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二つの指輪、二つのバチカン

「表向きプルトニウムはまだ発見されたばかりで、合成も分離も現時点では不可能とされている……だが、我々は既に臨界管理まで成功している……こんな風にな」


 男は、つと指を伸ばし、向かいに座るメリッサの修道服のハイカラ―の首元を捲った。

 止める間などなかった。


「それは!?」


 折れそうな程に白く細い首には、まるで似合わない鉛の太い首輪が食い込まんばかりに取り付けられていた。


 厚みはさほどないが、幅は5センチほどか。

 繋目は確認できない。


(この中にプルトニウムが……? やっぱり、この男の言う『我々』とは、連合軍のみを指している訳ではなさそうだ……)

 

「これは注入装置だ。脊髄から針で少しずつ液体の状態でプルトニウムを入れている」

「注入って……一日中!? そんなのッ……く、苦しいじゃないのッ!?」


 取り乱した私をよそに、メリッサは無言のまま自分で修道服のカラーを直し、また同じ姿勢に戻った。

 絶え間なく体内で細胞が崩壊と再生を続けているというのに、その表情に苦悶の色は少しもない。


 金色の髪は相変わらず艶やかで。

 緑色の瞳に少しの曇りはなく。


 間断ない死と再生のループの中にいながら、真っ直ぐに背を伸ばして座っている。


 まるで、ずっと前からたった一人でそこにいるかのように。静かに----。


「で、でも……ッ、そんなに毒性が強いなら、周囲の人間にだって影響が……」

「あぁ、そっちの心配はない……コイツはα波を出すが、電離作用が強いから透過力は小さいんだ。だから紙一枚で止まってしまう」


 つまり、プルトニウムが殺すのは、それを体内に取り込んだ生物のみ、という事なのか。


「この注入装置を破壊した途端、恐らくこの魔女は元の姿に戻る……はじまりの魔女、にな」

「まるで悪魔ね……ナチスじゃなくて、貴方達の事よ」


 怒りで握った手が震える。


 私にはナチスも連合軍も関係ない。


 ましてやバチカンですら、仮に今この瞬間壊滅していたとしても、何の感慨もないどころか、私にとっては牢獄から解放されるというだけの話だ。


 この戦争における正義など、何処にも見出せない。


 数万数億の人間を助けるために一人の魔女を生ける屍にするのが正義と言うのなら、私はナチスも連合軍もバチカンも、全て同じ敵と看做す。


「そうだな……魔女から見ればナチスもバチカンも変わらない。お前にはまるで合わせ鏡のように等しく見えるだろう」

「貴方はバチカンの人間なのね?」


 ああ、と男は頷く。

 問われるのを予想していたかのように。


「所属上は連合軍の情報将校だが、この作戦が決まるまではスイス兵としてバチカンにいた。だから墓碑にはそう刻まれる約束になっている……オレはあくまでもスイス兵として死ぬからな」

「ずいぶんと誇りがあるのね」


 そう言うと、男はフッと笑う。


「誇りとかそんなモノではない。我々スイス兵はバチカンの礎であり城壁であり、盾であり、猟犬だ」


 何と答えたらよいのか分からないという顔の私を見て、男は言う。


「それはナチスの、いや、アーネンエルベの連中もきっと同じ事を言うだろう」

「何故?」


 正反対の組織の人間が、同じ事を言う?

 この男は私を揶揄ってでもいるのか?


「理解できないという顔だな……だが、これだけは知っておけ。バチカンとアーネンエルベ……この二つの組織は合わせ鏡の存在だ」

「合わせ鏡……?」


 ああそうか。

 そうだったのか。


 それなら納得できる。


 バチカンにしか管理できないはずの魔女を飼い、使役し、その『力』をもって世界を自分達の理想の姿へと変えようとする----。


 それが唯一可能な組織、アーネンエルベ。


「遥か昔は青い薔薇の流れを追う一つの思想集団だったバチカンとアーネンエルベは、二つに分裂し、様々な集団や教義を取り込みながら強大なシステムへと変貌を遂げた」


 何かを思い出すような眼差しを幌の天井に向け、男は言う。

 どこか懐かしむかのような響きすら込め。


「バチカンは常にキリスト教世界の表を支配し、アーネンエルベはその前身も含めてキリスト教世界の裏を支配し、その均衡は危ういながらも保たれていた……そう、ファシズムの台頭までは」

「……でも、その証拠は?」


 理屈では分かる。

 だが、バチカンとアーネンエルベが一つの種から萌芽したものだという動かぬ証拠などあるのだろうか。


「……そうだな」


 アンソニーは毛羽立った木の床に横たわる煙草の灰を軍靴の先で丹念に潰し、粉にし、盛り上げ、そして何かの儀式のように、恭しさすら覚える仕草で、爪先でゆっくりと巧みに緩やかな曲線を引き始めた。


「……魚?」


 それはまさしく、ローマ時代に禁教とされたキリスト教徒同士が互いの身元を確認し合うための暗号----魚の絵だった。


「そうだ」

「……信じられない……」


 一筆書きの小さな魚は、これまでに何度も目にしたシンボルだ。

 間違いようのない、イエス・キリストを表すシンボル----。


「現物は誰も見ていない。だが、アーネンエルベには代々『漁夫の指輪』が伝わっているとされている」

「そんな……! じゃあまるでアーネンエルベはもう一つの……!」


 ただ絶句するしかなかった。


 そのもう一つの指輪には、一体誰の名前が刻まれているというのか。


「分かっただろ? この作戦で世界は変わる。この世界に存在する表と裏の二つの『バチカン』のどちらかがこれからの世界の新しい秩序を築く」


 二つのバチカン----。


「お前達にそれを選ぶ権利はないけどな」


 これから何が起こるのか。

 私達は何と戦うのか。


 分かる事など一つもない。


 だが、その戦いの勝敗はメリッサと私にかかっている。

 それだけは分かる。


 そして---この戦争でどちらか一つが、消滅するという事も----。

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