ドレスと仮面
「囮って、具体的には何をすればいいの?」
「大した仕事じゃないさ、この島では毎晩どこかの別荘やホテルで金持ち共のパーティーが開かれているからな」
白いカラスは、ひょいと跳び上がり、トランクの山の天辺に器用に着地した。
「お前はそのパーティーに潜入し、それらしい感じの妖しい女を探せ」
「えー、私もパーティーに行きたいぃ……!」
メリッサがさっそく異議を唱える。
「子供は駄目だ。お前はいつもの装備でフルンティングと一緒に外で待機してろ」
「アンソニーのケチ!」
枕を抱いて拗ねる少女には構わず、白いカラスは自分の乗っているトランクを嘴でクイクイと指す。
「おい腐れ魔女、お前のドレスや靴はこの中に一通り揃えてある」
「それはどうも……って、これ自分で出せって事ね?」
香油くさい贖宥符を爪の先で苦労しながら剥がしている私を、カラスの丸い目がじっと見ている。
「そういえば、パーティーのマナーは大丈夫か?」
「……中世式で構わないなら任せてくれていいわよ」
ガチャリ……。
やっと開いたトランクは、クローゼットトランクだった。
黒から水色までのドレスがずらりとハンガーに掛けられている。
見ただけで、どれも私にぴったりの寸法だと分かる。
「中世式のマナーって、アレか? 喰った後の骨はテーブルの下の犬にやる、みたいなヤツはもう流行ってないからな?」
「そんな事、少なくとも私の所ではしてなかったわよ……」
引き出しの中の靴の寸法もぴったりだ。
艶やかな革や磨き上げられた金具が、私が手に取るのを待つかのように静かに輝いているのを見ていると、少しだけ、気分が高揚するのが分かった。
(別に、たかがドレスと靴じゃないの……どれを選んだって大して変わらない……けど……)
「……で、その作戦はいつからやるの?」
真新しい靴の感触を人差し指で楽しみながら、私は尋ねた。
「もう始まってる」
「……は?」
私の片眉が上がったのを見たのか、白いカラスは一歩、静かに後退った----。
「なるべく目立たない方がいいんでしょ? なら、こんなんでどう……?」
姿見の前で私は両手を広げて見せた。
黒いロングドレスに、黒いパンプス。
髪は高めに結い上げ、化粧は口紅だけだ。
少し迷ったが、ネックレスはダイヤモンドが三連になったものを選んだ。
目立ち過ぎず、だが、一粒一粒のカットが美しい。
着けてみると首元にぴたりと添うのが分かる。
「……いい石ね」
「一粒でウチの予算の一年分くらいらしいぞ」
どういった来歴の物かは分からないが、石にも格があるというスヴィトラーナの言葉を信じるのなら、このダイヤモンドしかないような気がした。
(相手は石を使う魔女……味方に付けるにしろ敵に回すにしろ、力を持つ石を選んだ方がいい……ような気がする……)
単なる気休めとも言うが、揃いのイヤリングも着けてみる。
アンソニーの、ほうというような溜息が聞こえた。
「なるほど、腐れ魔女に堕ちたとはいえ……元領主の娘だ」
「せいぜい骨を犬にやらないように気を付けるわ」
そう言って、私は大事な事を忘れていたのに気付く。
「私の目……このままじゃまずいんじゃない?」
「アイリス! これ着けたらいいよ!」
待っていましたとばかりに、少女がレース状に透かし彫りの施された黒い仮面を私に手渡す。
「この島でのパーティーは、基本的にマスカレードパーティーだ。それを着けてれば多少目の色が変でも気にならないだろう」
「ずいぶんと原始的な方法なのね……」
仮面は目から鼻にかけて顔の上半分のみを覆う作りになっていて、片側には羽で作られた花が添えられている。
確かにこれなら、顔を覗き込まれない限りは目の色は目立たなそうだ。
「ペスト医師のやつも一応あるが、どうする?」
「いや、目立ってどうするのよ」
鍔広帽子に大きな鳥の嘴という異様な姿は、絵で見た事しかないが、ペスト----いや、黒死病を直す医者というよりは、死そのものの具象化だ。
そんな物を被って行くのは冗談がキツ過ぎる。
「ふぇぇ……これが、お医者さんなの……?」
メリッサはさっそくクローゼットからペスト医師の仮面を引っ張り出して被っていた。
小さい体に大きな鳥の頭という不格好な影は、ホテルの一室でそこだけ濃厚な死の気配を立ち昇らせていて、私は不意に胸騒ぎに襲われる。
(……この作戦、大丈夫なのよね……?)
とはいえ、私達魔女に拒否権などある訳もなく。
「さてと、……これで中世生まれの魔女には見えなくなった?」
「ま、いいんじゃないか」
白いカラスは羽繕いを始める。
「しかし何だかんだ言いながら、お前もドレスだの靴だので嬉しそうにするもんなんだな」
「べ、別に嬉しくなんかないわよ」
私は仮面を外し、カラスを睨み付けた。
「そうか? メイド服を着てる時の仏頂面とは全然違って見えるぞ?」
「あんなの着せられて喜ぶ方がおかしいでしょうが」
私は額を押さえる。
バスローブを着た小さなペスト医が、荷物の間をひょこひょこと歩き回っている。
「まぁ、別に……何着たって……人間に戻れる訳じゃないんだから」
姿見の中の自分にそう言うと、私は仮面をもう一度着けた。




