欺瞞の楽園
何もなかった前方に、不意に一つの丸いゲートが出現した。
ゲートに沿うようにして『Valeat petere non dedit』というラテン語の一節がゆっくりと回転している。
(えーと、なんだっけこれ?……求めよ、さらば与えられん……だったかな……?)
妙に現実感がないので、自分の頭で考えるのがワンテンポ遅れてしまう。
『ヨハネによる福音書』十六章二十四節だろうか。
(これがミレニアムへのゲートなの……?)
『そうです、我々は今からそこを通過します』
カーラが教えてくれて、私はまず右をゲートの中に差し入れてみる。
特に変化なし。
(……うん、どうやら嘘つきでも噛まれたりはしないようだわ……)
そして次に、頭を突っ込んでみた。
『うわ、眩しい!?』
『大丈夫です。防壁レベル、順調に突破できているようですね』
そうなの?
なんか勝手に身体がズブズブと光の中に吸い込まれていくんですけど----?
とにかくメリッサの手を離さないようにしながら、私はゲートを潜り抜けた。
「ようこそミレニアムへ」
どこからともなく女性の声が響いてきた。
金色に光り輝く空間は何やら芳香すら漂っている。
(この香りって……)
私の抱えている百合の花と同じ香り----母性と純潔の香り。
「ここは白い聖母様のおわす電脳の天国……永遠の都です」
声は聞こえど、姿は見えない。
『今喋ってるのが案内人?』
そう聞くと、
『いえ、今のこの段階はまだチュートリアルですね。私達はIDを調べられている最中です』との答えが返って来た。
『迂闊に動くと周囲には現在85個のトラップがありますから気を付けてください』
随分と簡単に言ってくれるものだ。
『どのトラップにかかっても、軽くて凍結されるか、意識野が破壊されます。援護システムが介入しても時間のロスは確実に発生しますし……最悪偽装が見破られれば、この場でラボの本体との意識切断が行われて永遠にここからでわれなくなりますので、ご注意を』
『りょ、了解……』
たぶん、周囲に何もないように見えているだけで、実際には様々なセキュリティーのチェックが私達の隅から隅まで行われているのだろう。
『ちょうと今は回線の使用記録を見ているところですね』
『だ、大丈夫なの?』
カーラの事だ。
万全の対策は取って潜入しているのだろうと思ってはいても、変な汗が出て来てしまいそうだ。
まぁ、アバターだから汗なんて出ないけど。
『大丈夫ですよ……ああ、こちらも全防壁のチェックが済みました……いずれも対処可能なレベルです』
『頼むわよ』
私とカーラの話が終わった途端、微かに荘厳なパイプオルガンの旋律が流れ始めた。
『……貴女方が迷える子羊の方ですね?』
目の前に黒い影のようなものが立ち現れたかと思うと、それはあっという間に一人の女性の姿になった。
黒いシンプルなドレスに、同じく黒いベールで顔を隠している。
格好としては修道女そのものだ。
ただし、胸元に十字架はない。
『お待ちしておりました』
つい身構えてしまいそうになるが、カーラの指示を思い出し、黙礼のみする。
案内人も同じように黙礼で返してくる。
(……まるで修道院ね)
だが、ここはナチスの作り上げた欺瞞の楽園だ。
ここで何が行われているのかを、私達はこれからこの目で見に行かなければならない。
『それではこちらへ』
案内人はドレスの裾を翻し、先頭に立った。
その後を、私は全神経を研ぎ澄まして追う----。




