ミレニアム
幸いにもアネモネに封印の影響は出ていないようだった。
小さな、だがしっかりした声で詩編23編を唱えながら、眩い夜空を見上げている。
『主は私の魂を生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます』
無意識のうちに庇うようにして触れた白いカラス。
その小さな身体は、天空を廻り続ける『枷』が発する呪力を一片も残さずに無効化している。
『主は私の魂を生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます』
空の輝きが消えていく。
金色のリボンが解け、朽ちていく。
この封印解除の儀式に成功した魔女だけが、この法王庁で存在を許される----。
そして、神の名の下に魔女を殺し、灰にする事ができるのだ。
魔女殺しの魔女。
同族殺しの裏切者。
だけど、自分だけは殺せない。
不死という永遠の刑を与えられた私達を、最後に殺すのは、一体誰なのだろうか----?
「お前が風の魔女か」
不自然なまでに静まり返った中庭の入口に、金色のランタンを掲げた司教服の男が立っていた。
眼鏡をかけた白髪の男は、あの言葉を口にする。
「私は庭師だ……毒の花を囲い、毒の蜜が地に流れる前に、その花を刈る者だ」
アネモネが、その白い翼をばさりと羽ばたかせた。
「初めまして庭師アンソニー……いえ、法王ピウス十三世……それとも神官パチェリとでもお呼びした方がよろしいのかしら?」
法王が鼻で嗤う。
「どう呼ばれてもお前が腐れ魔女である事に変わりはないんだ、好きに呼べ」
そんなやりとりをメリッサはじっと見上げている。
私の手は離さないままだ。
「さて、まずはお前の処遇をどうするかだな」
「あら、もう既に決定しているのでは?」
アネモネの物腰はあくまで柔らかいが、怯えも卑屈さもそこにはない。
あるのは、ただ、強靭な芯の強さだけだ。
「お前の件に関しては、法王庁内では存在しない事になっている」
「まぁ、そうですの」
そう言ったアネモネの身体が、僅かによろめく。
『意識低下が進んでいます。このボディでは容量が足りないため、このまま放置をした場合、六分二十二秒後には彼女は意識を完全喪失します』
カーラβの念話が突然飛び込んで来た。
『だがコイツはオリジナルなのか? 本体がミレニアムの祭壇にあるんだとしたら単なるコピーであるコイツの意識が喪失してもそう問題ではないだろう?』
アンソニーが妙な事を言い出した。
ミレニアム?
祭壇?
この二人は何を話しているのだろう?
『いえ、詳しい調査は難航していますが、今ここにいる風の魔女アネモネこそがミレニアムの聖母のオリジナルであり、現在電脳空間上に存在している聖母の方がコピーのようです』
『という事は、コイツ、自分の意識のコピーの方を残してここまで来たっていうのか!?』
二人のやり取りが終わるまで待っている猶予はない。
『よく分からないけど、このアネモネがオリジナルのアネモネなんだったら、さっさと助けてあげなさいよ! 貴重なサンプルなんでしょ!?』
我ながら酷い言い方だが、アンソニーには効いたようだ。
『そうだな、それなら話は変わる……すぐにラボに行くぞ』
『ダメよ! ラボなんかに入れたら貴方達何するか分からないもの!』
そう叫んだ途端、私の肩を掴んでいた白いカラスの脚から力が抜けていくのが分かった。
「……アイリス、私は貴女を信じてるから……ラボまで連れて行って……」
「分かった、必ず助けるわ……!」
私は目を閉じたアネモネを肩から降ろし、片腕でギュッと胸に抱えた。




