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巨蟹宮のもとで

(アンソニーの奴、もしかしてこうなる事まで見越して作戦を立てたとか……?)


 カルキノスとは、これまたギリシア神話に出て来る巨大な化け蟹の名前だ。


 ヒュドラという首が九つある巨大な蛇と仲が良く、ヘラクレスのヒュドラ退治の際にはヒュドラに加勢した。

 しかし力及ばずヘラクレスに踏み潰されてしまい、その後憐れに思った女神ヘラの手で天に上げられ、かに座となったと言われており、黄道十二宮においては巨蟹宮がこれに当たる。


 十六世紀の神学者ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパは、この黄道十二宮に十二の天使ならびに悪魔を対応させた。

 もちろん、アグリッパを魔術師と認定している教会はこの理論を異端と斬り捨てている。


 ただ、節操なく----もとい、洋の東西を問わず呪術を使用している庭園局ならば、彼の理論体系をシステムに取り込んでいる可能性は十分にあった。

 

(巨蟹宮のサインは、四大元素のうちの水に分類されている……)


 私は図書室の本の内容を懸命に思い出し、繋ぎ合わせる。


(そう、水……でも、水でダイヤモンドに勝てるの……?)


 そういえば、ダイヤモンドはモース硬度十で、世界一硬い物質だ。

 それを切断する場合、水を超高圧で噴射して切断するウォータージェットという工法を使うという記述を工学の本で読んだ気がする。


(水で、ダイヤモンドを切る……?)


 この組み合わせは、単なる偶然なのだろうか?


 私の中で、また疑念がむくりと湧き上がる。

 あの時浜辺で掴まえた蟹を使い魔にしたメリッサの意思は、本当に彼女自身の意思なのだろうか?


 この戦いは、どこまで仕組まれたものなのだろうか----?


(いや、今はそんな事よりも任務の遂行の方が先だ……!)


 石の魔女が動くより、私が宙に両手を伸ばす方が早かった。


「カルキノス! フルンティングを渡して!」


 ----が、蟹は動かない。

 半透明の身体をゆっくりと揺らしながら、ハサミを振り上げたまま私達を見詰めているだけだ。


「カルキノス……!」


 もう一度私は叫んだ。

 だが、それでも大蟹は反応しなかった。


(……そうか、カルキノスが本当に黄道十二宮を使った術で動いてるのだとすれば、恐らくは星辰の位置もしくは天使と関係している……)


 だとすれば、この巨体もそう長くは維持できないのかもしれない。


「……ねぇ、まさかとは思うけど、この中に入れたのはカルキノスと貴女だけだったりする?」

「……かな?」


 スヴィトラーナの顔に、勝利を確信した笑みが浮かんだ。


「ほら、ダメな魔女は何をやってもダメなのよ……もう諦めなさい、ね?」


 私はスヴィトラーナを突き飛ばした。


「メリッサ! こっちへ……!」


 少女を抱きかかえ、大蟹の足元に立つ。

 

 どうやら転送装置は、この二人(というか一人と一匹)を入れるだけで限界だったようだ。

 肝心の大剣は、封印帯の外に置いてけぼりになっている。


 言うなれば、一番ダメなパターンである。


 (もう時間はない……こうなったら、一刻も早くモルガナを呼び出してこの石の魔女を倒してもらうしかない!)


「メリッサ、早くディスクの用意を!」


 そう叫んだ瞬間、メリッサの小さな身体は、砂に吸い込まれるようにしてその場に崩れ落ちた。


「メリッサ!?」

「……お腹、空いた」


 私は腕を掴んで身を起させる。


「早く拘束を解放しないと、カルキノスが消えちゃうのよ!?」

「うん……でも、身体が、動かないんだもん……」


 私はやっと事態に気付く。

 封印帯を突破したせいで、メリッサは体力を急激に消耗したのだ。


 見上げれば、大蟹の身体も少しずつ消え始めている。


(星辰の位置も、ずれはじめたんだ……!)


 ペスト医の仮面を外してやり、私は少女を揺さぶった。


「お願いだから、起きて!」

「起きてる……よぉ……」


 弱々しい声で少女は応える。


「どれ? どのディスクを入れればいいの!?」


 少女のコートのポケットをまさぐりながら、私は必死に呼び掛ける。


「……分かんない……頭が、ぼーっとして……なんだか、このまま溶けちゃいそう……」


 その言葉に、背筋が冷たくなる。


「やめてよ……そんな簡単に、ヒトが溶ける訳ないじゃない……」


 ヒト、という言葉に力を込めて。


「だから早く、起きて!」

「ごめんね……私が来なければ……フルンティングをちゃんと、アイリスに……でも、私、アイリスに呼ばれた気がしたから……だから……」


 呼んだ覚えはない。


 だが、

 モルガナへの殺意を改めて強くしたあの瞬間を、もしそうだと感じたのなら----。


 この子は、私の心に応えようとしたのだ。


「いいから……ッ、もう、しゃべらなくて大丈夫だから!」


 驚きと罪悪感と、あとは何かよく分からない胸を掻き毟られるような思いが一斉に込み上げて来て、私は少女を抱き締めた。


「……そうよ、呼んだわよ」


 このまま少女の全身から血が流れ出てしまうかのような錯覚に襲われる。


 狂った既視感に、押し潰されそうになる。


「私が呼んだの……だから……」


 私は少女の唇に人差し指を当てた。

 思っていたよりもずっと冷たくなっている唇が、微かに開く。


「起きて……そして戦うの……!」


 私は少女に口付けした----。

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