マスカレイド・ナイト
日中は太陽の光に熱せられ、人々の賑わいに満ちていたこの島も、夜が更けるにつれて、まるで海の底のようなひんやりとした静けさに沈んでいる。
それでも青い闇の所々に灯は煌めき、途切れ途切れに聞こえて来るさざめきや楽曲が、この島は眠らないのだと来訪者に教えるのだ。
「……なんだ、思ったよりは中世と変わらないじゃないの」
とある貴族の邸宅だったという建物に足を踏み入れ、私は少々拍子抜けした。
控えめにワルツが流れる中、着飾った男女がシャンデリアの下を行き交っている。
「ここが今夜の会場ねぇ……」
部屋を出る時に持たされた封筒入りの招待状を見せると、あっさりと中に入れてしまった。
もちろん、見回してみてもそれらしい女の姿はない。
海を見下ろす崖に建つこの別荘は、世界的なIT企業の会長の別荘だという。
例によって詳しい事は聞かされていないし、まぁ、興味もないのだが、バルコニーから入り込んで来る潮風のせいで、海の深さとその底にあるものを意識してしまい、私は落ち着かない気分で仮面を着け直す。
(地下室が懐かしいとか、今度こそ本当に焼きが回ったのかしらね……)
あまりきょろきょろして悪目立ちするのも嫌なので、私は給仕から適当なグラスを受け取ると、会場全体が見渡せるようバルコニー側に立つ事にした。
入った時には気付かなかったが、この島の花なのだろうか、会場のあちこちに白い花が活けられていて、その甘い香りが私を落ち着かせてくれる。
(それにしても、こんな所に来るのって久し振り……)
会場にいる男達の年齢層は想像していたよりはやや若いが、ネットの商売で成功した商人(何を売ってるのかと聞いたら、司祭枢機卿はふんと鼻で嗤っただけだった)のパーテイーというだけあって、身なりは皆良い。
そして、女達はそれよりもずっと若い。
アンソニーによると、昔からこの島のパーティーに集まる女達は令嬢から売春婦までと多岐に富んでいるらしい。
『アバンチュールだ……アバンチュールを求めて奴らは夜な夜な下らんパーティーを開いてんだ』
聖職者らしく苦虫を噛み潰したような顔で(多分)白いカラスは言った。
『まぁ多くは一夜だけの関係で終わるが、ここで出会っていわゆる玉の輿に乗ったと吹聴する女も多い……そのためにはるばるこの島を目指してやって来るバカ女も増えた訳で、俺としては全員塩の柱にでもなればいいとは思ってるがな』
(確かに、音楽は流れているけど……誰も踊ってない……)
この島のパーティーは、『舞踏会』とは名ばかりの、言ってしまえば出会いのための社交場といったところだ。
びっくりするほどに胸元を広げた女を見ながら、私は溜息を吐いた。
私のドレスは深いスリットが入っていて、動きやすさで選んだものだが、明らかに違う目的であろう露出をしている女は一定数いるし、そうした女は身を飾る装飾品も、よくよく見れば硝子玉だ。
「ふぅむ……」
そりゃ風紀を乱すという理由でマリア・テレジアに禁止もされようというものである。
(まぁ……後腐れのないお相手探しにはうってつけの場所よね)
私は一人静かに納得しながら、まるで灯りに集まる蛾のようにひらひらと動き回る色とりどりの仮面に目をやった。
この中に、次の犠牲者を探す石の魔女スヴィトラーナが紛れ込んでいる----はずである。
(とは言っても、問題が一つ……それは私が彼女の顔を全然覚えてないって事なのよね……)
そのうえここで行われているのは、マスカレードパーティーなのだ。
会場の全員が仮面を着けているという、人探しには最悪の条件が私の衰え切った記憶力に立ちはだかっている。
(魔女の気配か……)
今更ながら、スヴィトラーナを探すだけならメリッサにやらせた方が早かったのではないかという疑問が湧いて来る。
(いや、ここはやっぱり私がやらないと……でも、私に彼女の気配が分かるんだろうか……?)
囮とはいえ、むざむざ先制攻撃を受けるつもりはない。
気配でも何でもいいが、とにかく見付かるより先に見付けないと私まで石にされてしまいかねない。
(このダイヤが何らかの反応を示してくれたりするといいんだけど……今のところ全くそんな気配もないわね)
手持無沙汰の私は、仮面にまた手をやる。
そういえばこの仮面は、通称『魔女の仮面』と呼ばれるものらしい。
魔女が人間の前に姿を現さなければならなくなって、魔女の仮面を着けて人間の振りをしている----なんて考えてみると、滑稽な話だ。
『ねぇ、傑作じゃない?』と誰彼構わず肩を叩いて言って回りたい気持ちに駆られる。
まぁ、これは心理学用語とかだと躁状態ってやつだとは思うけれど----。
(とにかくそのくらい、今の私は仮面舞踏会の参加者に相応しいんだわ……いや、全然嬉しくないな)
手にしたグラスをぐいと呷って、私はバルコニーの外に目をやった。
(そういえばあの子、ちゃんと大人しく待機してるのかしら……)
バルコニーに繋いでいた蟹は、いなくなっていた。
切れたリボンが残っていたので、多分彼は下の植え込みにでも落ちて、そのまま海を目指したのだろう。
メリッサはえらく残念がっていたが、蟹にとっては碌な食べ物も与えられないまま干上がる義理もない訳で、私は密かに胸を撫で下ろしたのだった。
「……ッ!?」
不意に会場の匂いが変わった気がして、私はちょうどやって来た給仕に空いたグラスを押し付け、神経を集中させた。




