コキュートスを渡れ
「どうだ? 開きそうか?」
「今カーラが潜って確認中ですが、難しいようです」
扉の前でノートパソコンを広げた隊員がキーを叩きながら首を振る。
どうやらこの最下層だけは、AIに管理させていない、ネットワークや他の機器に接続しないで単独で動作している(スタンドアロン)な領域のようだ。
(さてと、ここからが本当の地獄の最底辺になる訳ね……)
私はこれでも生前は敬虔なカトリック信者の部類だったので、地獄についても一応の知識はあるつもりだ。
中世の教会などでは、死者のほとんどは地獄に落ち、ごく少数の善行を積んだ死者のみが天国へと引き上げられると教える所が多かったようだ。
実際、教会でその話を聞かされた幼いマヌエルなどは泣いて怖がり、私は一度司祭に抗議した覚えがある----今にして思えば、もしかするとそれも私が魔女として審問を受ける理由の一つになったのかもしれない。
一般の人間は死後地獄に落ちるというこの考え方は新約聖書の記述からきているようだが、あくまでも中世の地獄観であり、ダンテの神曲に描写された九層から成る地獄や、シェークスピアのハムレットが言う告解のない死や、自殺者は地獄に落ちるという科白のイメージに強く影響されたものだった。
そのため、現在の地獄の定義とはだいぶ違う。
現在の教会は、1992年にヨハネ・パウロ2世の出した『カトリック教会のカテキズム』において『痛悔もせず、神の慈愛を受け入れもせず、大罪を犯したまま死ぬことは、わたしたち自身の自由意志による選択によって永遠に神から離れることを意味する』と定義した。
その上で『自ら神と至福者たちとの交わりから決定的に離れ去ったこの状態のことを地獄と表現する』と、中世の頃から見たら、かなりハードルを下げた説明をしている。
つまり、免罪符はもう売りませんという事なのだろう。
----じゃなくて、地獄とは場所ではなく、人間の心の状態であるとしたのである。
とはいえ、名前は違えど地獄は確かに存在する。
青い炎。
硫黄の匂い。
不死というおぞましい呪い。
この世界のどこかに必ず地獄は存在するのだ----魔女が確かに存在するように----。
しかしここが地獄の最底辺というのは、魔女を狩る魔女の私にはいかにもお似合いではないのか?
「……ダメですね、時間のロスが大き過ぎるので管理者に直接開錠させた方がいいとの事です」
「……よしアルファ、アネモネに開錠させろ」
感慨に耽っていた私にアンソニーの声が飛ぶ。
「分かったわ」
トゥーレ協会のAIシヴァでさえ管理の及ばないこの場所を司るのは、やはりアネモネしかいないのだ。
ドアを開けてもらうため、私はアネモネとの念話の回路を開いた。
『アネモネ、ドアを開けて』
『……気を付けて……私に……のは、警備の解除だけ……そこにいる……は、貴女……を、とても……で……』
シベリアとローマの距離とはいえ、アネモネの声は雑音交じりでほとんど聞き取れなかった。
それが本当に距離によるものなのか、もしくは衰弱によるものなのか----後者ではない事を願いつつ、私はゆっくりと開かれる両開きの扉を見詰める。
(ダンテの神曲によれば、確かコキュートスはギリシア神話において地下世界を流れる大河ステュクスの支流で、『嘆きの川』を意味していたはず……)
神曲の地獄において最も重い罪とされる悪行は、裏切りだ。
裏切者は死後コキュートスで首まで浸かり、永遠の氷漬けの罰を受けるという。
『……貴女は、裏切者だから』
突然脳裏に甦ったアネモネのその言葉にハッとなった途端、白い扉の向こうの光景が目に飛び込んで来る。
そして、キィキィと何かが軋むような音が、こちらへとやって来るのが聞こえて、硫黄の匂いが鼻を掠めた----。




