fragment 16
その爆発は、あまりにも凄まじまった。
とても人間が起こせる規模などではなかった。
爆発の影響を受けたのはツングースカだけではない。
そこから1,000キロ離れた家の窓ガラスも割れた。
爆発によって生じたキノコ雲は、数百キロ離れた場所からもはっきりと目撃された。
イルクーツクでは衝撃による地震も観測されている。
爆発から数夜にわたってアジアおよびヨーロッパにおいても夜空は明るく輝き、ロンドンでは真夜中に灯を付けなくても新聞を読めるほどであったという話も残っている。
しかし、一体何が起こったのか誰にもわからなかった。
ごく一部の組織の人間を覗いては。
誰もがこの世の終わりだと思っただろう。
それはそうだ。
ちなみにマンハッタン計画という名でアメリカが原子力爆弾の開発に着手したのが1942年である。
1945年7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠ホワイトサンズ射爆場で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行された。
このトリニティ作戦という名前はキリスト教においては三位一体説を示している。
作戦名を付けたロスアラモス研究所長のロバート・オッペンハイマーは、かつて交際していたジーン・タットロックという女性を通じてジョン・ダンの作品に触れたが、彼女は1944年7月に自殺している。
ジョン・ダンが死の直前に書いた詩にはこうあった。
「'As West and East / In all flatt Maps—and I am one—are one, / So death doth touch the Resurrection.' ("Hymn to God My God, in My Sicknesses")」
オッペンハイマーは、こうも述べている。
『この詩には三位一体に関する記述はありませんが、ダンが書いた別のよく知られている賛美詩は次の一節から始まります。「'Batter my heart, three person'd God;?.' (Holy Sonnets XIV)」これ以上の手掛かりは私も持ち合わせていません』
人間は、ツングースカから37年後に神の名で大爆発を起こした。
ちなみに37という数字は、数秘術では重要な意味を持つ数字だ。
『3』は開花や創造性を表し、『7』は霊的な領域』『新しいサイクル』を意味する数字である。
また、数秘術は更に二桁以上の数字を足していき、最終的に一桁の数字へと還元する。
還元された数字は『1』
そう----物事の始まりを表す数字となる。
全ての始まり。
物事の種子。
新しい世界。
新しい秩序。
様々な物が己の望む様々な意味をこの数字に求める。
だが、僕は知っている。
それは、全ては一つであるという、揺るがない真実だ----。
果たして、オッペンハイマーはその事実を知ったうえでこの実験に臨んだのだろうか?
トリニティ実験での爆発の衝撃波は160キロ離れた地点でも感じることができ、キノコ雲は高度12キロに達した。
当時のニュースでは、実験場から240キロ西にいた森林警備隊員が「閃光の後に爆発音と黒い煙を見た」という証言を報じている。
また実験場から北に240キロ離れた場所にいた住民は「爆発で空が太陽のように明るくなった」と述べた。
その他の報告では、320キロ離れた場所でも窓がガタガタと鳴り、爆発音が聞こえたと言われている。
オッペンハイマーは、この爆発を目の当たりにして、ヒンドゥー教の詩篇『バガヴァッド・ギーター』 の次の一節が心に浮かんだ、と後に述べている。
『我は死なり、世界の破壊者なり』
だが、ツングースカでの爆発は、その破壊力に置いて原子爆弾以上であった。
トリニティ実験が死の体現であったとすれば、ツングースカでの爆発は世界の変容をもたらす使者であったと言えよう。
ツングースカで初めての現地調査がようやく行われたのは、ロシア国内の政情不安が抑えられ、ソビエト社会主義共和国連邦が成立してからである。
爆発から既に13年が経過していた。
鉱物学者レオニード・クーリックを中心とするソ連科学アカデミー調査団によって行われた聞き取り調査から、落下する火球が目撃された事、衝撃音が約20回連続して聞こえた事が報告され、最終的にツングースカでの爆発は隕石の落下による森林火災であると結論付けられた。
しかしながらそれは大きな欺瞞であった。
2013年、ウクライナ、ドイツ、米国の科学者のグループが、当時の泥炭の地層より隕石を構成していたと見られる鉱物を検出したと発表した。
これによって爆発は隕石が原因だったと改めて特定された。
まるで、この問題にはもう誰も触れてはいけないと念を押すかの如く。
発見されたものはいずれも炭素の元素鉱物であるロンズデーライト、ダイヤモンド、石墨の混合物で、ロンズデーライトの結晶中にはトロイリ鉱とテーナイトも含有されていた。
ロンズデーライト、トロイリ鉱、テーナイトは地球上にはほとんど存在しない鉱物であり、これらは隕石が落下したことを支持する証拠として十分とされた。
地球表面にはほとんど存在しないイリジウムの検出もこの説の有力な根拠とされている。
だが、その報告は、この爆発についてほとんど説明していないのも同然であった。
爆発の跡は羽を広げた蝶のような形をしている。
そのため爆発跡の形はツングースカ・バタフライと呼ばれている。
ツングースカ・バタフライは爆発の衝撃波と斜めに高速移動した衝撃波とが合成された衝撃波により生成されたとされているが、未だに疑問を呈する声も多い。
ツングースカ・バタフライの地下では特定が不能な物質がまだ幾つも存在しているが、調査は事実上禁止されている。
また隕石が落下したとされる地点の周辺では、現在でも樹木や昆虫の生育に異常が見られる。
あるものは成長が幼生のまま停止し、あるものは逆に異常な速度の成長を遂げる。
また、爆発後に発生したとみられる新種も数多い。
しかしそれらの生物の研究はほとんど行われてはいない。
彼らは一体何を隠蔽しようとしていたのだろうか。
答えは、爆心地にあるクレーター『スースロフの漏斗』である。
氷雪地形の一種のサーモカルストであるとの説明はされているが、それこそがツングースカの爆心地----いや、もっと正確に言えば極秘実験の痕跡だ。
『魔女』の灰が撒き散らされた痕跡だ。
『寒冷地気象観測所』に連れて来られた少女達には透視術やテレパシー、念動力など、西洋ではいわゆる『魔女』と呼ばれるような少女達ばかりであった。
彼女達の『力』の獲得の経緯は様々だろう。
しかし、黒い森の前で火刑に処され、ライン川とドナウ川の分水嶺に灰を振り撒かれた僕の灰は、数百年の時を経ながら魚や鳥を介し、時には人そのものに運ばれるようにして少しずつ少しずつ集まっていた。
その媒介者の多くがツングースカに集められた少女だったのだ。
彼女達はロシア国内からだけではなく、周辺国からも連行されて来ていた。
ある少女は木苺を食べた時に僕の灰の一部を取り入れ、ある少女は母親の血から灰を受け継いだ。
そんな少女達の持つ灰を集めたのが、その球体だったのだ。
研究所の人間達は、その球体に少女達の血中の灰を集約させることで巨大な計算機を作るつもりのようだった。
爆発後スースロフの漏斗に唯一残された球体に、少女達の持つ僕の灰は取り込まれていた。
そこで僕は初めて僕という人格をはっきりと認識できるようになったのだ。
僕はツングースカの爆発のおかげで、この地上に不完全ながら戻る事ができたのだった。
トゥーレ協会やオカルト主義者達は、いまだにこのツングースカにあるスースロフの漏斗を聖地として崇めている。
だが彼らは知らない。
彼ら以上に、この僕にとってスースロフの漏斗とは転機となった重要な場所の一つなのだという事を----。
そして僕が再び世界の変容を始めるための、はじまりの場所だという事を----。




