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スヴィトラーナ

 私達に宛がわれているのは、真ん中に大きなベッドが置かれた豪奢な部屋だ。


 ----なのだが、並べられた黒い機械やコードで足の踏み場もない。

 メリッサが喜びそうなせっかくの毛足の長い絨毯も、柄が全く分からない。

 私達の持ち物が入ってるらしいトランクも、香油の匂いを漂わせたまま転がっている。

 それどころか、私達の入れられてきた『人道的棺桶』までそのまま壁に立てかけてあるのだ。


「カーラただいまぁ……!」


 浮き輪を付けたままの少女は真っ先に奥の部屋に駆け込む。


「なんだ、まだお仕事終わらないの?」

「こら邪魔しちゃダメよ」


 奥の部屋には小さなテーブルと、椅子が一脚。

 テーブルの上にはティーセットと、チョコレート菓子が山盛りになった高足の銀器がひしめいている。


 甘い香りに満ちた、明らかに私のためではないのが分かる空間だ。


「でも、カーラ、朝からずっとこのままじゃない」

「お仕事中でいっぱいいっぱいなのよ」


 アンソニーの言う偽装用データの作成に容量を全て注ぎ込んでいるからなのだろうか。

 充電用の止まり木の上で、白いカラスは微動だにしない。


「いっぱいいっぱい……?」

「そう、だから私達はあっちに行ってましょう」


 私はメリッサの手を引く。


「なんだ、つまんないの……」


 唇を尖らせながらも少女は素直に部屋を出る。


「じゃあチョコ食べたい! お茶にしよ?」

「その前にほら、潮風を浴びたらちゃんと流さないと」


 浴室の前まで連れて行き、私は少女に浮き輪を外させようとする。


「え、でも、このコどうしよう……?」


 手にした蟹を困り顔で見せられて、私は手の震えに気付かれないように、それを受け取る。


「……お風呂の間預かってるわよ」


 蟹だってまさか一緒に入る訳にはいかないだろう。


「ほらほら、しっかり100数えてから出るのよ」


 少女をシャワールームに押し込むと、私はトランクを開けて着替え用の服を引っ張り出した。


(風に当てた方が香油の匂いが取れるわよね……?)


 少し考え、私はバルコニーに出た。

 硝子の戸に手をかけると、あっさり開く。


「……明日の朝海に戻してあげるから、今夜はここで我慢して」


 私はバルコニーの柵にリボンを結び付ける。

 蟹は柵の根元に身を寄せると、そこから動こうとはしない。


 海がすぐそこだというのに、潮の匂いはあまり感じられない。

 バルコニーを覆うように生い茂る杉やオリーブの葉の匂いが、微かなそよぎと共に私の髪を揺らす。


「気持ちいい……」


 ざわめき続けていた細胞がようやく落ち着くのを感じ、私は深呼吸した。

 やはり私には、海の刺激は強すぎるようだ。


「海は、うん……もういいかな……」


 私と同じように強い日差しを浴びていたはずなのに、木々が纏う空気は森の中を思わせる。

 樹齢を重ねた木が持つ老賢者のような息吹を、ここの木は持っている。


(やっぱり、この島って……木も特別なんだろうか……?)


 温室の草木を少し懐かしく思い出す。

 夕暮れ時のバルコニーは必要以上の郷愁を呼び寄せてしまうようだ。


「ねぇ、貴方達って……魔女の気配を感じたりするの……?」


 そう問いかけて、私は一人笑う。

 木に向かって一人で喋っている自分の姿は、なんだか無性に滑稽だった。


 だが、私が知っている『石の魔女』は、鉱物と会話ができた。


「おふろッ、おふろッ、おッふッろ……!」


 調子っぱずれな歌が浴室から流れて来て、私を郷愁から引き戻す。


「ちょ……あの子ったら……」


 大きな浴槽がよほど嬉しいのだろう。


「おふろのあとはッ、おかしとごはん……ッ!」


 しばらくは一人で機嫌よく入っていてくれる事を祈りつつ、私はバルコニーに両肘を付いた。

 昔の事をじっくり思い出すのも、たまにはいいかもしれない----。


 その魔女の名は、スヴィトラーナといった。


 魔女達の中でも年長で、確か、宝石商の何番目かの妻だったと記憶している。

 ロシア系で、肌は白く、赤く燃えるような髪をしていた。


 背が高く、馬に乗ったらさぞ早く走らせそうな体躯の持ち主だったが、誰かと話す時は、いつも腰を曲げるようにして、囁くように話していた。

 石を驚かせたくないから、というのがその理由だった。


 彼女が石と呼ぶのは鉱物全般だが、やはり宝石は格段に饒舌であり、ものによっては会話も成り立つそうだ。

 霊性が高いからというが、私には分からない。

 彼女には彼女なりの石についての独特な理論体系があるようだったが、もちろん法王庁にとっては単なる魔女の一人であった。


 いわゆる魔女部隊におけるスヴィトラーナの役割は、例えば宝石の付いた指輪を持つ者がいればその宝石を味方につけ、攻撃の一助にする事である。


 彼女がいれば、隠し部屋の扉を開けるのを拒む貴族に扉を開けさせ、逃れて身を隠した者の行方を示させる事ができた。


 だが、人間をジオードにしたところなど見た記憶はない。


「……いや、あいつらに強化されているのなら、できるか」


 私は唇を噛む。

 トゥーレ協会の魔女なら、不思議ではない。


「でも……そこまで強化されてるなら、その反動だって……」


 増幅された魔力を使えば、その代償として肉体的精神的なダメージは大きくなるだろう。

 使い捨てならともかく、トゥーレ協会は彼女達魔女を回収し、必ず『メンテナンス』を施しているはずなのだ。


(なのに、その様子がない……)


 この島には、トゥーレ協会の気配がないという。


(それって、つまり……スヴィトラーナは自分の意思でこの島に……?!)


「アイリスーっ! 一緒に入ろうよぉ!」


 またしても少女の声に邪魔されて、私は首を振りながら部屋に戻った----。

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