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全てを諦めていた。
周囲から注がれるのはいつだって悪意だったから。
全てが無意味だった。
意思を問われるどころか名を呼ばれたことだって一度もなかったから。
全てが無価値だった。
だって自分の周りには、最初から何ひとつ無かったから。
だから、安堵すらあった。
カミサマへの生贄になると聞かされたときは。
「お前が私の贄か?」
深い霧に包まれた、まるでこの世ではないような、そんな場所で。
神様はわたしに、そう言った。
台にこすりつけた額をそのままに、「はい」と返答する。
手や肩が、震えているかもしれない。
だってまさか本当に、神様が現れるなんて。
このところ日照り続きで雨が降らず、作物が実らず村は途方に暮れていた。
そこで話し合われたのは土地神へ供物を捧げ、雨乞いをするというもの。
供物という名の生贄はすぐに決まった。わたしだ。
親もなく、忌み子として嫌われていた自分がちょうど良かったのだろう。
神への捧げ物だなんてのは口実で、体のいい口減らしだということも分かっていた。
隙間風が吹きすさぶ粗末な小屋で寝る支度をしているところへ、村の長とその息子がやってきた。
「喜べ。雨乞いのため、人身御供としてその身を神へと捧げられることとなった」
「明後日、日の出前に出立する」
「それまでに身支度を整えておけ」
何も反論を許さない厳しい口調で一方的に言い捨てて、長はさっさと踵を返していく。
その場に残った長の息子はにやにやと口角を歪ませる。
「良かったなぁ、最期の最期に村の役に立てそうで」
「お前みたいな疫病神をここまで生き長らえさせてやったんだ、感謝してもしきれないだろう」
「言っておくが、間違っても逃げようなんて考えるなよ。もしそんなことしたら…分かってるな?」
反応せずにいたことが気に障ったのか、舌打ちと共にお腕を投げつけられる。額に当たったそれは地面に落下し、砕け散った。
「こんなときでさえ表情ひとつ変えやがれねぇ。…気持ちわりぃ」
散らばった破片を踏みつけ、侮蔑の色をありありと浮かべながら長の息子は去って行った。
垂れてきた血を手の甲で拭い、破片を一つひとつ包みに拾い上げる。
お椀、勿体ないな。それなりに気に入っていたのに。
「……もう関係ないか」
明後日には生贄になる。長年暮らしたこの小屋に、もう帰ってくることもないのだろうから。
物事の進みは早かった。
まず小屋の片付け。元々物なんてほとんどないから片付けなんてあっという間だ。
それでも自分がずっと住んでいた場所。丁寧に、念入りに埃を掃いて水拭きして。
それから湯浴み。湯に浸かるなんて初めてで、身の置き所がなくて始終落ち着かなかった。
次に白い着物。真新しい着物なんてこれまた初めてで、触れていいのか大いに迷う。
だけど仮にもカミサマへの生贄。今まで着ていたボロ布のような着物じゃまずいだろうということは分かっていたから、おそるおそる袖を通した。
唯一の心残りは、時折ご飯目当てにやってきていたネズミたちには会えなかったこと。
残念だけど仕方ない。布に米粒を置く。最期の食事のお裾分け。今までありがとう。
薄汚れたつづらを開け、奥底に仕舞った一枚の大きめの布を取り出す。お世辞にも綺麗とは言い難いけれど。そっと畳み、懐へ忍ばせた。
最期の夜。
わたしは、心静かに星ひとつ見えない真っ黒な夜空を見つめた。