皇后アレクサンドラの苦悩と誤算
アレクサンドラ----アレクサンドラ・フョードロヴナとは、つまりニコライ2世の皇后であり、アナスタシアの母親だ。
アレクサンドラはロシア人ではない。
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世とイギリスのヴィクトリア女王の次女アリスの間の四女ヴィクトリア・アリックスとして生まれ、代父母はプリンス・オブ・ウェールズ夫妻であった。
更には母の死により6歳から12歳まで祖母ヴィクトリア女王に育てられたため、血統と育ちはほぼイギリス人という異色の経歴を持っている。
「家系図を辿って行くと、イギリスの王家や貴族は現在まで青い薔薇の血を濃く保っている……だが魔女としての『力』の発現は、不自然なまでに見られない」
「そうする事で血脈を保ってきたのね」
そうなのだ。
望んで魔女になろうなんて人間は一握りだ。
太古から連綿と受け継がれる血筋を守るという掟には従っても、自らその『力』を使おうと思う者は少ないだろう----その代償を嫌と言うほど知っているからだ。
「イギリスが国教会としてバチカンと距離を置いたのも、もしかしてそれが原因?」
「一応はな。キャサリン・オブ・アラゴンを離婚しようとしたヘンリー8世が、教皇に婚姻の無効を宣言するよう求めたにもかかわらず、教皇クレメンス7世がこれを却下したため、というのが教科書にある理由だ……だがこれは単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑なども絡んでいるから、政治的な問題の意味合いが強いな」
王権と教皇権の争いはあっても、イングランドの教会は中世を通じてバチカンとの一致を保ち続けていたのだ。
だからまだこの時点ではヘンリー8世はバチカンとは分裂する意図はなかった。
その後の経緯はしかし、雪崩のように一気に進んでいく。
1532年5月になると、イングランドの聖職者会は自らの法的独立を放棄し、完全に王に従う旨を発表、1533年には教皇上訴禁止法が制定され、それまで認められていた聖職者の教皇への上訴が禁じられ、カンタベリーとヨークの大司教が教会裁治の権力を保持することになった。
ヘンリー8世の言いなりであったトマス・クランマーがカンタベリー大司教の座に就くと、先の裁定に従ってクランマーが王の婚姻無効を認め、王はアン・ブーリンと再婚した。
これにより激怒した教皇クレメンス7世はヘンリー8世を破門。
ここにおいて両社の分裂は不可逆的なものになる。
ヘンリー8世は1534年に国王至上法を公布してイングランドの教会のトップに君臨した。
イングランドの教会を自由に出来る地位に就いたことは、ヘンリー8世が離婚を自由にできるというだけでなく、教会財産すら思うままにできるということでもあった。
「トマス・クロムウェルのもとで委員会が結成され、修道院が保持していた財産は国家へ移され、イングランド全土の修道院は廃墟と化した……彼はその苛烈さから修道士の鉄槌と呼ばれたわけだが、後にヘンリー8世によって処刑される」
「そういえばそうだったわね」
独裁者の皮肉な末路だ。
真の意味でのイングランド国教会のスタートは、1558年に王位に就いたアンの娘でメアリー1世の異母妹エリザベス1世の下で切られることになる。
エリザベス1世は教皇の影響力がイングランドに及ぶことを阻止しようとしていたが、それでもバチカンからの完全な分離までは望まず、破門される事もなかった。
イングランド国教会が正式にバチカンから分かれることになるのは1559年である。
議会はエリザベス1世を「信仰の擁護者」として認識し、首長令を採択して反プロテスタント的法を廃止した。
さらに女王は1563年の聖職者会議で「イングランド国教会の39箇条」を制定し、イングランド国内の国教会を強化した。
そしてイングランド国教会はバチカンと完全に袂を分かつ。
そう、エリザベス1世とは、テューダー朝第5代にして最後の君主----ザ・ヴァージン・クイーンその人だ。
「バチカンでは彼女を魔女呼ばわりする者も多かったが、彼女も発現はしていない……魅眼くらいは使ったかもしれんがな」
ラスプーチンは無学な狂信者ではない。
ロシア各地を転々としながらあらゆる言語や当時最新の科学知識、宗教の教義を吸収していったのは記録からも読み取れる。
そのラスプーチンが、イギリス王家の血族と出会う事になったのだ。
「初めはアレクセイの血友病を知り、アレクサンドラが青い薔薇の血筋だと確信したのだろう……だが、彼女の関心事は息子アレクセイにしかなかった。そしてラスプーチンの心霊治療を唯一のものとして信頼していた」
「つまり……例えば、息子を治すために魔女になれと言われたとしても、ラスプーチンさえいれば自分が魔女になる必要などないと考えただろうって事?」
皮肉な事に、バチカンから遠く離れたロシアの地にあっても、アレクサンドラは己の先祖の血塗られた歴史を決して忘れてなどいなかった。
東ローマ帝国の皇帝教皇主義の影響を受けたロシアという国において、皇帝は宗教的な指導者としての性格も強い。
その皇后が魔女になったとあれば、人心が離れるどころか王家そのものがバチカンの神敵として看做されてしまう。
どれほど息子を愛し、ラスプーチンに依存していたとしても、皇后アレクサンドラとしてはそれだけは絶対に越えてはならない一線だったはずだ。
「だから彼は次の手に出た」
「じゃあ、皇帝一家や貴族のために祈りを捧げた直後に売春宿へ行ってたっていうのは、王族以外での血脈者を探してたから?」
そう聞くと、アンソニーは「違うな」と答えた。
「王家にあそこまで入り込んでおきながら、売春婦の中から青い血を持つ者を探そうなんて効率の悪い事はしないだろう。それ以前にラスプーチンが好色家だったというのは後世で広められた嘘だぞ」
「うわぁ、情報戦怖い」
私はほんの少しだけラスプーチンに同情した。
こうして歴史は選別され、書き換えられていくのだ。
私の時のように。
「ロマノフ家に残された時間がない事を彼は知っていた。だからアレクサンドラの血を引いた四人の皇女達の内の誰か一人を魔女にするため、彼女達に近付いた」
ラスプーチンはアレクサンドラのみならず、皇女達までも誘惑したと言われているが、それはつまりラスプーチンによる『適合試験』が行われていたと理解していいだろう。
「で、最終的に一番幼いアナスタシアが適合したという事ね」
ラスプーチンは、いわゆる今でいうところのホースウィスパラーでもあった。
当時は暴力で馬を屈服させる方法が普通だったが、ラスプーチンは少年時代から言葉や視線だけで馬を動かし、暴れ馬も大人しくさせる力を持っていたという。
アナスタシアは幼い割にやんちゃで、姉を泣かせたり物を壊したりする事は日常茶飯事だった。
悪く言えば粗暴で、良く言えば悪意のない悪戯が大好きな少女だったのだろう。
(いや、前言撤回……アレは悪意の塊だったわ……)
もしかすると、アレキサンドラは無意識にそんな自分の末娘を捨て石にしようとしたのかもしれない。
(そしてアナスタシアもまた母に対して悪意を抱いていたとしたら……?)
わざわざアネモネの車椅子で登場した時のアナスタシアの目付きを思い出し、私は溜息をついた。
そんな彼女を大人しくさせ、手術で魔女になる事を承諾させたラスプーチンは相当な『力』の持ち主だ。
だからこそ----なのだ。
「アナスタシアに『力』を与える事の危なっかしさもラスプーチンは理解していた。だから『魅眼』の持ち主だと分かった途端、彼はアナスタシア自身の目を父親の目と取り換え、代わりに眉間に第三の目を作りそれを『魅眼』にした」
「確かに父親譲りの青い目とはあったけど、よく皇帝が手術に同意したわね」
今でこそ角膜移植は一般的だが、それでも眼球自体の移植は行われていない。
ましてや帝政ロシア時代、いくら父娘とはいえその手術は本当に無事に成功したのだろうか?
「ラスプーチンに言い含められたんだろうな。あとはアレクサンドラに説得されたのだろうよ……実質選択の余地などなかったはずだ」
「彼にかかれば皇帝も馬も同じなのね」
いくら『魅眼』であっても『力』を持たない者に移植すればそれは単なる眼球に過ぎない。
そしてまた必要になった時は----。
「アナスタシアが使えなかった時の一時保存場所、的な意味合いもあったのかしら?」
「そこまでは分からんが、最悪自分に移植するところまでは考えていたかもしれないな」
もしラスプーチンがアナスタシアの目を自分の物にしていたとしたら、ロシアの、いや、世界の歴史はどう変わったのだろうか?
『……変わらないよ』
マヌエルの声が、頭の中で響いた。
『だって、この地球の運命は最初から決められているからね』




