名前
マヌエル。
愛する弟との再会だけを希望として、私は昼夜を問わない審問を耐える事ができた。
だが、その弟との再会が私の心の最後の希望を打ち砕く事になろうとは、この時はまだ予想だにしていなかった。
まだあの時の私は、神を信じていた----。
「……ッ!」
どこか遠くで泣き声が聞こえて、私は眉を寄せた。
(……せっかく静かだったのに……何の騒ぎなの……?)
「起きて……! 起きてよ……ッ!」
私以外の誰かの鼓動が、伝わって来る。
私を呼ぶ声がする。
(もう、もう少し一人にさせてよ……)
「ねぇッ! お願いだから目を覚まして……!」
私の----知らない名前を呼ぶ声がする。
(……誰?)
あと少しで何かを思い出せそうだったのにという苛立ちと、呼ばれている事の驚きとで、私の意識は混乱し、深い皆底から浮上した。
まるで、ここではない何処かへと誘われるかのように----。
「……ッ! アイリスぅ! 死んじゃヤダぁぁ!!」
「……え?」
私は寝室のベッドの上にいた。
そして、やたらと重たくて柔らかい布団が私の上に覆いかぶさっていた。
(……そうだ、アイリスは……私の名前だ……)
「……メリッサ? 何やってんの?」
ひっくひっくと嗚咽を繰り返している少女は、私の顔を見るなり今度は首にしがみ付いてきた。
「アイリスぅ! 良かったぁ! アイリス生きてたぁぁ……!」
「い、生きてるわよッ! 何よ!? どうしたの……ッ!?」
少女の頬も顎も涙でぐしょ濡れだ。
だけど、不思議と不快ではない。
私自身の頬も、既に熱いもので濡れていたからだった。
(……私、どうして泣いていたんだろう……?)
思い出そうとしながら、少女の艶やかな髪を撫でてやるが、今見たばかりの夢は、あっという間にその中身を思い出せなくなっていた。
(……夢、だったのかしら?)
「……だって、ひっく……昨日の即位式の時に倒れてから、ずっと起きなかったから、ひっく、もう死んじゃうんだって……思って……」
「……あ」
法王ピウス十三世の言葉が、私の脳裏に甦る。
地上にいる全ての信徒に向けた祝福を唱えながら、ただ一人私に向けたあの問いを----。
「メリッサ聞いて……あのね、アンソニーの事なんだけど……」
ガシャン……!
言いかけた私の言葉を遮るようにして、遥か頭上で金属音が重々しく響いた。
温室の閂が----外されたのだ。
「……チョコレートの味、だっけ?」
私は床へと下り立った。
「そんなもの覚えてる訳ないじゃないの」
空いたドアから白いカラスが低空で飛び込んで来る。
「こちとら永遠にも思える時間を過ごしたおかげで、すっかり魂が朽ちかけているのよ」
「アイリス、メリッサ、出撃命令です! すぐに支度してください!」
舌打ちした私はアンソニーとの念話モードに切り替えた。
『ちょっと! 起きて三分でこの騒ぎって、少しは労ってくれてもいいんじゃないの?』
だが、返事は返って来なかった。




