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苦み

 アナスタシアとの壮絶な戦いは終わった。


 これでもう私達が第四層の中心部に入る事を妨げる者は、誰一人としていない。

 だが、私の中には苦い物が広がったままだった。


 温室中の毒草を煮詰めたって、きっとこの苦みに比べれば朝露のような味がするだろう。


(苦い……苦い苦い苦い……気持ち悪い……)


 勿論、灰へ化した皇女への同情などではない。


 想像を絶するような苦痛の中で悶えていた彼女を、ただ見下ろしていた後悔でもない。

 己の人生の無意味さへの絶望に共感した訳ですらない----。


 こんな事はずっと繰り返して来た事だ。


 何度も。

 何度も。


 魔女と言う名の『ヒトでないモノ』でありながら同胞を殺す。


 これからも、きっと。


 なのに、こんなにも舌が、苦くて熱い----。


 漆黒の色をした、私の舌。


 そして、やっと理解する。

 その原因は、私自身の奥にあるのかもしれないのだと。


『アンソニー』

『あ?』


 純白の扉の前で、眠ったままのメリッサを抱き締めたまま、私は確かに震えていた。

 こんな事は初めてだった。


『この扉を開いてしまったら、アネモネは……どうなるの?』

『……少なくとも、目が覚めてめでたしめでたし、って訳にはならないだろうな』


 そうだ。

 そうなのだ。


 ここから先はアネモネの領域なのだから。

 私とアネモネの対峙する世界なのだから。


 私とアネモネしかその結末は知らないのだ。


 法王にだって分かる訳がない。


 舌先の苦みが、遅効性の毒のように全身をゆっくりと回り始める。


『……さっき、アナスタシアは自分が死んだら脱出口が破壊されるって言ってたけど、このシステムのセキュリティーは単にそれだけではないはずよ……本当は知ってるんでしょ?』

『知ってたとして、教える義務はないな』


 あんなに血や汚物で汚れていた廊下は、有能なスイス兵達の手により、既に何事も無かったかのように磨き上げられたかのように白く光輝いている。


 雑巾の一枚から灰の一粒まで、アナスタシアだったモノは、厳重に封印され、全てがきっとサンプルとしてバチカンまで厳重に持ち帰られるのだろう。


 今までと変わらない。

 それがこのバチカンの裏の----いや、本当の歴史だ。


『……私は今までに色んな魔女を見てきた。そして、殺して来た』


 私は、そう、軽薄なまでに饒舌になっていた。

 沈黙の間に割り込んで来る輪郭のない、おぼろげな記憶を振り払おうと、喋り続ける。


『私より幼い魔女も、大した罪も犯してないような魔女も、命令通りに全て殺してきた』

 

 苦みが、嘲笑うかのようにして私の全身を支配する。

 それに抗うようにして、私は喋り続ける。


『だけど、アナスタシアは今までの魔女とは明らかに違う』


 アナスタシアが、初めからラスプーチンの手に寄って改造を施された魔女なのは知っている。


 ラスプーチン、またの名をグリゴーリイと呼ばれたその男は、聖書をほとんど知らず、読んだ事もないと言われている。


 ただ、聖母への憧れは強く、ロシアで聖人と言われる人物達や、幾つもの精霊否定派や無僧派宗、去勢宗派などの無数の異端宗派を巡って旅をしている。

ラスプーチンの独特ともいえる信仰とその力は、それらの教えを少しずつ取り入れていったものだ。

 更にはそこから洋の東西を問わず神秘主義と称される教義に魅了され、独自の宗教観・世界観を完成させた。


 いわば、彼もまた『魔女』だったのだ。

 もっと言えば、『魔女』の中でも更に異質の----。


『ラスプーチンは自分の死を予知してアナスタシアに第三の目を施し、本来なら眠ったままだったはずの魔女の力を目覚めさせ、革命を失敗させようとしたのよね?』

『ああ、だがそれは失敗に終わった』


 アナスタシアの弟、次の皇帝となるはずだったアレクセイは結局あえなく処刑された。


 でも、何故?

 何故アナスタシアは魔女の『力』で暗殺者達と戦おうとしなかったのか?


 私にはそれが引っ掛かっていた。


 人が魔女の力を発現させる条件というものは幾つか観測されている。


 簡単に言えば、それは激情だ。


 絶望。

 切望。

 怒り。

 妬み。

 憎しみ。


 なのに、なぜアナスタシアは、弟アレクセイを含めた自分達一家が処刑されるという極限状況で魔女にならなかったのか?


(……鍵は、恐らくラスプーチンだ)


 苦みを忘れようと、私は思考を回らせる。


 ラスプーチンという苗字は「破廉恥漢」を意味する語から生じてそれが崩れたものであるというのは、反ラスプーチン派のアレクサンドロヴィッチ一族が流した風説であると今では結論付けられている。


 だが実際には、この苗字は重大な意味を持っている。

 実際にはこの姓は「三叉路」を意味する「ラスプーチ」から来ているのだ。


 そう、移住してきたラスプーチンの父親が家を建てたのは、村の道が二股に分かれた場所だった。

 道の一方はチュメーニへ。

 もう一方はトボリスクへ。


 三叉路。

 そう、例えばローマにあるあのトレビの泉のように。


 生まれながらにしてラスプーチンは三叉路を往く者としての『力』を持っていた。

 それも強大な。


 だからこそ私には不可解なのだ。


 何故、ラスプーチンが第四皇女に施した『力』はロシア帝国を救えなかったのかと----。

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