使者
今は司祭枢機卿の理論の正しさを呑気に検証している暇などない。
この状況で私がやるべき事は、一つしかなかった。
(とにかく、コイツをメリッサには近付けてはいけない……!)
『準備ができるまで私がコイツを引き付けておくから、システムを早く起動させて!』
囮役が他にいない以上は、メリッサの攻撃準備が整うまで私が時間を稼ぐしかないのだ。
突然割って入った邪魔者に獣人がたじろいでいる間に、私は少女の手から蝙蝠傘をひったくるようにして取り、ランドセルを背中から降ろさせる。
『使う時まで私が預かってるわ』
『……でも』
何か言いたげだったが、構わず石棺がずらりと並ぶ柱の陰を指す。
『あっちに隠れてて! いいわね?』
少女は頷き、即座に走り出した。
ぱたぱたぱたぱた。
身軽になったはずなのに、その足音は、いつもよりもまだ少し重い。
コートの裾がギクシャクとした動きで揺れているのを見送り、私は獣人の眼前に立つ。
爛々と燃える真っ赤な目の瞳孔は完全に開いている。
剛毛に覆われた全身は筋肉質だが、人とも犬ともつかない、均衡を欠いたシルエットは見る者を言いようのない不安な心持にさせる代物だった。
そして、何よりも私が耐えがたいのは、その匂いの酷さだ。
できる事ならもう二度と嗅ぎたくはない、地の底から湧く硫黄のような----『此処ではない何処か』から来たりし者のみが放つ、死の、匂い。
忌まわしい、そして記憶に馴染んだ不浄な匂い。
地獄からの使者が、今、私を呼び戻しに来ているのだ----。
私は剣の柄を握る指に力を込めた。