とある奇妙な橋の話
「まぁ16世紀頃までは、レミングなんかいくらでも雲の中から自然発生すると考えられていたくらいだ」
「へぇ、動物が自然発生するなんてバロメッツみたいな話ね」
茎の天辺に羊が生えた珍妙な草の絵を、父の書斎で見た記憶があった。
「プランタ・タルタリカ・バロメッツの事か?」
「あら、さすがは元庭園管理局長、魔女だけではなく伝説の植物にまでお詳しいようで」
----いや、庭園管理局は最初は純粋に毒草や薬草を収集して研究していた組織だったのかもしれない。
園丁達も、昔は本物の園丁達がこの中庭を剪定していたのかもしれない。
魔女の管理などという役目は、魔女狩り(この男の言葉を借りればあくまでも『スカウト』らしいが)以降のものだろうし----。
どちらにせよ、今更ながら庭園管理局とは得体の知れない集団ではある。
「まぁバロメッツは、自分で茎が伸ばせる範囲の草を食い尽くしたら餓死するんだが」
「ならレミングの方が集団移住できるだけいいわね……って、そんな話じゃなくて」
夜気がじんわりと身体を冷やしていくのが分かる。
(この先は……聞かない方がいい)
私の中でもう一人の私が警告を出し続けている。
(聞いたら、戻れなくなる……)
さっさと地下室に戻ろう。
こんな夜は、メリッサと少しだけ長くお風呂に入ろう。
(……後悔するよ?)
そうだ。
絶対に後悔するに決まってる。
だって、ロクでもない話だってもう分かってるんだから。
だけど、私は先を促していた。
「結論はどうだったのよ?」
「……犬は自殺する」
(ほら、思った通りにロクでもない話だ。だからさっさと帰っていればよかったのに……)
「正確に言えば、犬に対して自殺するように仕向ける事ができる」
「仕向ける……?」
怪訝な私の表情に気付いたのか、アンソニーは少し口調を速める。
「スコットランドにオーヴァートン橋と呼ばれる石橋がある……建設されてから100年以上経つ橋だが、1950年代以降、その欄干を飛び越えて谷底に落ちた犬は600匹を超えると言われている」
「え、自分で飛び降りるの!? レミングみたいに事故で落ちるんじゃなくて?」
俄かには信じがたい話だ。
だって、自殺と言うのは絶望が主な原因なはずだ。
犬は、悲しみはするが絶望はしない。
絶望するのは人間だけ。
魔女になるのも人間だけ----。
「つまり、その犬達は欄干を飛び越えるように仕向けられた……って事? でも、誰が何のために?」
「一応は、1950年代からその付近に生息し始めたミンクの匂いに引き付けられて欄干を飛び越えてしまうという結論が出されている」
やけに引っ掛かる言い方をする。
「何故この橋限定なのかというと、そこは橋の構造上、飛び越えた欄干の先には何もない事が犬の目の高さでは分からないという説明もされている」
「……それだったら、魔女は何も関係ないわよね」
踵を返してメリッサの手を取ろうとした背中に、不吉な言葉が飛んで来た。
「魔女と関係ない話なら、そもそもしない」
「頭が痛いの……もう帰るわ」
小さな手をギュッと握ったその時、
「……犬笛」
メリッサが呟く。
握ったその手は、驚くほどに冷たかった----。




