スースロフの漏斗
「……今日はエイプリルフール? それともハロウィンだったかしら? ごめんなさいね、あんまり長く生きていると今日が何日なのかも忘れちゃうのよ」
普通は法王は特殊作戦装備に身を包まないし、そもそもロシアのタイガに突っ立ってなどいない。
だいだい私はこの寒い中普段通りのパンツスーツだというのに。
メリッサも、例のコートにランドセルという標準装備だ。
「それとも、これも仮想現実ってやつ?」
私は何度も目を擦った。
首と両腕に嵌められたベルトが少々鬱陶しい。
「残念ながら現実だ」
やはり、ピウス十三世本人だ。
しかも若干不機嫌そうに両腕を組んでいる。
「……ヒマなの?」
「天下の法王様に一番最初にかける言葉がそれでいいのか?」
<棺桶ともリンクは全て切断>
<意識レベルはクリア、バイタル安定……戦闘準備は完了>
見れば、周囲には似たような装備の男達がずらりと勢揃いしている。
どこかからヘリの音が近付いて来るのが聞こえる。
<フルンティングの反応良好です>
「なら、天下の法王様は足手まといになりにわざわざ来た訳じゃないんでしょ?」
私は髪を掻き上げた。
タイガの風は、そうだ、あの黒い森の匂いに少しだけ似ている。
「足手まとい? この私がか?」
法王がフッと笑う。
「たまには火薬の匂いを嗅ぐのも悪くないぞ?」
「私は嫌よ」
ベルリンの地下で散々嗅いだ匂いだ。
硝煙と。
鮮血と。
まだ微かに漂っている煙草の匂いと。
死の匂いが、鼻腔の奥に甦って来る。
そして、同じような科白を聞いたのも、またベルリンだった事を私は思い出す。
「アンソニー、貴方……前世の記憶があるって事?」
「全部じゃないさ、記憶自体は断片的だ……だが、身体は動きを覚えている」
その言葉を私は否定できなかった。
「そうね……それは私も同じだわ」
<警戒設備全て解除>
<突入班、スースロフの漏斗に入りました!>
<バーバヤーガの部屋までの第一層突破!>
「……貴方は、これまでに何人の生を生きて来たの?」
「それは分からんな……連合軍の部隊にいた頃の記憶が少し残っているくらいだ」
80年前のあの日に若き将校アンソニーだった法王ピウス十三世は、微かに唇を歪めた。
<第二層間もなく突破!>
法王の後ろの男達の空気が、変わった。
私の横に立つメリッサも唇が引き締まっている。
「……いよいよ突入が近いな」
ヘリの音が近付いて来る。
何かを重たげに釣り下げた軍用ヘリの音が----。
「フルンティング!」
私の頭上に、腐食した大剣が揺れている。
<リンク正常>
<5秒後に切り離します>
私は大剣に向かい両腕を大きく広げる。
右の掌が、火のように熱い。
「おいで!フルンティング!」
真っ直ぐに落ちて来た錆びた大剣は、私のすぐ足元に深々と突き刺さった。
それを私は一気に引き抜く。
大剣は、たちまちのうちに光り輝く銀色の閃光となって私の手に収まった。
<第三層制圧に成功しました!>
オペレーターの声に、アンソニーはニヤリと笑った。
「よし、それではこれから魔女の巣に潜入する」
その声は聖職者というよりは軍曹のそれだった。
「今からたっぷりと庭園局の仕事のやり方ってヤツを見せてやるよ、腐れ魔女ども」




