12(淡稀視点)
数十分に渡る追走劇を逃げ切った瑞瀬は水をあおる。
空になったコップを机に置き、息を吐いて口元を拭う様を冷めた目で見やった。
「いや~、酷い目にあった」
「自業自得だ」
「さっきも言ったけどさ、まだこれっぽっちも手ぇ出してないんだよ?それなのにこれは酷くない?」
自身の頬や腕についた切り傷を指す。
詩音にやられた傷だろう。よく見れば首にも似たような傷が残っており、詩音の怒り度合いが窺えた。
「去勢を免れただけましであろう」
「以前から詩音に好かれてないのは知ってたけど、あんなに露骨な殺意向けられたの初めてだよ。この短期間に翠ちゃんと仲良くなりすぎだって」
それは言えているかもしれない。前々から詩音は瑞瀬に好ましい感情は持っていなかったが、家を守る者として礼節は弁えて接していた。間違っても刈込ばさみで去勢を迫ることなどなかった。
要は、それほど翠に手を出したことに怒りを覚えたのだろう。追走劇を終えた後でも茶ではなく水を叩きつけていくくらいには。
翠のことを嬉しそうに語る詩音を思い起こす。最近は特に打ち解けた様子もあり、仲睦まじさを覚える。
「なんにせよ、全てお前が悪い」
「え~こんなに謝ってるのにまだ淡稀も怒ってんの」
「反省しとらんだろう」
「なに、やきもち?」
「…は?」
なに馬鹿馬鹿しいことを言い出すんだこいつは。
だってさ、と事も無げに阿呆は続ける。
「前に淡稀と関係もってるコに手を出しちゃったときだってそこまで気にしてなかったのに」
「あのなぁ…状況が全く異なるだろうが」
「俺のことぶっ飛ばしたときだって結界張んなきゃ正直ちょっとやばかったし」
「それはお前が私の忠告を無視して翠に手を出そうとしたからだこの愚か者」
そこらの女とは違うと重々承知のくせに。
こいつは頭は悪くないのに場の雰囲気に流されて判断が甘くなる節がある。
だから念のため釘を刺しておいたというのに……苛立ちのままぎろりと睨めば瑞瀬は目線を逸らして頬を掻く。
「だってさぁ、翠ちゃんも初めて会ったときと比べるとずいぶん表情が柔らかくなっててさ」
「……」
「あんな必死に縋る顔されたら、ーーちょっと困らせてみたくなるじゃん?」
薄く口角を上げる様は標的と見定めた女を狩る前に浮かべるそれとまったく同質で。爽やかな見た目に騙される者も多いが、瑞瀬の実質は私などより余程タチが悪い。
イラッとしたので神気を指先に込めてでこぴんを食らわせてやった。柱に頭をめり込ませるのを見てわずかに溜飲が下がる。
「ったたた…!頭吹っ飛ばす気か!」
「鳥頭なお前のためにもう一度言ってやろう。翠には手を出すな。……次はないぞ」
「……了解。悪かった」
本気の反省を見せたので追及はここまでにして茶をすする。
「…淡稀の方はまだおいとくとしても、翠ちゃんの方はどうかね」
「なんだ?」
「いーや、独り言。そういえば淡稀って翠ちゃんにまが玉渡してるよな?」
「ああ」
「あれ、反応してたぞ」
湯飲みを置く。
少々勢いがつきすぎたせいか、中身が机に数滴こぼれた。
「事実か」
「ホント。僅かだけど」
「…そうか」
だとしたら早々に確かめた方がいいな。
予想はしていたが、それよりも大分早い。けれど翠にとってはいい傾向でもある。
「情報感謝する」
「いーえ。まあ用心に越したことはないだろうけど、俺は安心したよ」
「安心?」
「だって此処での暮らしが楽しいって証拠だろ?」
「…そうだな」
「やっぱり女の子には笑っててほしいじゃん」
瑞瀬は屈託なく笑う。真っ直ぐにそう願い、てらいなく口に出せる素直さ。こいつのこういうところが、私は嫌いにはなれないのだと思う。
「そういえばお前は結局、何しにきたのだ?」
「あ-…ほら、もうすぐ宴だろ」
『宴』。耳障りな単語に眉をひそめる。
大方そんなところだろうとは思っていたが……
「逃げないか様子を見に来たか」
「そんな言い方するなよ。淡稀が心配で来たんだ」
「心配せんでも逃げはせん。…“決まり事”だからな」
忌々しいことこの上ないが、反故は出来ない。
神々における唯一にして絶対の規律だからだ。
はーっと重い溜め息が漏れる。
「あと姫さんが淡稀と連絡つかないって嘆いてたぞ」
「ああ…」
「文は断った。伝言だけでもって泣きつかれたから一応伝えておく」
この前途中退座したところの姫か。そういえば文が来ていた。
気が乗らずそのままにしていたが…。
どちらにしろ宴では会うことになるだろう。
「面倒くさいって顔だな」
「…違いない」
いずれにしろ煩わしい。
不快な淀みを残った茶と共に一気に飲み干すと瑞瀬が肩に腕を回してきた。
「まあまあ、酒も飯も極上だし少しは楽しもうぜ」
「……」
「なにかあれば俺もいるしさ」
慰めてくれる悪友にふっと力が抜ける。口を開こうとした瞬間、今の体勢が先ほど目にした光景を脳裏によぎらせた。
翠の肩を抱き寄せ、抱き締めるような形で、口付けが出来そうなほど顔を近付けて……
ヂリッ、と胸が騒ぐ。
『なに、やきもち?』
ーー何を馬鹿な。
「……そうだな、せいぜい酒でも楽しむとするか」
「そうそう、美味い酒があれば大抵のことはどうでもよくなるって」
「調子のいいやつめ」
自然さを装って瑞瀬の手を外す。
違う。私は瑞瀬のいい加減さに腹が立ったのであって。
決して、嫉妬なんかではない。




