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ユダの鍵

「じゃあここの鍵も?」

「いや、突貫工事だったうえに鍵の管理は異常なくらいに厳しかったらしい。なもんで、残念ながら合鍵までは手に入らなかった」


 さほど深刻そうでもない口振りの情報将校を、私は呆れ顔で睨む。


「じゃあどうするの? 蹴破るとかそんなの無理なくらい分厚いわよコレ」

「開けられないならわざわざ来ないだろ、ちゃんとお行儀よく鍵を開けて入るさ」


 え。

 今、合鍵はない、って聞いた気がするのだけど----。


「バチカンの国章は分かるだろ?」

「教皇冠と二本の鍵でしょ、親の顔より見てるわよ」


 私は溜息をついて見せる。


「なら行くぞ」


 ジャラッ、と小さな金属音を立てて男は首にかけていたやや太めの鎖を外した。

 そこに重たげに下がっているのは、銀色の古めかしい鍵。


「まさか、それがあの……ペテロの鍵?」

「あれは正確には金の鍵のみの呼び名だ。天国の扉を開くための祝福された鍵……そしてこれは金の鍵とは正反対の、いわば呪われた鍵ってやつだ」


 情報将校は手にした鍵の先をドアの取っ手の鍵穴に当てる。

 勿論入るはずなんかない。


 入るはずが----。


「え……?」


 銀色の鍵の先が、ぬるりとした動きでその形状を変えながら鍵穴に滑り込んで行く。


「これは我々の間ではユダの鍵と呼ばれている物だ」

「ユダって、最後の晩餐の前に祭司長に会って銀貨30枚と引き換えにイエスを引き渡した、あの12番目の使徒のユダ?」


 マタイによる福音書27章によれば、ユダはその後になって激しい後悔に苛まれ、祭司長に銀貨30枚を返して首を吊ったという。


「返された銀貨30枚がその後どうなったのかは諸説あるが、神殿には入れられないとして全額使われたという記述もあるし、散逸したという記録もある。そのうちの一部で作られたのがこの鍵だ」

「……なるほど、この世に法王庁が開けられない鍵はないってやつね」


(イスカリオテのユダ、か)


 銀貨30枚に彼は何を夢見たのだろうか。


(まさに『魔がさした』ってやつかしらね)


 いや、笑えないけども。


 自死した後も自らの裏切りを悔い続けているのか。

 それとも、この世と言う地獄でイエスに奉仕を続けさせられているのか。


(でも、もしイエスが魔女の『力』を持っていたのだとしたら、何故ユダの裏切りに気が付かなかったのだろうか?)


 不意に浮かんだ疑問は、少し考えると不可解な話だった。


 確かに魔女にはそれぞれの『力』があり、強さも内容も違う。

 しかしイエスの『魔女』の血は、彼が引き起こした様々な『奇跡』を読む限り、かなり濃く、強いはずだ。


(何かが不自然な気がする、でもそれが何かは分からない……)


「開いたぞ」


 重い金属音で我に帰る。

 鍵穴から抜いた途端、ユダの鍵は再びまたあの古ぼけた形状に戻って情報将校アンソニーの管理下に戻る。


 ドアの向こうは、急な階段がひたすら闇の奥まで続いているだけだ。

 普通ならなにかしらあるだろう注意書きの類いどころか、電灯すら見当たらない。


 アンソニーが懐中電灯で奥を照らすが、何の反応もなかった。

 そして乾き切っていないコンクリートの匂いが凄い。


 そして----奥から漂う硫黄の匂い。


「この先にいるわ」

「確かだな?」


 私は頷く。


 階段をひたすら駆け下りながら、私はこの空間を包む死の気配の濃さに圧倒されていた。

 地下壕の壁は厚く、ここまで内部の音や匂いが伝わる事などあり得ない。


 なのに、階段を降りる私達の横では、今まさに狂乱の宴が行われているのがありありと伝わって来るのが分かる。


 大音量で延々と繰り返されるワルツ。

 女達の甲高い笑い声。

 床に放り捨てられるワインの瓶が割れる音。


 煙草の煙。

 誰かの泣き声。


 調子の外れた軍歌。

 

「第三帝国よ永遠なれ、か」


 ぼそりとアンソニーが呟いた。


「ヒトラーが死ぬとしたらもう明日だろう。その前に最後の望みとして『娘』を発動させる訳だ」


 階段を降り切った先に、再びドアが姿を現す。

 それは奇妙な装飾が施されていた。


 縦形の楕円の中に、剣とリボンが組み合わされたような意匠が描かれ、その周りをルーン文字が取り囲んでいる。


「……ドイツ・アーネンエルベ」


 この中に、死のローレライがいる。


 私は一度だけ振り返る。

 頭上の地下壕の誰も、自分達が立つ床の遥か下で世界のこれからが決まる戦いが始まる事を知らない。


 それでいい。


 何も知らずに死ぬ幸福というものが彼らに残されているのなら----。

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