愚者火の少女
現在ローマの旧市街は二十二の地区に分けられている。
その歴史は古く、ローマ帝国時代より連綿と続いている。
よって歴史的な建造物はもちろん法王庁にとっても重要な施設が、そう広くはない範囲に文字通りひしめいている訳だ。
旧市街は、テヴェレ川を挟んでいるとはいえ、実質的にはバチカンの裾野であり、一部であると言って良いだろう。
そんな旧市街の中心に聳えるパンテオン大神殿に向かって、私はひた走っていた。
(……さっきから何度も似たようなルートだけど、何なの? 遊んでるつもり?)
周囲は不気味なまでに暗い。
家々の窓は閉ざされていて、それこそ犬の子一匹見当たらない。
響いているのは私の靴音だけだ。
緊急封鎖された旧市街は、人の気配を失い、まるで巨大な舞台装置のような作り物めいた空間になっていた。
(パンテオンが目的じゃないのなら……なんで私をここに連れて来たがるの……?)
パンテオン神殿が造られたのは紀元前25年だが、一度火事で焼失し、128年に時のローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されている。
608年頃にキリスト教の聖堂となってからはサンタ・マリア・ロトンダと呼ばれるようになったが、今では誰も気にせずパンテオンと呼び、かつて祀られていたオリンポスの神々に代わり、今はラファエロやイタリアの歴代の王の墓碑が観光客達のお目当てになっているらしい。
せっかく死ねても、安らかな眠りを許されないというのは、考えただけでぞっとする仕打ちである。
「……ッ、逃げ足が速いったら!」
以前の廃教会での戦闘を思い出し、足元に余計な物があり過ぎる場所で会敵せずに済んだ事に少々ほっとする。
私は周囲を見回した。
ナヴォーナ広場から続く石畳の道路の、その先。
コリント式の巨大な円柱の脇で小さな炎が揺らめいた。
「そこか……ッ!」
うふふ、と笑い声が私の耳に届く。
「早く早く」
私は立ち止まり、背中の大剣を手に構える。
「ほら……早く来てよ」
誘う声は、まだ幼い少女のものだ。
ぞっとするほどに純真で、無垢な囁き。
私は眉を顰めた。
「来てくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ……?」
その言葉と共に橙色の炎がゆらりと燃え上がり、影がひとつ----踊るようにして現れた。
「いたずらもいらないし、お菓子も持ってないわ」
「……なんだ、つまんないの」
石畳の上を滑るようにして近付いて来たのは、白いワンピースを着た栗色の髪の少女だ。
不格好なランタンを大事そうに抱えている。
年の頃はメリッサより少し下くらいなのだろうか。
話をするには腰を屈めないといけないくらいの背丈だ。
だが、腰を屈めてその目の奥を覗き込んでしまったら最後----見た者は、疲れ果てて死ぬまで少女の後について歩き続けなければならなくなる。
「じゃあ、私と一緒にいたずらしよ? ね?」
ランタンを掲げ、少女は満面の笑みで私を誘う。
そう、この少女は、愚者火の魔女なのだ。




