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智天使と共に

 偽りの祈りを唱え続けているNPC達の間を縫うようにしながら祭壇に近付くにつれ、白い聖母の様子がはっきりと見えてきた。


 聖母の足元には私の抱えているのと同じ純白の百合が大量に捧げられ、さながら一面の花畑のようだ。


 その周りには警備用なのだろうか、シスターのようなベールを被った女性達が数人、跪き、恭しく祈りを捧げている。


 だがもちろん、今なら分かる。

 彼女達も全てNPCだ。


 カーラの目で見なくとも、もう私にはこの世界の本当の姿が分かるようになっていた。

 いや、もしかすると視覚のリンクを切ったというのは嘘かもしれない。


 私は祭壇へ向かう脚を速める。

 応えるかのように、ルートを示す青い光がその強さを増す。


(生きてる……彼女だけは、本当に生きている……!)


 聖母アネモネは私を呼んでいる。

 私に、助けを求めている。


(あと少し……今、行くから……!)


 そう心の中で叫んだ途端、


『アイリス、状況が変わりました! プランC発動により貴女の全脳領域を私と完全リンクさせます!』


 カーラの言葉が終わらないうちに、視界に大きく真紅の警告アラートが映る。


『ちょっと! 何したのよ!?』

『私の視覚野と100%同期させました』


 凄まじい勢いで私の視界が再び青と白のデジタルな物に変化していく。


 しかも、今度は格段に脳に入って来る情報量が多い。

 どこを見ても聖母の姿以外は、膨大な量のデータの塊だ。


(うわ……さっきのは、アレでもまだ初心者向けだったのね……)


 今の私の目は、完全にAIの目だ。


 聖母の足元の百合は、その一輪一輪が信者達の詳細な経歴や資産のデータだった。

 なるほど、私の抱えている百合も、見ればどこかの一家の預金口座の中身や所有している会社の資産状況といったデータに変わっている。


 これらの情報は全てトゥーレ協会に把握され、寄付という名目で吸い上げられていくのだろう。


(うッ、眩暈が治まらない……今度こそ吐きそう……!)


中世生まれの女がこんな電脳世界にいる事にそもそも無理があるのだ。

まだ意識がある事自体が奇跡だと思う。


『カーラ! こんな事したら今度こそ機能障害が起こるんじゃなかったの!?』

『カウントダウンの間だけなら耐えられます……理論的には』


 はぁ!?


『カウントダウンって、え、何? もう始まってるの!?』


 だが、もうカーラは答えない。

 法王庁のAIは、既に戦闘を開始していたのだ。


(金色の光が幾つも見える……あれって、カーラの分身!?)


 気が付けば電子の地雷原の中を小さな光が飛び回っていた。

 本体のAIであるカーラを支援する、ミニ版のAI----智天使ケルビムだ。


『そうです、タウロスとレオンにアクィラ……彼らが私のアシストをしてくれています』


 ケルビムとは、『ディオニュシオス文書』(Corpus Dionysiacum)と呼ばれる一連の神学的文献群において第二位の階級に位置付けられている天使である。


 旧約聖書の創世記3章によると、主なる神はエデンの園からアダムとエヴァを追放した後、彼らが永遠の命を得てしまわないように命の木への道を守る事にした。

 そのためにエデンの東に置かれたのが、回転する炎の剣と、このケルビムだと言われている。


 ケルビムは四つの顔と四つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある。

 契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。


 それほどまでに神に近しく、その姿を見る事ができる高位の天使ではあるが、本来個別の名前は持たない。

 だが、ここのケルビム達にはそれぞれ個性があり、自ら思考し自律的に行動する事が可能なようだ。

 更には記憶と経験を並列化する事で常に成長している----それらの事を一瞬にして私は理解する。


(この感じ、今の私はどこまでが私なんだろう……?)


 いつしか私は平静を取り戻していた。

 

 不安はない。

 それよりも、経験した事のないスケールの全能感が私の全身に満ちている。


《ドーム緊急封鎖されます!》

《脱出経路を3ルート確保! ウクライナの衛星経由で信者達の資産データを抽出中!》


 小さな智天使達はトラップを巧みに潜りながら次々とカーラのコマンドを実行していく。


 私は走り出した。

吐き気はもうない。


(大丈夫、脳は正常に働いてる……私は順応できてる……はず……きっとやれる……!)


 メリッサが私の手をぎゅっと握る。

 私も握り返す。


 この体温だけは、本物だ。


 この子は、私が護る。


 でも、どうやって----?


 その答えを出す前に、足元の青い光が、消えた。

 地雷原の中で、私は道しるべを突然失ったのだ。


 そして、祭壇の前には強力な防壁が忽然と現れた。


 だが、カーラと完全に一体となった今の私には、全てが見えていた。

 全ての知識が、全ての方策が、私の中にあった。


私はカーラであり、カーラではない。

 カーラは有能で全能だ。

 だが、私の支援AIに過ぎない。


あくまでも戦うべき主体は、私なのだ。


メリッサが心配そうな顔で私を見上げる。


 私はそっと屈み込み、当然のようにキスをした。


「ん……?」

「……おやすみなさい」


 あっという間に、少女は眠りの世界へと入る。

 それを見届けて、防壁の前に立つ。


『タウロス! 防壁をこのまま突破するわ! あとワクチンスタンバイして!』


 もうカーラの存在を私は意識していない。

 カーラを内包した私が、判断し、コマンドを出すのだ。


≪了解! 防衛レベル5まで上げます。ワクチン全種類スタンバイOKです!≫


 ケルビムの返事と同時に、私は目に痛いほどの輝きを放つ防壁にメリッサを抱いて飛び込む。


 電脳世界とは思えないほどの凄まじい衝撃が脳を揺さぶる。

 絶対に脳細胞の半分くらい死んだ----そう思うくらいの熱が頭蓋内を沸騰させる。


(ぐ……ッ、うぅッ! 今の、めちゃくちゃ脳をやられた感じがするんだけど……)


≪脳損傷箇所はゼロ、データ異常なしです≫

≪全警備用NPCにウィルス注入中……引き続き監視中≫


 レオンとアクィラの報告に、私は慌てて腕の中を見た。


(防壁、今ので突破できたのか……!? 私は無事だけどこの子は……?)


 メリッサは何事も無かったかのようにすやすやと寝ている。

 これなら大丈夫そうだ。


 小さな手に蕾の百合をまだしっかりと手に握って----。


(……?)


 ふと違和感を覚えるが、その正体に辿り着く前に私は祭壇へと上っていた。

 警備用NPCは全て停止していた。


「アネモネ……!」


 そこにはもう、一人の少女しか残っていなかった。


 そして、目隠しをされ、磔にされたその少女の体躯が異様に小さい事に私は気付いてしまう。


「アネモネ……?」


 ある恐ろしい予感を抱きながら、私はそっと聖母に近付いた。


 生きている。

 確かにこのアネモネだけは、生きている。


 だが、近付くにつれ、私の動悸は早くなり始めていた。

 純白のドレスに包まれた身体のシルエットが、明らかにおかしかった。


 そして、磔にされた両腕の袖を見た時----。


 私は声が出せなかった。


「……アイリス」


 見覚えのある形の良い唇が、ゆっくりと動く。


 私を呼んでいる。


「……この私は、もう私じゃない」


 私を----呼んでいる。


「だから、早く……殺して……」


 私に向かって白い聖母は、小さいけれど、でもこれ以上はないくらいに明瞭な声で、そう告げた。

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