【キスの日特別編】 君の名は。
それは、何の予兆もなく起こった。
「……うーん、もう食べられないってば……」
今朝もまたベッドの隣で、頭からすっぽりとシーツを被ったメリッサがいつも通りの寝言を言いながら、もぞもぞと動いている。
毎回思うが、どういう寝相なんだ。
まぁ、とにかくいつもと変わらない穏やかな朝のひととき----のはずだった。
(……あれ?)
まだ寝起き直前の気怠い意識の中に漂いながら、ふと私はある違和感を覚えた。
「だから、もう食べられないんだってばぁ……」
「……ッ!?」
隣から聞こえて来たのは、間違いなく『私の声』だった。
(え? なに? これって私が寝ぼけてんの?)
よく、人間が自分で思っている自分の声と、実際に他人が聞いている声は違うと言われているようだ。 だが、いくら何でも大人である私の声と、まだ幼女のメリッサの声は間違いようがない。
(という事は……)
昔から人の声を真似て旅人を惑わせたり、住人を騙してその家に入り込む怪異などは世界各地に伝わっている。
今いる『コレ』もその一つ、あるいは魔女の誰かが差し向けた使い魔の類いだとしたら----。
(しまった、油断した……ッ!)
「貴女、誰なのよッ!?」
私は跳ね起き、勢いよくその温かい塊からシーツを剥ぎ取った。
「……はい?」
だけど、そこで丸くなって気持ち良さそうに寝ているのは、『私』だった----。
「……あれ?」
そして私は、自分の身体が随分と小さい事にやっと気付く。
白くて小さな手。
膝小僧の浮き出た細い脚。
子供特有のさらさらとした絹糸のような柔らかな髪。
私は自分の顔を両手で叩いてみる。
ぺチペチと張りのある、いい音がした。
「……ちょっと、せっかくいい夢見てたのにぃ」
目の前で『私』が目を擦りながら身を起こすのを、私は唖然として眺める。
「……わ!? なんで私がいるの!?」
今度は水に落ちた猫みたいな顔をして『私』が仰け反る番だった。
仕草はあまり私らしくはない、と思う。
「なんで!? って、ちょっと! 貴女なんで私の格好してんの!?」
いやそれは私も聞きたい。
「返してよ! それ私の身体だよ!?」
ベッドの上に立って物凄い勢いで私の肩を掴んで揺さぶる。
痛い。
「ま、待って……待って、一旦落ち着こう、ね?」
ほとんど覆い被さらんばかりの『私』を、私は慌てて手で押しとどめる。
こうして見ると、私達の身長差ってかなりあるんだなぁ。
「まずは状況を整理しましょう……ね!?」
「……私、どうなっちゃったの?」
やっと私を解放した『私』は人の話も聞かずに自分の身体を眺め回し、あちこち触っている。
あっ、胸はいいから! そんな念入りにもぎゅもぎゅ揉まないで!
「ええと、まず……互いの名前を……」
そう言うと、『私』は自分の胸を鷲掴みにしたまま「だからメリッサよッ!」と即答した。
「私は……あの、アイリスなんだけど」
「……って、ホントに?」
一瞬の沈黙がながれ、それから私達は揃って叫ぶ。
「もしかして私達……」
「入れ替わってる……!?」
ベッドの上にへたり込み、私とメリッサはぽかんとしたまま互いの姿を眺めた。
(……なんでこんな事になっちゃったのよ?)
心当たりはない。
いや、もしかしたらある----かも。
『アンソニー、今時間ある?』
『法王に一秒たりとも暇な時間などあるものか……で、朝っぱらから何の用だ?』
念話だと声帯を使わないからなのか、私の声はちゃんと私の声として伝わっているようだ。
『例えばなんだけど、朝起きたらいきなり互いの身体が入れ替わったりとかっていうのはありうる話?』
『はぁ? 寝ぼけてんのか? 朝っぱらからしょーもない話して来るな! この腐れ魔女!』
すみません間違いました、と私は念話を切り、大きな溜息をつく。
「ねぇ、私達どうなっちゃうの……?」
ひどく不安そうな声で『私』、いや、メリッサが聞いて来る。
「うーん、意識が入れ替わっただけだから、とりあえずは実害はなさそうだけど……このままなのはまずいわよね……」
原因が分かれば対処できるかもしれないと言いかけたが、適当な事を言うのはやめる。
(原因があるとすれば、ラボで受けたメンテナンスな気が……)
私とメリッサは作戦実行後は必ず回収班によってラボまで連行され、そこでメンテナンスとやらを受ける事になっている。
その時々でメンテナンスの内容は少しずつ変わったりするのだが、
(……アレかな?)
先日、私とメリッサは珍しく一緒に同じ部屋で同じメンテナンスを受けた。
(何だっけ? 確か人格のコピーを電子的に複製するとかなんとかいうヤツだったはず……)
要は、メンテナンスというよりは実験だ。
並んで座った私とメリッサは頭に半円のヘルメットのような物体を被せられて、互いのそれをコードで繋いだり、物体を交換させられたりしてよく分からないまま脳波を測られたりしていた。
(……うん、アレだわ。間違いない)
推測するに、その実験を行った事で、何かの拍子で互いの人格が入れ替わってしまったのだ。
とりあえず今はそれしか説明がつかない。
「メリッサ安心して……これはラボに行けば多分元に……って、わッ!?」
私の格好をしたメリッサが思い切り飛び付いて来たので、私はそのままべッドに押し倒される。
私の身体ってこんなに重かったんだ、と驚くのと同時に、自分の顔がすぐ目の前に突き出される。
「ちょっと!? な、なんなの!?」
「へへへッ、これってラボで元に戻るんでしょ? だったらその前に……アイリスの事、いっぱい可愛がってあげるね!」
あ、これアカン展開----と思う間もなく、ギュッと抱きしめられて唇を奪われる。
「んッ、んんん……ッ!?」
ジタバタしても、全然腕から抜け出せない。
柔らかい量の胸が、私の胸元をしっかり抑え込んでいる。
「んあッ、メリッサ……ッ、まだ朝ご飯じゃない……って……」
「分かってるよ、朝ご飯は、んッ……今日は遅くても大丈夫だよ……」
いや、そうじゃなくてですね。
「私って、アイリスから見るとこんな小さいんだね……なんかズルいなぁ……」
「そんな事言われても、はぁ……ッ、メリッサもこのくらい……んッ、ぷはぁ……ッ、大きく……なるわよ……」
クローンは、どこまで成長するのだろう。
クローンはいつまで生きるんだろう。
メリッサが私と同じ背丈になったとしたら、その時私は、どうなっているんだろう----。
色んな考えが頭の中をぐるぐるしているけれど、それもすぐに拙いけれども甘いキスで蕩かされていってしまう。
「ねぇ、メリッサ……」
「……なに?」
メリッサが、やっと私を抱き上げて起こしてくれた。
私は私の姿をしたメリッサの両膝に乗っかる形になる。
「……私、貴女が大人になるまでちゃんと守るからね?」
紫色の瞳に、小さな私が映っている。
子供の頃の私に生き写しな、黒髪の少女が----。
「……もしこのまま元に戻らなくても?」
「ちゃんと戻るし、たとえ戻らなくても何とかするわよ」
私がそう言うと、メリッサは再び私をギュッと抱き締めた。
「えへへ、ありがとう」
そう言って相好を崩した自分の顔は、でも、ちゃんとメリッサの顔だった。
「じゃあ、元に戻るまでいっぱいキスしよ……?」
「へ?」
逃げようとべッドに片手をついた私を、メリッサは苦もなく抱き寄せる。
私の腕力に、この小さな身体が敵うはずもなく----。
「んはぁッ、もうダメだって……ッ、んッ……んんッ」
私は再び自分の顔をした魔女に食べられてしまうのだった----。
「……あれ?」
「……もしかして、元に戻ってる……?」
ちなみにその日の昼頃、私達はまた何の前触れもなく互いの身体に戻っていた。
その後めちゃくちゃアンソニーにクレームを入れた。




