来たるべき種族
そうだ。
こんな馬鹿みたいな与太話に気を取られている場合ではない。
私の役目は、そう----今目の前にいるこの魔女を、灰に戻す事。
「可哀想に……トゥーレだかヴリルだか何だか知らないけど、ずいぶんと出来の悪いオカルト研究会に捕まったものね」
法王庁によれば現在のトゥーレ協会は、ヒトラー存命時のそれの劣化コピーであり、魔女の保有という一点を除けば戦力、技術力共に大きな脅威ではない、とされている(もっともアンソニーはそう単純には考えていないようだが)
ヒトラーは、進化の可能性を持つ人種は唯一アーリア人種のみであると信じていた。
この思想は近代神智学の創始者ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーに強い影響を受けたものであり、秘儀理論に基づいたものである。
アーリア人がアトランティス大陸の生き残りであり、その英知の正統な継承者であるという話だけであれば、現在でもブラヴァツキーの信奉者達は世界中で唱えている。
(何だっけ? そうだ……確か、彼らはそのアトランティスの末裔を『来たるべき種族』なんて呼んでいたはず……)
問題は、その根拠の信憑性だ。
大部分は単なる妄想や妄執に過ぎない。
だが、トゥーレ協会は----。
実際にこうして魔女が再生している以上、
彼らの持つ科学技術に限って言えば、まぁ本物なのだろう。
だけど、さすがに、アドルフ・ヒトラーがまだ生きていますだなんて、そんな話を信じる訳にはいかない。
今はもう二十一世紀だ。
火星に人類を送り込もうとしている時代に、いくら中世生まれの私でも、騙される訳がない。
だって私は、科学を信じているのだから----。
魔法だの信仰だのに惑わされて右往左往するのも、焼き殺されるのも、まっぴら御免だ。
「で、その総統とやらはどこにいるの? 南極大陸の地下? 地球の空洞? それとも、もしかして月の裏側かしら?」
憐れみと侮蔑の混ざった私の視線を、少女は不敵な笑みで受け止める。
「これだから老害は嫌なのよね」
「ろ……老害ですって?」
基本的に不老不死の魔女同士、外見と年齢は一致しないし、互いにそれをどうこう言い合っても不毛なのは暗黙の了解だ。
その暗黙の了解を、このちびっ子魔女は何の遠慮もなしに叩き壊してくれた。
例えれば、手袋を投げ付けて来たようなものである。
「……もう一度聞いてあげるわね? 総統いえ……ヒトラーは、今どこにいるの?」
「誰が教えるもんですか」
そう言うなり、少女は高々とジャンプした。
猫のように飛び乗ったのは、パンテオン神殿前のオベリスクの天辺の、十字架。
このオベリスクは、エジプトのラムセス2世が太陽神殿に建てていたものだという。
カリギュラ帝がローマに移築し、更に一七一一年、教皇クレメンス11世が噴水の上に建て直している。
冥界の神オシリスと、その妻イシス。
カリギュラ帝はこの二人をローマの守護神にしようと考えた訳である。
その冥界の神々の上に、愚者火の少女は舞い降りた。
「うふふ、ここまでおいで」
いや、無理だから。
少女はまるで奇術を披露するかのような手付きで、ランタンの表面を撫でた。
ふわり。
橙色の炎が、少女の掌の上で踊り始める。
そして----。
ふわ……っ。
少女が息を吹きかけると、その小さな炎は鬼火となって宙に舞い上がった。
「……やめなさい!」
叫ぶ私の頭上で、少女は再びランタンを撫で、鬼火を作り出す。
鬼火は宙に漂い、主の命を待つ。
背筋が凍りつくのを感じながら、私は何もできないままオベリスクを見上げた。
私の直感がもし正しいのなら、この少女は鬼火で街を焼き尽くそうとしている。
そして、今、ローマ全域は数日前から続いている原因不明のシステム異常により断水状態に陥っているのだ----。




