死都
死都ベルリン----。
その惨状は、これまでに幾つもの凄惨な『任務』を重ねてきたはずの私ですら言葉が出ないほどだった。
仮にも一国の首都は、ほぼ瓦礫の山と化していた。
暗闇の中にはどんな小さな灯も見えない。
「ああ、やはり完全に包囲されてるな」
アンソニーは幌の外をチラと眺め、唾棄するかのように言い捨てた。
「包囲って……!」
計画ではソビエト軍より先にベルリンに入ると聞かされていた。
もちろん、予測は外れるものだ。
だが、計画の根本が揺らぐ事態を知らされて、はいそうですかと敵地に向かえる訳がない。
「だったら話が違うじゃない! もし今ここで首相官邸に総攻撃でも掛けられたら、混乱に乗じて侵入どころか、地下へのルートが破壊されるかもしれないって事でしょ!?」
「遅かれ早かれこうなってたさ。それよりももっと恐ろしいのは……『娘』がソビエト側に奪われる事だ」
情報将校はあくまでも冷静だ。
余程肝が据わっているのか、はたまた感情のどこかが欠けているのか----。
「とにかく、お前が納得しようがしまいが、総統官邸は完全に赤軍に包囲されている……ワイクゼル集団軍が全滅したおかげで、丸裸の兎も同然だ」
「ワイクゼル集団軍?」
聞き慣れない言葉に、つい聞き返す。
「ああ、元は1945年に設立されたドイツ国防軍の軍集団の事だが、最近になって各地で壊滅した軍の生き残りが合流した、まぁ……所詮は生き残りと残りの武器の寄せ集めの、赤軍相手の時間稼ぎさ」
「……という事は、ベルリンの地下以外にドイツ兵はもういないって事?」
普通なら、こうなる前に最終兵器とやらを使うものだと思うのだが。
「……らしいな。このあたりのドイツ兵は、総統官邸内にいる者以外は全員ヴァルハラへ旅立った模様だ」
アンソニーは真顔でそう言い、そして襟元の小さな通信機らしきもので誰かに指示を出した。
ラテン語だった。
「バチカンのサポートはここで終了だ。今後連絡は一切取れない、いいな?」
「……別に、私はどうでもいいわよ」
ああそうだ、といきなりアンソニーは親指で自分の後ろを示す。
「ジャーマン・シェパードって分かるか?」
「芋の種類か何か?」
私の反応にアンソニーは溜息をついた。
「犬の種類だ。僅かばかりの餌で長く生き延び、主人に絶対の忠誠を誓う」
軍用犬を最初に実用化したのはドイツだそうだ。
その用途は広く、訓練を重ねて数を増やした結果、第一次大戦の末期、ドイツ軍は実に二万頭の軍用犬を戦場に投入していたらしい。
「でも負けたんじゃなかったっけ?」
「人間は、な……だが犬達はその後も生き続けて、交配と訓練の繰り返しでほぼ先祖返りのようになった血統もあると聞いた事がある」
(……!)
話の途中で微かな気配を感じた。
私は立ち上がり、背負っていた大剣の柄を握り締める。
「いるわ……それも複数……」
「さっそくお出迎えか……まずはそっちを片付けないと官邸にご挨拶もできやしねぇ」
アンソニーも立ち上がる。
メリッサも、そんな私達をチラと見上げて無言で立った。
「よし、現時刻をもって戦略行動を開始する!」
情報将校アンソニー----いや、ピウス十二世の代理人の号令が静かに、しかし鋭く車内に響く。
「赤軍はまだ動けない。だが時間はない……官邸とその地下の地図は頭に叩き込んでいるな?」
「ええ」
なら問題ない、とアンソニーは呟く。
「作戦内容に変更はない。犬どもはお前に任せた。いつものように喰われながら無力化してやれ!」
特に反論はない。
出撃する時に私に求められているのは、その役回りなのだから。
(でも言い方……)
まぁ、『力』を持たない私には大剣とこの身体ひとつしかないのが事実なのだ。
「その間に俺はコイツを連れて地下に向かう! なるべく早く合流しろ!」
「了解」
私は荷台から死都の地に飛び降りる。
闇と同じ色の修道服の裾が、音も立てずにふわりと揺れた----。




