魔女は何故森に棲むのか
ニューロンの森が揺れる。
白い世界は、なおも広がって行く。
際限なく広がって----。
「もし今、誰も知らない遠く離れた地の誰も居ない森で……」
マヌエルの声だけが、森の中に木霊する。
「一本の木が倒れたとして……」
ああこれだったのかと私は息を呑んだ。
私は、この問いを知っている。
「……その際に、音は出ると思う?」
18世紀。
アイルランド国教会主教でありながら哲学者でもあったジョージ・バークリー主教の有名な問いかけの言葉だ。
「……音は出ないわ」
普通に考えれば、木が倒れたならば音がする。
だが、この問いに対しての答えであれば、『音がしない』というのが『正しい』のだ。
「……この例えって、確か観念論の基本だったわね」
誰も知らない、誰もいない森には、観察者がいない。
その場にいて木が倒れた音を認知できない。
だから、音は、絶対にしない。
「そう、姉上の言う通りだよ」
マヌエルの声は、私にしか聞こえていない。
私にしか、知覚できていない。
「この世の中の全ての存在は、知覚されて初めて存在するんだ」
「まぁ、一方でそういう考えは、主観的観念論とか独我論とかいう批判も根強いみたいだけれど」
バークリーは物質を否定し、知覚する精神と神のみを実体と認めた。
彼の言う『観念』とは知覚、思考、意思など経験されるもの全てを含んでおり、その観念を疑いえない実体と認めたのは、それが『現に経験されている』からである。
「確かに極端な考えかもしれないよね……でも、今でも論理実証主義として残っているし、なんならあのフロイトだって似たような事を言っているよ」
「それが存在するのは、それを信じる人がいるからだ……だったかしら?」
私の声は、巨大なニューロンの森に吸い込まれて行った。
私は目の前のマヌエルを見詰める。
これは、一体誰なのだろう?
私の記憶から再生された弟であるはずなのに、私の知らない弟でもある。
『ねぇ姉上……どうして、魔女って森にいるの?』
遠い昔。
私の弟はそう私に問いかけた。
『どうして、誰もいない森に一人でいるの?』
昔の私には分からなかった答え。
それが、今、ここにある----。
「Esse is percipi」
自然と言葉が口をついて出ていた。
存在する事は知覚される事であるという意味のラテン語だ。
魔女とは何か。
魔女は何故存在するのか。
魔女は何処から来たのか----。
「あぁ……マヌエル……貴方は、分かったのね……」
私は理解する。
全ての謎を解く鍵を、弟はもう手にしていたのだ。
「僕はあれからずっと考えていたんだ……永い永い時間をかけて、その答えを探していた……」
魔女が棲む森。
その森は具象であり、同時に概念でもある----。
御伽噺の森に。
本物の森に。
中世の森に。
現代の森に。
いつも魔女は森に棲んでいる。
「どうして魔女が森に棲むのか……私も、分かったわ」
遠くで地響きのような音が木霊した。
木が、倒れたのだ。
その音は、私にしか聞こえない。
だが私が聞いた事で、その木は今この瞬間に私に認知された。
「魔女はこの世界の観察者だから……なのね」




