おねだり
ランドセルから引き出した黒い端末は、ノートパソコンよりも厚みがあり、一回り小さい。
それを開き、少女は懸命に何かを打ち込む。
『グラマー域が縮小に移りました!』
カーラの声に、初めて焦りの色が混じる。
『このままだと魔法式の展開が間に合いません!』
『分かってる……! 分かってるってば……ッ!』
二人の交信を聞きながら、しかし、私にできるのは、メリッサの前に立ちはだかって、獣と睨み合う事だけだ。
「ガルルルル……ッ! ガルル……グルルルゥ……ッ!」
獣の興奮はますます激しくなってきていた。
まるで手負いの猪か何かのような唸り声は、いつしか悲壮な響きすら帯びてきている。
(あれ、何だろうこの感じ……前にもあったような……?)
妙な既視感に、私は眉を寄せる。
魔獣の類いなどもう見慣れているはずなのに、何かが頭の隅に引っ掛かっている。
(いや、今はそんな事よりも状況に集中しないと!)
首筋からの出血は落ち着いてきたが、回復は思っていたよりも遅い。正直なところ立っているのもやっとなくらいの状態だった。
(あ、ちょっとクラクラしてきたかも……)
歴代の庭師達が口を酸っぱくして説いてくれた『天国への階段』とやらの影でも見えるかと思ったが、それらしいものはどこにも見当たらない。
「……やれやれ」
甘美な死はまだ遠いらしい。
私は剣を握り直した。
『メリッサ! 10秒経ったわよ!』
『分かってる! あと少しなんだってば……ッ!』
切羽詰まった叫びが返って来た次の瞬間、
『ねえ! 上手くいったらご褒美くれる!?』
思いもよらぬ言葉に私は素で「は?」と声を出してしまう。
『ご褒美? あ、死にたいとか?』
『そんなんじゃないわよ! 何が悲しくて死ななきゃならないのよ!?』
そうか。
確かにこの子はあくまでも魔女の器であって、魔女ではない。
怒りながらも指は忙しくキーを叩いているのは、さすがと言うべきか。
『カーラ、ご褒美っていつも何をあげてるの?』
『過去68回の訓練後全てスイス製チョコレートを与えました』
なるほど。
チョコレートなら、私も好きだ。
ベルリンに行く途中で連合軍の兵士から貰った、板みたいなチョコレートの味が舌に甦る。
修道女の恰好をした私達があまりにも黙りこくっていたのをどう勘違いしたのか、わざわざ装備から分けてくれたのだ。
多分、あの兵士も戦死したのだろう。
今も昔も、私達が身を置くのは『そういう戦場』しかないのだから。
『いいわよ、ご褒美ならいくらでもあげるから』
『ほんと?!』
俄然気力を取り戻した様子で、少女は目にも止まらぬ速さでキーを叩き、すっくと立ち上がった。