外へ。
私とメリッサ、そしてアネモネの三人は温室の扉の前に立った。
温室の花々は、今夜も満開だ。
異端の知識と力を持った女達が育んで来た薬草に、毒草。
ニガハッカやカノコソウ。
エンジェルトランペットにダチュラ。
ベラドンナ、シュロソウ、キングサリ----。
人を癒し、血肉を清め、そして絶命させる花達----。
ここの空気だけで、もしかすると人は絶命するのかもしれない。
その封印された温室から、今私達は外界に出ようとしている。
(……アンソニーのヤツ、いつもより出力を上げてるわね)
頭に響くというよりも、脳細胞が直接揺さぶられるような不快な微細動を身体がまず感じ取る。
(最近は慣れてきたつもりだったけど、やっぱりキツイなこれ)
分厚い硝子越しでも、中庭の夜空が強力な封印で覆われているのが分かる。
中庭だけではないだろう、市国全体を覆う封印も、そして多分ローマを覆う封印も最高レベルにまで引き上げるよう指示されているはずだ。
全ては、『風の魔女』の封じ込めのためだ。
『ちゃんと全員揃っているな?』
狸親父の厭味ったらしい声は、それでも僅かな緊張を隠しきれていない。
いくら心臓に毛が生えていても、こういう所は普通の人間なのだ。
(ま、まだまだ修行が足りない……というのは、さすがに酷よね)
それはそうだ。
法王庁とすれば、長い歴史で初めてこの中庭に魔女が『侵入』したのだから。
まあ、正確に言えば『里帰り』になるのかもしれないが、いずれにせよ法王としても庭園局局長としても大失態になる訳だ。
それどころか、今のアネモネの『力』は、サイバー戦に限って言えば法王庁の能力を凌駕している可能性もある。
『まさか、カーラβからどっかの中継衛星にでも逃がしたりはしてないだろうな?』
『あのね、今の本人にそんな体力はないし、私はスマホで動画を観るのもやっとの中世女よ? どうやったらそんな芸当ができるのよ』
こんな風にうだうだやってる間にも、アネモネの容体がさらに悪化していやしないかと、私は気が気ではない。
そして、私はある重大な事に気付く。
ここ法王庁の中庭を覆う封印を解除できるのは当然法王庁の庭園局のみだ。
しかし、その封印解除の作業において、ただ一か所魔女が行わなければならない『術』が必要だ。
そう、それは詩編23編の詠唱だ。
「メリッサ、起きて……」
私は担いでいた少女を抱きかかえて、その唇に軽く触れる。
生気を吹き込むイメージとでも言えばいいのか、とにかく眠らせた時とは逆の事をしてみた。
「……え、なに……? どうしたの……?」
上手くいったようだ。
自分から地面に降り、眠そうに目を擦っている。
「あのね、今から封印解除するから一緒に詩編23編を唱えるわよ」
そう囁くと、まだふにゃふにゃしながらも「分かった」と頷いてくれた。
(オーケー、いい子ね……だけど問題はアネモネだわ……詩編の詠唱ができるかどうか……)
『その件に関しては問題ありません』
突然カーラの声が聞こえた。
『現時刻において言語野の防壁を再構築し、侵入者の意識を私の仮想ブレードサーバーにエンクローズする事に成功しました』
『……ごめん、一言でお願い』
相変わらずのカーラ節に、私は眉間に指を当て、そして安堵する。
『要は、私の仮想人格とこの侵入者、アネモネの人格をこの一つのボディで共存できるように設定しなおしました』
『……そういう事みたいだから、私の方は大丈夫よ』
今度はアネモネの声が頭の中で聞こえた。
『封印解除の詠唱は魔女全員が同時に行う必要があります。ですから私がアネモネと限定的にリンクし、詠唱に先んじて直接その脳に詩編のデータをダウンロードするとお考え下さい』
『と……とりあえずよろしく頼むわね』
準備は整った。
あとの事は、この中庭を出てからだ。
『それでは現時刻より高レベル封印の解除が開始されます!』
カーラβの宣言に、私は繋いでいたメリッサの手をギュッと握る。
小さな温かい手が、握り返してくる。
『封印解除作業開始……! 全ての魔女は詩編23編をお唱え下さい!』
ピィィィン!
カーラβの声と同時に、遥か頭上で自鳴琴に似た小さな金属音が弾けた。
全身の血が泡立つような感覚に、私は急いで地面を踏み締める。
(来た……!)
見上げた夜空が、眩いばかりに輝き始める。
人間の目には見えない様々な幅の金色のリボンが温室を中心に何十、何百本と球状に軌道を描いているのだ。
上空から地下に潜り、再び上空に姿を現すその動きは、まるで意思を持つかのような滑らかさだ。
これこそが、魔女の使う『魔法』を解析し、再構成した『魔術』による、封印。
ヘブライ語で綴られた聖書の言葉による、魔女への『枷』----。
「主は私の魂を生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます」
私は唱える。
メリッサの手を離さぬように、そして胸に抱いた白いカラスを静かに撫で続けながら。
「主は私の魂を生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます」
メリッサの声と、アネモネの声が私の声に重なる。
私達は、ゆっくりと温室から踏み出した----。




