表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
338/381

ヘミングウェイの猫

「そういえば、今回『彼女達』の意識に触れた事で良かった事があるんですよ」

「良かった事?」


 何だろう?

 AIとしての性能はシヴァを吸収した事で飛躍的に向上しただろうから、それは分かる。


(じゃあ、他に何があるんだろう? 目からビームでも出せるようになったとか? それで援護してくれたらそれはそれで助かるけど……ってのは違うな多分)


「コイツが言うには、唯一の弱点が克服できたらしい」

「ええ、これでラボにいても怖くなくなりました」


 私とメリッサは顔を見合わせる。


「なんで?」

「さぁ? 私も分からない」


 そういえば、前にカーラβはあまりラボに行きたくないような事を言ってた気もするけど、その訳は聞いていなかった。


 だが、その答えは目の前にすぐに現れた。


「来い、アーネスト」


 アンソニーが法王服のケープの下に手を差し込む。


「ニャッ」


 か細い声にメリッサが目を輝かせる。


「あ! 猫ちゃん!?」


 私達の前に突き出されたそれは、灰色の小さな子猫だった。

 大人の掌にすっぽり収まる大きさの、青い目をした子猫。


(こんなに小さいって事は、まだ生後三か月くらい?)


 私の館にも犬の他に鼠避けの猫達がいたから、身体つきで大体の年齢は分かる。


「そうです。この子の事です。この子がラボにいる時は怖くてフリーズしそうになってたんですけど、人間って、結構な数が猫を怖いじゃなくて可愛いと思うんですね」

「つまり、その、人間が猫を可愛いと思う感情が、貴女の猫を恐怖する感情に上書きされたっていう……?」


 それもまたAIとしての進化と言うべきなんだろうか?

 だからバグとはされずに残されたのだろうか?


(それとも、名前も知れない『誰か』が生きた証を残すために、あえてそのままに……?)


「でもこの猫ちゃん、ずっとちっちゃいままだね……ちゃんとご飯食べないとダメだよ?」

「……?」


 メリッサの言葉に私は自分の耳を疑った。


「ずっと、って……え? この子の事知ってるの?」

「知ってるよ。初めてアンソニーに会った日に肩に乗ってたもん」


 初めてアンソニーに会った日?

 それって、どんなに少なく見積もっても一年は前----になるはずだ。


(どういう事? 全然計算が合わないんだけど……?)


 地下に長くいたせいで私の時間の感覚が狂ってるのか?


「コイツは今年で三歳になる」

「嘘でしょ? どう見たってまだ……」


 絶句する私に、アンソニーは「これも幼形成熟ネオテニーだ」と答える。


「メリッサを生み出す過程で我々は魔女のDNAを様々な動物に投与した……流石にどこぞの組織のように人間は使えんからな」

「そこはバチカンの最後の良心ってとこかしらね」


 私の嫌味に、子猫だけが「ニャッ」と応える。


 幼形成熟ネオテニー


 そうだ、以前にカーラが教えてくれた。


「……幼形成熟ネオテニーには環境の変化に対応しやすく、生き延びる確率が高いという大きな利点がある。脳や体の発達は遅くなるが各種器官の特殊化の程度が低く、特殊化の進んだ他の生物の成体器官よりも適応に対する可塑性が高い……つまりは、生存競争に有利……だったっけ?」

「その通りです。よく覚えていますね」


 そうして、アンソニー達はオリジナルのモルガナそのものを蘇らせるのではなく、あえて幼女の姿のままのメリッサをラボから送り出したのだ。


 その理由は、知らない。

 法王庁法典第938条2項及び法王命令第904号により定められた特別機密事項により極秘とされているからだ。


 でも、今ならなんとなく想像がつく。


(……多分、モルガナの『声』を出させないためだ……)


 はじまりの魔女を蘇らせたい。

 だが、その魔女の最大の武器である『声』は人間の脳を破壊する。


 ジレンマの答えがこれ----幼形成熟ネオテニーだったとしたら、【case-M】がバチカンに与えた衝撃と恐怖の大きさが計り知れるというものだ。


(……バチカンだけじゃない……モルガナは人間全体にとっても大きな脅威なんだ……)


 瞬間、何かの記憶が頭をかすめる。


 とても大事な記憶。

 私が今の私になる前の----いや、違う----分からない----。


 頭の奥がズキンと脈打つ。


「このアーネストは魔女のDNAを投与された母猫から生まれたプロジェクトでは唯一の動物の幼形成熟ネオテニーだ……多指症で足の指が6本ずつある」

「確か、多指症の猫っていうと、ヘミングウェイが飼っていたのよね? 船乗り猫として北米やイングランドの港町で多く見られるって読んだわ」

「ああ、漁師に幸運をもたらしてくれるんだ、コイツらは」


 漁師の指輪を嵌めた男は、ニタリと笑う。


「私にお誂え向きの相棒だよ……多指症は人間だとシャーマンに選ばれたりするほどの聖性を持つからな」

「でもそれは珍しいからでしょ? 指が多いってだけで」


 多指症の猫は、逆に不吉だと言われて殺される事もあったようだ。

 珍しいという事が当人にとっては不幸な例なんて、星の数ほどある。


「イギリスの科学誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』には、6本目の指には特化した筋肉や神経があり、それを脳がコントロールする事で5本指よりもさらに複雑な動きが可能だと書かれているぞ」


 この男、そんなものまで読んでるのか。

 

「多指症は知能が高いという俗説があるが、実際、脳神経は特異な発達をしているのが証明されている」

「なるほど、『魔女』に近い脳の仕組みを持っているって訳ね……場合によっては他の人間の脳に干渉できたりとか、そう、クジラやイルカのソナーみたいに『歌』を……」


 そう言った途端、また頭の奥がズキンと痛んだ。


「……魔女の……歌……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白くて最後まで一気見させてもらいました。メリッサとアイリス二人の百合が尊い...。最後は幸せになってくれ(切実)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ