変容
「……ッ!?」
私は反射的に大きく飛び退く。
「何よこれ……!?」
ほとんど悲鳴に近い声が、口から洩れていた。
数秒前まで私が立っていた場所の砂が、もぞもぞと蠢いていたのだ。
(何が起きてるの……!?)
砂に刻まれたヒールの跡が、あっという間に消える。
次の瞬間、砂はその一粒一粒が意思を持つかのように蠕動し、急激に収束したかと思うと、うねうねと動く大きな塊へとその姿を変え始めた。
(これって……まさか、砂が……触手になろうとしてる……!?)
唖然としている私の目の前で、砂の塊は自在に波打ち、うねり、空を振り仰ぐかのような動作を繰り返している。
(石の魔女って、こんな事までできるの!?)
砂でできていると分かっているのに、その蠢く様は、まるで生きているかのように滑らかで、そして獰猛だ。
(えぇ……私、今……丸腰、なんですけど……)
砂の触手は、力と速さを誇示するかのようにのたくっている。
私の額には、うっすらと汗が滲み始めていた。
(こんな事なら、短刀でも忍ばせてた方が良かったかも……)
触手は、その色も相まって象の鼻のようにも見える。
器用に伸縮を繰り返しながら這いずり回り、獲物の姿を探しているかのような様子が、とにかく気持ち悪い。
そして、その獲物とは----もちろん私だ。
「私も、そう簡単に貴女を諦める訳にはいかないのよねぇ」
スヴィトラーナの涼し気な声が耳に届く。
「ねぇ、今のうちに大人しく私のモノになってくれれば……そうね、何の石になりたいかくらいだったら、リクエストを聞いてあげてもよくてよ?」
「……私、石に興味はないんで」
ボゴッ、ボゴボゴッ……ッ!
砂浜のあちこちから不気味な音が聞こえて来る。
砂は、次々と触手に姿を変え、私を取り囲むようにして屹立していた。
(結局、毎回こうなるのね……)
嘆息しながらも、眼前の触手が鞭のようにしなる様子から目を離す事ができない。
ヒュン……ッ!
風を切る音と共に、その先端は私を捉えようと限界まで伸ばされた。
「じゃあ、捕まるまでに考えておいてね!」
(冗談じゃないわよ……ッ!)
石の魔女の弾んだ声を背に、私は波打ち際に向かって駆け出していた----。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
自分の息遣いと、砂の崩れる音。
自分のヒールが砂に刺さる音。
それから、封印帯の立てる、夢のように透明で、鋭い音----。
私はひたすら封印の中を走り回っていた。
触手は、崩れてはまた生え、生えては崩れるを繰り返しながら、のたのたと私を追って来る。
時折思い出したかのように伸びては、私の肩やドレスの裾を掠めて、恨めしそうに崩れていく。
(やっぱり元が砂だから、形を留めていられる時間は短いのか……)
これが石の魔女の限界なのだろう。
ならば魔力を使い果たしてもらうまで、この鬼ごっこを続ければよいだけだ。
とはいえ、私の方にも体力の限界がある。
「ハアッ……ハアッ……」
なんだか、熱を出した夜に見る夢のように、何もかもが輪郭を留めていないかのような、妙な感覚だ。
走っているそばから足は砂に絡め取られ、揺れるイヤリングのせいで耳朶は鈍く痛む。
「ハァッ……ハァ……ッ……」
(こんなの、キリがないじゃない……このまま走ってたら、そのうちアレも私も一緒にバターになっちゃうんじゃないの……!?)
封印帯は、崖から波打ち際までを円形に取り囲んでいる。
魔女である私達は、そこから先へは、髪の毛一本たりとも出られない。
いや、私は詩編23編を詠唱すればあるいは出られるかもしれないが、アンソニー達に解除の意思がなければ、恐らくは触れただけで弾き飛ばされる----なんて事もありうるのだ。
そういう意味では、今の私の立場はスヴィトラーナのそれと変わらない。
むしろ、追われている以上は、スヴィトラーナよりも弱い。
私は選択を迫られているのだ。
今の私は圧倒的に不利なのだ。
そして、この鬼ごっこの結果は----一つしかない。
「なぁんだ、結構強いと思ってたのに……」
つまらなそうな、魔女の声。
「貴女って、あの剣がなければ何もできないのねぇ」
嘲りの言葉と共に、砂浜中の触手達が、私目がけて一斉に飛び掛かって来た。




