第八部 運命という名の鳥籠
図書室で私はすっかり眠っていたらしい。
頬をぺちぺち叩かれる感触で私は机から顔を上げた。
ランプの灯は再び灯っている。
「あ、ありがとうメリッサ……」
そう言った途端に「うわぁぁんッ!」と派手な泣き声を上げながらメリッサがむしゃぶりついて来た。
「バカバカバカバカ! すっごく心配したんだからッ!」
「ご、ごめん……」
どのくらいの時間が経ったのか分からないが、部屋は入った時よりも少しひんやりしていた。
ずっと傍にいてくれていたのだろうか、小さな頬を撫でると少し冷たい。
「あんなに呼んでるのにこっち見てくれないし、答えてくれないし……誰かに呼ばれたみたいな顔して……怖かった……ここからどこかへ行っちゃうんじゃないかと思って、そしたら私の意識もいつの間にかなくなってて……」
途中からしゃくり上げ始めた幼女を私は抱き締めた。
「ごめん」
「もっとあやまってよ……ッ!」
ヒックヒックとしゃくり上げながらメリッサは私の膝に乗る。
「もう、このまま私の所からずっと遠い場所へ行っちゃうんじゃないかって、こんどこそ置いて行かれちゃうんじゃないかって、そう思って……すごく怖かった……」
「うん……そうだよね、怖かったよね……」
今度こそ置いて行かれる、という意味がよく分からなかったけれど、私は渾身の力でメリッサを抱き締めた。
冷えた図書館の中で、私とメリッサの触れ合っている部分だけが火のように熱く感じられた。
「私達、これからどうなるの……?」
しばらく抱き合った後、メリッサが顔を上げる。
その顔はまだ涙に濡れたままだ。
「……トゥーレの魔女達はもう皆死んだんでしょ?」
「記録に残ってる魔女はね……でも私にも分からない。もしかしたら、今までの戦いは全て単なる前哨戦みたいなものだったのかもしれない」
そんな事は考えたくない。
でも。
マヌエルの声が脳裏に甦る。
『僕は、この世界を壊すために生まれて来た』
ああ、彼にとっては運命とは壊すべき鳥籠なのだ。
呪わしい定めでしかないのだ。
そして、彼はその運命を壊す『力』がある。
そう。
マヌエルは、魔女だ。
しかも、現状で最強の----。
確かにTの魔女ではないと自分でも言っていた。
だけど、私の敵となったのは間違いない。
そしてその敵であるマヌエルは----現法王ピウス十三世の中にいる。
バチカン最後の法王の中に。
「アイリス、お風呂入ろうよ」
メリッサが耳元でそう囁いてくれなければ、私はいつまでも椅子の上で固まっていた事だろう。
「あったかいお湯に入って、いっぱいキスしよ? ね?」
「や、そういうんじゃなくて……って……うん、そうだね……そうしよっか」
私達は顔を見合わせ、くしゃくしゃの顔で笑い合った。
とにかく温もりが欲しかった。
今ここで生きていて、愛する人と一緒にいるという実感が、堪らなく欲しかった。
「ありがと、メリッサ」
おでこにキスをして床に下ろすと、私は立ち上がる。
こんな場所にまで探針を差し込んで来られるまでに強力になったマヌエルの力に、私は、いや私達はどう立ち向かえばよいのだろうか。
今にして思えばあの火刑の瞬間こそが永訣だったのだ。
それ以降のマヌエルは----私の弟なんかではない。
私が愛し、護るべき存在はここにいる。
浴室は気のせいか、いつもより温かくて、身体を包むお湯は泣きたくなるくらいに優しかった。
私はまるで胎児にでもなったかのような気分で身体を丸め、大きく息を吐く。
「アイリス、悲しいの?」
ぴったりと肌をくっつけて来たメリッサが、私の顔を覗き込む。
「アイリスが悲しいと、私も悲しいの……なんでかな?」
「なんでだろうね?」
両手を広げてメリッサを胸の中に迎え入れる。
相変わらず薄い身体は、私の身体にぴったりくっついてまるでひとつだ。
「えへへ、あったかい」
私の心臓と、メリッサの心臓。
二つの鼓動がだんだん一つになっていく。
「ねぇ、私達、むかしはきっと二人で一人だったんだよ」
メリッサが不意に真面目な顔で呟く。
「だって……こうしていると、アイリスの色んな気持ちとか記憶とかが私の心臓に入って来るの」
「私の、記憶……?」
メリッサはふふっと笑う。
「そう、例えば一面の青いお花畑とか……広い海とか……初めて見るのにすごく……懐かしい光景なんだ……」
それは私にも記憶がある。
遠い昔の夢。
浅い眠りの終わりに不意に浮かぶ光景。
(私は……一体何者なんだろう……?)
その鍵を握るのはこのメリッサなのかもしれない。
それと、マヌエルと。
だけど、今は考えたくない。
メリッサは、私の最愛の存在だから。
私が何者であろうと、メリッサがその私にとってどんな存在だろうと、関係ない。
ただ今のこの瞬間の鼓動こそが、私とメリッサの絶てない繋がりなんだと心に刻んで----。
「……メリッサ、愛してる」
私は腕の中の愛らしい魔女に口付けする。
「ん…ッ、んんん……、わ、私もッ……!」
くちゅくちゅと必死に私の唇を貪るメリッサの白い額には、玉のような汗が浮いている。
きっと私もそうだろう。
このままだとまたのぼせるなと思いつつ、私達は一層互いを抱き締め合い、存在を確かめ合うようにして口付けを繰り返す。
濡れた髪が絡み合う。
流れる汗が混じり合う。
甘い唾液としょっぱい汗が私達の唇を艶めかせている。
いつ終わるとも知れぬ睦み合いだけが、私の心を癒していく。
「アイリス……大好き……ぃ……」
私達は互いを貪り合う。
何度も何度も。
まるで何かを永遠に誓い合うかのように----。




