法王の資質
「戻ってから好きなだけ悲嘆に浸れ、まだお前の仕事は残ってるんだ」
相変わらず嫌味な男だ。
まぁ、バチカンのようなイカレた組織の頂点に立てるような男に、デリカシーだの人の心だのを求める気は、そもそもこちらもない訳だが。
「私の仕事? あとは奥の梯子で通路を使って外に出るだけでしょ?」
寝息を立てているメリッサを抱き上げ、床に敷いていたジャケットを羽織る。
しかし、それにしてもよく寝てる。
おかげでアネモネを殺す瞬間を見られなくて良かった。
(というより、殺した後に泣いたところを……かな……)
この子が目を覚ました時に私は笑顔でいられるだろうか。
いや、いなければならない。
恐怖や不安を経験してきたのは私だけではない。
だからこそ、この子にはだけは私の苦みを感じさせたくない。
私は深呼吸する。
「で、仕事って?」
「地上側の蓋が、内側から開かなくなってる」
簡潔かつ致命的な問題を告げる時も、この男は腹が立つくらいに声のトーンを変えない。
「それから、ここの自爆装置だけは独立して動いているのが分かった」
さすがに血の気が引いた。
「はぁッ!? なんでそれを早く言わないのよ!? ここにいるフォーブス400だかの常連も全員連れて出るんでしょッ!?」
「いや、それはない」
そう断言して、アンソニーはカプセルを顎で示す。
「バチカン関連の慈善団体に寄付した履歴があるのはこの中で二人。しかも資産の比率からして少額だ……資産の残りは全てTの口座に流れているから、まぁ只のカモフラージュだろ」
「え、じゃあここに残していくの……?」
トゥーレ協会というナチスの残党の養分になっているとはいえ、一応世界的にも名の知られた金持ちばかりだ。
それが一度に行方不明になるのは問題になりそうなものだが、まぁ、私がどうこう言う話でもない。
「で、自爆とやらが起こるまであとどのくらいなの?」
「それが、映画みたいにでっかい表示で残り時間を教えてくれるような親切設計じゃなくてな」
脱出口の蓋が内側から開かない。
自爆装置が動いているが、残り時間が分からない。
どちらも魔女の出る幕ではないと思うのだが、アンソニーはもう一度言う。
「お前の仕事は、蓋を開ける事だ」
「……ちなみに蓋の重さって、どのくらい?」
そうだな、と少し考えて、「ミサイルサイロの蓋を流用しているようだが、あれもモノによっては150トンくらいあるからなぁ」という答えが返って来た。
「それは人間の力では無理ね」
「ああ」
なるほど、それなら魔女の出る幕だ。
心当たりは一つだけある。
蓋を外側から開ける巨大な力と爪を持つ存在が、一つだけ----。
私はメリッサの手を握る。
温かい。
不覚にもまた涙が出そうになる。
「ねぇ、メリッサ……寝ているところ悪いんだけど、カルキノスを呼んでくれないかしら?」
「ん……んん……」
眉根を寄せて少女は小さく首を振る。
何か夢でも見ていたのだろうか。
「ね? カルキノス、って呼ぶだけでいいから、ね?」
使い魔を召喚できるのはその主人だけだ。
メリッサの代わりに私が呼び出す事はできない。
「う……ん……もう、食べられないから……」
そうじゃなくて!
「お願い、早くカルキノスを呼んでくれないと、ここが爆発して皆死んじゃうの……私達は死なないけど」
「この先数千年くらいここで埋まったままでいいならな」
部下達にハンドサインを出しながら、アンソニーが余計な補足をする。
「もぅ、なに……? カルキノス……って、いえば……いいの……?」
不機嫌そうな声でメリッサガそう言った途端、遥か頭上で、ドゴォォォンという落雷のような轟音が響いた。
(自爆装置……ッ!?)
だが、そうではなかった。
「蓋が開きました!」
モニターを見ていた隊員が叫ぶ。
「よし、撤収だ!!」
アンソニーの一声で隊員達が私達の後ろに整然と列を作る。
「プランB通り地上班にストライガを回収させる。次にお前達……私は最後に出る」
「え、一応法王でしょ? 先に出てよ」
法王は首を振る。
「諸々から推察して、まだ自爆まで猶予はある……私も一つ仕事を残しているからな」
そこまで言うなら好きにさせるしかない。
私は、むにゃむにゃ言っているメリッサを毛布ごと左腕に抱え、フルンティングを背負ったまま第四層の最奥へと走る。
(う、結構重い……ちゃんと上れるかな……?)
円形のシャフトに取り付けられた梯子は、拍子抜けするほど簡素で、細い。
とはいえ、やるしかない。
私がさっさと出ないと、スイス兵達が後に続けない。
「うわ……派手に開けてくれたわね……」
コンクリートの欠片だろうか、石礫のような物がパラパラと降って来る中、私は長い長い梯子の先を見上げた。
丸くぽっかり開いた穴のような、空が見える。
その空を覆うのは土埃と、半透明の巨大な蟹の爪----。
そして、その爪が、ゆっくりとこちらに向かって差し込まれて来た。
引き上げてくれるつもりなのかもしれないが、到底届く距離ではない。
(ダメだ……いずれにしろこの梯子を上らなきゃ……)
半ばヤケになって梯子に手をかけた私に、蓋からもぎ取ったのか、爪の先からジャラジャラと錆びた鎖が伸ばされる。
「カルキノス! やるじゃないの!」
心の底からの賛辞を浴びせ、私は鎖を右手首に巻き付けた。
これなら落ちる心配もなく一気に地上に出られる。
(……?)
不意に背後で新しい香油の香りを感じて、私は引き上げられながら振り返る。
後ろには隊員達しかいない。
空が、どんどん近付いて来る。
空気の流れが風になり、メリッサの毛布をはためかせる。
(……ああ、そういう事か……)
法王は今、第四層に一人残り、最後の仕事をしているのだ。
終油の秘跡----。
カプセルに閉じ込められたままこれから死を迎える富豪達。
その一人一人を、アンソニーは祈りと共に送っているのだ。
空気の匂いが変わる。
外だ。
(……バカみたい)
そう呟いて、私は地表へと勢いよく降り立った。
(ま、他人様の仕事をどうこう言える立場でもないけど)
目の前には、視界を覆い尽くすほどの半透明の巨大な蟹がいる。
そして、木々をなぎ倒すようにして落ちているダークグリーンの脱出口の蓋----。
目を移せば、蓋の接合部分だったらしき箇所が飴細工のように、ぐにゃりと千切れている。
(ひぇ……これが使い魔の力……)
助けられたのはこれで二回目だ。
内心慄きながらも、私は恭しくお辞儀をする。
「ありがとう……ご主人に代わってお礼を言っておくわね」
私の言葉が終わらないうちに、カルキノスの姿は掻き消えた。
残された鎖だけが重い音と共に地面に落ち、待っていたかのように回収班が私達に駆け寄って来る。
帰りもあの棺桶もどきに詰め込まれるのかと思うとゲンナリしたが、疲れ果てている今なら、もう棺桶だろうが死体袋だろうが何でも良かった。
高く舞い上がった土埃は雨雲へと変わり、既に雨が降り始めている。
私にジャケットを貸してくれた隊員が、無言で蝙蝠傘を手渡してくれた。
「……ありがとう」
私はメリッサの上に傘を広げてやる。
小さな魔女は今、どんな夢を見ているのだろう?
「法王の資質、か……」
いつだったか、アンソニーが私に問うた事がある。
≪法王の資質って何か分かるか≫
≪さあ?≫
あれはいつの事で、どこでの事だっただろうか。
それとも本当にあった事なのだろうか?
≪……どれだけ人を助けるか、とか、どうせそんなとこでしょ?≫
法王ピウス十三世は、片頬で笑った。
≪惜しいな……どれだけ人を慈悲深く殺せるか、だ≫
私がなんと応えたのか、それは覚えていない。
だが、今の私なら迷わずこう言うだろう。
ならば法王ピウス十三世こそがその資質を最も備えている、と----。




