バーバヤーガの森
あのマンモスがまだ生きているだなんて、この辺りだけ時空が歪んでいるとでもいうのだろうか。
まぁ、魔女に関係している場所ならば、あるいはそんな事もあるのかもしれないけれど----。
「オカルトマニアどもがよく言うには、1940年代に軍のパイロットが深いタイガの上を飛行中、マンモスによく似た毛むくじゃらの動物の群れを目撃したらしい……もっと最近だと1978年、タイガを探索していたある一行が十数頭のマンモスが川辺で水を飲んでいるのを目撃したそうだ」
「……なんだ、最近って、もう半世紀前じゃないの」
ちょっと拍子抜けしたが、よく考えてみればそれでも十分凄い。
中世生まれの私が21世紀に生きてる事よりも、もっと凄い。
いや、本当だったら----の話だけど。
「……どうせ、それもオカルトマニアの与太話なんでしょ?」
とはいえ、マンモスの話を荒唐無稽と笑い飛ばすにしては、この大穴の雰囲気は異様だ。
さっきから変な鳥肌が二の腕に立っているのが分かる。
「ま……聖地でも忌地でも、我々にとっては究極的にはどちらでも同じ事なんだがな」
「いずれにしてもこの場所、私は長居したくないわね」
まるで地獄巡りのような長い長い降下に私はゲンナリしていた。
地獄が第何層まであったか思い出そうとしたが、そんな気の重くなる事よりも、今この瞬間頭上をマンモスの群れが、のしのしと歩いていると妄想している方が、まだくだらなくも気晴らしになるというものだ。
(昔から普通と違う土地だったという事は、このツングースカにも魔女がいたんだろうか……?)
魔女が原因の磁気異常が生物に影響を及ぼす事を考えれば、その可能性もある。
人里から遠く離れたこのタイガで、もしかすると法王庁も知らない魔女がひっそりと暮らしていたのかもしれない。
(魔女……バーバヤーガ、か……)
バーバヤーガとは、スラヴ民話に登場する森に棲む魔女の事だ。
その姿は人間離れしており、身体は骨と皮だけ、脚は剥き出しの骨だけだという。
人間を襲い、鶏の足の上に建った小屋に暮らし、庭や家の中は人間の骸骨で飾られているというからそれは魔女というより化け物の類いな気もするが、移動する時に臼に乗り、地上をずるずると移動するというのは一般的な魔女に似ている。
手に持った箒で臼が移動した跡を消しているというのも、魔女らしいと言われれば魔女らしい行動かもしれない。
(自分の『力』を使った形跡を消していく魔女か……なんか、この地獄みたいな隠れ家にぴったりな魔女だわね)
「止まりませんように……止まりませんように……」
目をつぶったまま必死に唱えているメリッサが可愛いという事だけ考えていようという心境になった頃、今まで土塊だった壁が、不意に一面真っ白なつるりとした金属製のものに変わる。
遂に、スースロフの漏斗の底へと続く入口に来たのだ。
『磁気異常の発生源、移動停止しました』
『敵部隊は第四層への進入路を通過している模様です』
やっぱり、第四層の内側からしか開けられないような通路があるようだ。
入口を開け、部隊を引き入れたのはカーラに制圧されたはずのAIか、それとも、もう一人の魔女、仮称バーバヤーガか。
(アネモネは今何をしてるの? このまま静観しているの?)
それとも磁気異常の発生源が一つしかないという事は、アネモネの本体は本当に脳が休止しているような状態なのだろうか?
(いや……最初にアネモネが地下室まで入って来た時、庭園局は気付かなかった……! つまり、あの時アネモネは『力』を使っていたのに磁気異常を起こさなかった……つまり、彼女は自分の脳波を完全にコントロールできる魔女だった……!?)
それって実はこの時代においては最強に近い『力』じゃないのだろうか。
同じ魔女と呼ばれながら大剣で敵を斬るしか能のない私よりも、強い。
(法王の剣、なんて呼ばれてるけど……普通に戦っていたとしたら私、瞬殺だよね……?)
「どうした? 何かあったか?」
「いや、何でもない……ちょっと考え事をしてただけ」
怪訝そうな顔のアンソニーに、私は慌てて取り繕う。
そういえば以前にアネモネが接触してきた事を、私は報告していないのだ。
今ここで言ったとしても、なんでもっと早く言わなかったのかとなるのが目に見えている。
(いや別に、仲間意識とかそんなんじゃないけどね……)
そんなんじゃない。
でも----。
法王庁の手に掛かり地下に幽閉されていた魔女の中でも、アネモネだけはどこか違っていた。
魔女でありながら、人よりもか弱く儚い存在に思えて、何かあったら必ず手を差し伸べたくなるだろうと思わせる、引力のようなものを纏っていた。
どんなに強い魔女でも----いや、強い魔女だからこそ、その悲しみや苦しみは深かったのかもしれない。
私が復讐だのなんだの言っていたのを、彼女はどんな気持ちで聞いていたのだろうか。
今となれば、恥ずかしくなるくらいの業のようなモノをアネモネは一人で背負い続けて来たのかもしれない。
(アネモネ……)
彼女は今ラボにいるのだろうか。
自分の肉体から遠く離れて、何を思っているのだろうか?
「この作戦、絶対に成功させるわよ」
「当たり前だ」
(この先にいるアネモネの本体が自分では動けない状態だとしたら……それも踏まえた戦い方をしないとトゥーレからの奪還が難しくなる)
今日ここでアネモネの本体を取り返せなければ、多分、次はない。
しかしもう一人の魔女も、今度こそ灰にしなければ次はいつ現れるのか分からない。
(ああもう……! 厄介過ぎる!)
メリッサは既に気力を消耗したのか、死んだ目になっているし。
それでも、やるしかない。
『磁気異常の範囲内に、敵兵が全員入りました……数値、上昇を続けています!』
オペレーターの緊迫した声に送られるようにして、私達のゴンドラは、白い壁に隠されていた通路に吸い込まれる。
「到着だ」
通路の先には、同じく何の表示もない真っ白なフロアが広がっていた。
ラボのエレベーターフロアより少し広いという感じか。
そして、アンソニーと同じ装備の隊員達が十名、整列して指揮官を出迎える。
命令通り全員対魔女用の特殊なゴーグルを装着している。
「今からこいつらと一緒に突入する。小隊だが精鋭だ」
「期待してるわ」
彼らからは仄かに不似合いな香油の香りが漂っていて、庭園局所属のスイス兵だと分かる。
「このドアの向こうが中枢部のようです」
隊長らしき壮年の兵士が敬礼しながら説明する。
「よし、何が出て来ても絶対に裸眼で見るなよ? 今度の魔女は恐らく『魅眼持ち』だ。同士討ちだけは絶対に避けろ! アルファは何があっても必ず守れ、だが攻撃されたらオメガを盾にして必ず生き延びろ!」
待て、最後酷くないか?
まあ備品扱いだから今更別にいいんだけどね。
「あっハイ……それじゃよろしく」
私の気の抜けた挨拶に全員が無言で頷き、ライフルを構えてドアに対峙した。
息を呑んで、私はその様子を見詰める。
これから、法王によるバーバヤーガとの聖なる戦いの火蓋が切られる----。




