少年グリーシャ
ラスプーチン----。
その男の生涯は謎に包まれている。
というのも、まともな記録がほとんど残っていないからだ。
ラスプーチン、本名グリゴーリイ・エフィーモヴィチ・ラスプーチンは、1871年7月ウラル山脈から東へ約250キロ離れた、ポクローフスコエという名のシベリヤの小さな村で生まれた。
シベリヤは、広大だった。
彼の生まれた村は隣の村と数百キロも離れており、そんな村が広大な土地に小宇宙のように幾つも点在していた。
幼い彼にとっては自分が生まれ、暮らす村が唯一の世界であった。
出る者もおらず、尋ねて来る者もいないこの小さな世界を作ったのは、他でもないラスプーチンの父エフィーム・ヤーコヴレヴィチだった。
元は帝室所管の宿駅の吏員であったが、耕せるだけの土地を自分の物にできるという植民政策に惹かれ、定住の地をもとめてこの地に辿り付き、創設者の一人として念願の小地主となった。
そんな、いわば父の造り上げた世界にラスプーチンは生を受けたのだ。
彼の生まれた年の一月にはシベリヤに巨大隕石の落下があり、後にこれこそが彼の神秘性を高める一つのエピソードともなっている。
彼は幼児洗礼を受け、ロシヤ正教会のキリスト教徒の一員に加わり、グリーシャという愛称で呼ばれるようになった。
しかし、彼が読み書きを覚えるのは大人になってからである。
彼の父は、学校というものは人間をふしだらにして真の信仰から遠ざける、という事を口癖のように言い、自分の息子達に正規の学校教育を一切受けさせなかった。
だから、少年グリーシャが最初に学んだのは、シベリヤで生きる技術だった。
タイガや川や原野で、彼は熊を殺す方法やトナカイの御し方、馬の調教を学び、森で採ったものを村の商店で換金する術も覚えた。
彼は馬の気持ちがよく分かり、言う事を聞かせるという特技も持っていた。
グリーシャにとってシベリヤの土地、すなわち自然は母であり、父であり、身体の一部だった。
しかし、そのシベリヤの川でグリーシャは兄であるミーシャを失っている。
まだ寒い4月のある日、兄弟で魚釣りをしていてた時に、兄ミーシャは足を滑らせ、川に落ちた。
その兄を助けようとしたグリーシャは自らも川に流され、偶然近くを通った農夫に共に救出されたものの、二人とも肺炎を起こし、兄のミーシャは息を引き取った。
弟であるグリーシャも危険な状況だった。
しばらくの間危険な状態と小康状態の間を行き来していた。
だが、ある日の朝、彼は突然ベッドの上に身を起こして叫んだのだ。
『ありがとうございます奥様! やっとお会いできました!』
そう叫ぶと再び意識を失い深い眠りについた。
再び目を覚ましたのはその日の晩で、グリーシャは心配する家族に対し、あの空色と白の服を着た美しいご婦人に会わせて欲しい。自分はあのお方から命令を授けていただかないとならないんだ、とうっとりしながら懇願した。
それが奇跡であると村に広まるのに、時間はかからなかった。
村の司祭は困惑しながらも、その美しいご婦人が再びグリーシャの前に姿を見せれば、その奇跡は本物の奇跡であると認めようと宣告した。
その後もグリーシャが回復するまでにはしばらく時間がかかった。
学校にはとうとう最後まで行かないまま、彼は大人達の手伝いをし、馬を調教し、日々の生活を生きる事に充足していた。
そんな彼の楽しみは、時折家にやって来るスターレツと呼ばれる放浪の修行僧や予言者が語る奇跡や聖人についての話を聞く事だった。
放浪の旅をしながら病人を治し、説教をする彼らスターレツに、グリーシャは猛烈に心惹かれるようになっていた。
だから少年グリーシャは父に告げたのだ。
僕は一番偉い修行僧になりたいんだ、と。




