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僕は、この世界を壊すために生まれて来た

 マヌエルは再び『罪』という言葉を使った。


 運命と、罪。


 この二つの言葉はしかし、何故かこの私の胸を深く抉る。

 息ができなくなるくらいに----。


「そんな説明じゃ分からないわ。パチェリとこの地球ほしの運命が、どうして私と関係あるの?」


 なりそこないの。

 何もできない。

 何の力もない。


 ただの、死なないだけの魔女だというのに。


 メリッサが私の服を力任せに掴む。

 マヌエルの存在を感じたのだろうか、悲し気な顔で首をぶんぶんと振り、何かを訴えている。


 でも、私には何も聞こえない。


 もう、この場所はマヌエルに支配されている。


 図書室という空間に流れていた時間が、ゆっくりと歪み始めるのが分かる。

 今この場所は、マヌエルの『世界』に取り込まれているのだ。


『……うーん、難しいね……正確に言うと、パチェリの、というよりは僕も含めたこの地球ほしそのものの運命と姉上は、深い関係にあるんだ』


 マヌエルはまだ何一つ理解していない顔の私を見ているのか、少しの間沈黙した。


『この前まで僕は、姉上と僕の運命を変えようとしていた』

「運命を、変える?」


 そうだよ、とマヌエルはとても優しい声で応えた。

 優しくて、でもまるで夜の森の中を一晩中歩いて来たかのような、疲れ切った声で。


『でも、それは徒労だった』

「運命は変えられるとは聞くけど……貴方の『力』さえあればできたんじゃないの?」


 意外な思いで私は問う。


 この地球ほしの運命はどうか分からないけれど、元人間だった姉弟二人の運命くらいならば、とっくに----。


『いや、駄目だったんだ……どうやっても『あの日』の僕達の運命は変えられなかった』


 でも、どうやって----?


『僕はあの時、どうやってでも姉上の手を取って逃げなければならなかったんだ……そうすれば僕達二人は殺される事はなかった……そう思ったんだ、最初は』

「それは、無理よ……」


 マヌエルは幼過ぎた。

 千切れるかと思うほどに伸ばした腕の先で、白く細い指が何度も何度も宙を掴むのを私はまざまざと思い出す。


 広場に集まった群衆も、彼らを見ている異端狩りの男達も。

 誰もが私達のその仕草を喜々として眺め、野次を放ち、怒号を浴びせた。


 実際には差し伸べ合った私達の指先は、あと少しの所で届かなかった。

 そして、そのすぐ後に火刑台に火が点けられて、私達は炎に包まれた。


 どれだけ逃れようとしても、初めから私達姉弟は焼き尽くす捧げ物に過ぎなかったのだ。

 それはあの小さな中世の町で突如開かれた燔祭だった。


 燔祭----。


 そうだ、あの街で、あの広場で、私達二人は初めから焼き尽くす捧げ物に過ぎなかったのだ。


 ユダヤ教の習慣である燔祭は、奇しくもHolocaustと呼ばれ、今では主に1933年から45年までのナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺を指すようになっている。


 歴史は繰り返す。

 何度も、何度も、ループする。


(……だったらなおさら、どうやって過去に戻れるというの?)


 額の奥で酷い頭痛がする。


「マヌエル、あの時点でどうしたって私達の運命は変わらなかったわよ……例え縄を解いて逃げられたとしてもすぐにまた捕まったわ」


 私達は憎むべき魔女だった。

 どんなことをしても見付け出されて再び、もしくは違う方法で殺されていただろう。


「そうだね……それはもちろん僕も分かっていた」


 メリッサが、私の服を握ったままいつのまにか膝からずり落ちかけている。

 眠ってしまったのだろうか。


 それとも----。


『大丈夫だよ、その子に酷い事はしない……少なくとも今はね』


 微かに含まれた冷たい響きに気付かなかった振りをして、なんとか動くようになった腕で私は幼い少女を抱き上げる。


『あの火刑は、青い薔薇の血筋に生まれた僕と姉上の運命だったんだ』

「……それを変えたかったの?」


 マヌエルは、ぽつりと答える。


「変えたかったよ。運命なんて、強者の理論でしかないからね」


 見えないはずなのに、マヌエルの瞳が暗く光ったのが見えたような気がした。


『だけど僕は諦められなかった』


 しばらくの沈黙の後、マヌエルは静かな声で続けた。


『そして、思い付いたんだ。これが世界だと言うのなら、運命だと言うのなら……全部壊して初めから作り直せばいいんだって』

「全部……壊す……?」


 私の弟は澱みなく続ける。


『燃やされて灰になり、川に捨てられ、海を漂いながら、僕はもう一度だけでいいから……姉上の指先に触れたいと思い続けて来た……そのために運命を変えるしかないと思い至ったんだ』


 運命を変える----。

 自分がそう思った事すらなかったという事実を突きつけられて、私は自分に驚く。


(私は……マヌエルを諦めた……? いや、そんな事は……だって、私はモルガナを……)


 モルガナを殺して、そして----。

 それが私の生き続ける意味で----。


『駄目だよ。モルガナを殺したって、僕達は再び会う事なんかできない』


 それはゾッとするほど平板な声だった。


『……もっとずっと、僕達が殺される前よりも遥か昔に遡らなければ……運命は、その運命が始まった瞬間にまで遡らなければ変えられないんだよ』


 あの穏やかで優しかった声が、いまはもう思い出せない。


『僕は未来を視る事はできない。だけどこれまで生きてきた魔女達の灰を海で、土の中で、大気中で、地上のあらゆるところから取り込み、記憶を共有し、この地球ほしの歴史を遥か昔まで遡れるようになった』


 こんなに静かに話しているのに、その抑揚は私の知っているマヌエルのものではない。


『あのニューロンの森で何千回も何万回も過去に遡って、気が遠くなる程の時間を経て、その事に僕はようやく気付いたんだ』


 ランプの炎が、消えた。


『僕はね、この世界を壊すために生まれて来たんだよ、姉上』


 その言葉を最後に、私の頭痛は、嘘のように引いていた----。

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