沈黙の法王
パチェリについては、その経歴を断片的にしか知らない私が述べられる事は極めて少ない。
曰く、『沈黙の法王』。
曰く、『ヒトラーの法王』。
不名誉極まりないこれらの二つ名を与えられたまま彼は大戦の後も法王としてしばらく生き、八十を過ぎてから死んだ。
パチェリの遺体は静養していた夏の離宮からローマへと運ばれ、三日の間大聖堂に安置された。
その遺体は高温で腐敗し、緋色に変色して、立ち上る臭気は付き添いの守衛が失神するほどに凄まじいものであったと語り草になったのだという。
ただ、それら全ては、私が見聞きしたものではない。
ミサの後、彼の棺が大聖堂の地下に埋葬されたその瞬間も、私はまだ温室の地下----闇の中にひとり座していたのだから。
だから、どの話も私の記憶の彼からはかけ離れたものだ。
神の正義と愛の体現者であるはずの法王でありながら、ナチスによる侵略戦争とユダヤ人の迫害に対して抗議する事なく沈黙を続けた、というのも、世間の評に過ぎない。
私の知る限り、パチェリはナチスに対して抗戦を貫いたはずだった。
ただし、その手段は巷で思い描かれるような、批判や、弾劾や、あるいは信仰心に訴えかけるような涙ぐましい心理的な揺さぶりでもなかった。
パチェリが行ったのは、ヒトラー暗殺のために魔女部隊をベルリンに送り込む事だった。