルターガイストか? それとも地下壕の連中もまだ生きていて『あの日』から毎日ずっとこの乱痴気騒ぎを繰り返しているのか?」


 情報将校が女主任を睨み付ける。


「さぁ、どうなのかしらね? それにしてもこの曲流石に聞き飽きたわ……ま、それも今日でお終いだけど」


 モルガナの眉が僅かに顰められた。


「……やはりこれは貴女の仕業なのね」

「そうよ、そろそろ限界だけど」


 アーネンエルベの女主任は鉄の処女の肩に寄りかかるようにして、挑むような笑みを私達に向ける。


「総統の書斎とこの部屋と通信網だけは、まだ完全に4月29日の夜のままよ。ヒトラーが最後の決断をするのを先見の魔女が視た、と報告があったから」


 私は自分の鈍さに歯噛みする思いだった。


 このジョリーナという女主任もまた、強力な敵だったのだ。


「神は増える」という中世期のドイツ語が起源だと言われている皮肉極まりない女性の名前を持つ、バチカンの敵である魔女----恐らくは『円環の魔女』だ。


 円環の魔女は一定の時間を、何度も繰り返す事ができる強力な『力』を持っている。


(そうだ。そんな強力な『力』を複数持つ魔女はこれまでの経験からしていなかった……単独でも強力過ぎる『力』を持つ魔女は、ほとんどがアネモネのように寝たきりに近い状態になってしまうのを見ていたはずなのに……!)


 『混沌の魔女』を殺すだけなら問題はないはずだ。

 しかし『円環の魔女』も同時に相手にしなければならないとなると----。


(モルガナの『力』はバチカンによって制御されている……この二人の魔女の相手をするのに『力』が足りない時は、私の命そのものを注がなければならないかもしれない……)


 殺すために『力』を補給している相手に、灰になるまで自分の命まで投げ出せるのか。


(でも私からの『力』の補給が切れればモルガナは灰になるかもしれない……どうする?)


 また同じワルツが聞こえ始めた。

 今度は遥か遠く森の奥から聞こえるかのように、途切れ途切れに。


 同じ一日を繰り返し過ぎたせいで、時間と空間の状態がおかしくなっているのだ。


 ベルリンに入った時からの違和感の正体は、時空の歪みのせいだったのだ。


 円環は既に崩壊し始めている。

 その欠片がこうして時空に残留し、漂っている。


「なるほど、これだけ時空が歪んでいたんじゃ赤軍共がここを観測も攻撃もできない訳だ。さすがにツングースカの件で少しは学んだか」


 情報将校はあくまでも冷静だ。

 今の私の心中の葛藤を知ったらどんな顔になるのかは知らないが。


 だけど、この術は使える魔女が希少なうえに、かなりの『力』を消費する。

 バチカンにいた円環の魔女も、数回の出撃で灰になった。


(なのに、約3か月も同じ4月29日を繰り返せるその『力』はどこから? それにそんな事をする意味が分からない……)


 部屋の電球がチカチカと点滅する。

 女主任の言うように『力』に限界が来ている兆候なのだろうか。

 

《……もう終わりなのね》

《まだ分からないわよ……総統は今お一人で最後の決断をされているらしいわ……》


(今のは……?)


 女性達の会話が雑音交じりに聞こえる。

 さっきは男女の会話だったが、今度は女性二人だ。

 

(聞こえてくる会話の内容が少し変わった!?)


 それに気が付いた途端、私はこの時空の歪み自体が『武器』になっていたのだと知る。


(……この女、わざと一日の内容に変化を起こすために限界まで『力』を使っている!)


 これがジョリーナの戦法だったのだ。


 一日を執拗に繰り返す事で僅かずつ生まれる歪を、ジョリーナはあえて生み出そうとしている。

 ヒトラーが最終兵器を発動させる決断を下すまで、この女は4月29日を繰り返し続けているのだ。


 そして、『その時』はもう近い。


(やっぱり今のモルガナには負担の大きい戦いになる……残っている『力』を全て注ぐしかない!)


《ねぇ、あんなに人間が憎いのに、まだモルガナに付くの?》


 突然いるはずのない少年の囁きが聞こえた気がして、私の頭が脈打つように痛んだ。


(い、今の声は……!?)


 立ち尽くした私の耳に、その声はもう聞こえる事はなかった。


 私の動揺を勘違いしたのだろう。

 女主任は傲然とした笑みで白衣のポケットから硝子の筒のような物を取り出す。


 そして肉色の何かで満たされたそれを、得意げに掲げて見せる。


「私、気付いちゃったのよ。『力』を無限に保てる方法を、ね」

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