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1945年、法王ピウス十二世ヒトラーに宣戦布告す

 1939年に3月6日にピウス十二世が教皇登位後の挨拶状を最初に送ったのは、ヒトラーであった。


 前法王ピウス十一世が心臓病のために床に就き、近付いて来る死の足音を聞いている間に、既にヒトラーは帝国議会での演説で、教会に対する攻撃や弾圧を正当化し、更には教会が国家から受けている経済的な恩恵を強調していた。


 また同じ月には、仮に戦争に突入した場合はユダヤ人の絶滅フェアニヒトゥウングを実行すると明言している。


 そんな中、ナチ政府ならびにムッソリーニ政権に批判的であったピウス十一世は、1939年2月10日に逝去し、1939年3月2日にエウジェニオ・パチェリがピウス十二世が新法王として選出される。


 奇しくもこの日は彼の誕生日でもあった。


 バチカンを取り巻く状況は極めて深刻であった。


 法王庁とドイツ、そしてイタリアの関係は日に日に悪化し、ラテラノ条約及びドイツとの政教条約コンコルダートが辛うじて法王庁の独立性を保っていると言っても過言ではない状況だった。


 ピウス十二世がまず初めに行ったのは、ヒトラーとの関係改善であった。


 ピウス十二世ことエウジェニオ・パチェリは、前法王と違い、親ドイツ派であったことは周知の事実であった。


 ドイツ語に堪能で、駐バチカン大使のフォン・ベルゲンとは三十年来の親交があり、またドイツ大使時代の世話係のドイツ修道女をバチカンにても重用し、他にも身の回りの世話をする修道女や秘書官など側近の多くはドイツ人であった。


 ピウス十二世が親ヒトラーであり、ナチスの世界侵攻計画を黙認していたという説はこういった彼の行動から出たものであろう。


 確かにピウス十二世はラテン語ではなく、わざわざドイツ語でヒトラーに挨拶状を送り、ヒトラーからもこれに対し謝辞が届いている。

 ドイツ軍がチェコに侵攻を始めたまさにその時、ピウス十二世と総統ヒトラーとの間には新たな信頼関係が構築されているように見えていた----だろう。


 だが、それは表の歴史に過ぎない。


 ピウス十二世はヒトラー率いるナチス政権に対し、重大な懸念を抱いていた。


 それは、彼らが所持している魔女の灰、そして『生きた魔女』の処遇についてである。


「……この時点でバチカンとナチスの魔女研究の進捗状況はほぼ同じだった……か」


 そこまで読んで、私は目の付け根を揉む。


 うすぼんやりと灯るランプの光の中で、私は分厚い革張りの本を閉じた。

 気付いてみれば、図書室にもう何時間いたのだろうか。


 だが、深夜だと言うのに、私の目は冴えるばかりだった。


(もう一度時系列をはっきりさせないと、マヌエルの企みが全く見えてこない……)


 決して市販はされていない、バチカンの中でのみ綴られたこの小国の歴史は、覚悟はしていたが、始まったその瞬間から曇天の空のような印象しかなかった。


 以前は国務長官であったピウス十二世は、ロマノフ王朝の最期についても、ツングースカ大爆発の真相についても詳細な報告を入手していた。


(その彼が親ヒトラーを装ったのは、ひとえに魔女を守るためだったとしたら……?)


 私は再び本を開いた。

 

 ナチスの侵略行為に対し非難の声明を出さないピウス十二世は『沈黙の法王』という、これ以上はない失望と怒りの混められた名前で呼ばれるようになる。


 それでもなお、彼は公式にはナチスドイツに対して友好的な態度を取り続けた。

 まるで、何かから彼らの目を逸らせようとするかのように。


 そして、非難の声の中、ピウス十二世は同年12月のレセプションでドイツに対するドイツに対する深い行為と愛着は変わらないとドイツ大使代理に伝えた。


 そしてそのレセプションの後、自室に戻ったピウス十二世はヒトラーに宛てて自筆の書面を作成する。

 それはあまりにも短く簡潔で、そして強い決意の籠ったものだった。


『どのような国であっても、魔女に対する法的な所有権というものは存在しない』

『魔女が持つ『力』に人間が手を加える事があってはならない』

『魔女を近代戦に用いる事は、その国だけではなく世界の崩壊をも引き起こす』

 

 そして最後にこう付け足している。


『以上の項目のいずれかを破ったと看做した時、法王庁はナチスドイツに対し不可逆的な行動を起こす』


 それは、いわば法王によるヒトラーに対する直接の宣戦布告の予告ともいえるものであった。


 そして、その後ピウス十二世はナチスドイツ高官のヒトラー失脚計画を始めとする数々の失脚・暗殺計画の関係者と極秘裏に連絡を取り始めるが、公にはそれでも沈黙を続けていた。


 ポーランド侵攻も。

 イタリア英仏に対する宣戦布告も。

 ナチスの『安楽死計画』も。

 ソ連侵攻も。

 

 全てを知りながらもなお、対外的には沈黙していた。

 

 なぜなら、法王と言うのは政治的権力も軍事力も保持していないからだ。

 もし宗教的権威を剥奪されれば、その瞬間から法王はただの人間になってしまう。


 いや、バチカンに入り込んだナチスドイツの工作員にその命を奪われれば、ナチスドイツは息のかかった新法王を選挙コンクラーヴェで選出させるであろう。


 そして、新しい漁師の指輪が作られ、そこに別の名前が刻まれる----。


 そうなれば、バチカンはナチスドイツの傀儡を未来永劫続ける事となるに等しい。


 だからこそピウス十二世は沈黙を続けた。

 轟轟と響く非難の中でもその姿勢は変わらなかった。


 1945年、ナチスドイツが魔女を秘密兵器として使用するという極秘情報がもたらされ、ピウス十二世がベルリン外務省宛てにその阻止を明言した極秘電報を送るまでは----。


 ランプの炎が、ジジジと頼りない音を上げて細い煙を立ち昇らせた。

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