舞い込む春
近衛騎士の叙任式から二週間が経過したこの日、ハーミヤは王宮の中庭にあるガーデンテーブルに頬杖をついて、城内をきょろきょろと見渡していた。
しかしどこに目をやっても着飾った男女が目に入る。日頃ハーミヤの世話をしてくれる侍女達も、この日は地味な給仕服ではなく、色鮮やかなドレスに身を包んでいた。
回廊を歩く侍女達はまるで花の精のように可愛らしい。ハーミヤは目の前の賑やかな人々から視線を外すと、一人溜め息を吐いた。
今日は香鶯祭の二日目。香鶯祭というのは王族を始めクライネ王国の全国民が、春の訪れを歓喜し祝う為の祭りである。
国に設置された観察官が夜行蝶の蛹が羽化したのを確認すると開催が決定し、その五日後に開かれる。
一年の半分以上を冬将軍が支配するこの地では、最も活気付く祝祭である。その為この時期になると、王宮も市井も等しく浮かれた空気が流れるのだが、ハーミヤの表情は硬い。
この時期になると、どうしても嫌なことを思い出してしまうからだ。
「ハーミヤ」
「ひゃあっ!」
背後から声を掛けられて驚いたハーミヤは変な声を上げた。自分でも驚いてしまうくらい大きな声が出てしまい慌てて口元を押さえる。
考え事に夢中になるあまり、人が近づいてくることに全く気が付かなかった。ハーミヤは羞恥心で赤く染まった顔を両手で隠すと、ゆっくりと後ろを振り返った。
「フ、フレイアお姉様……」
消え入りそうなハーミヤの声にフレイアは肩を落とした。
「自分の家だっていうのにどうしてそんな隅で小さくなっているの、あなたって子は」
自分と同じ、けれどもそれより少し切れ長で美しい紺碧の瞳に見つめられハーミヤは項垂れた。
「昨年の舞踏会でのことを思い出してしまって、それで」
「ここで小さくなっていたの?」
返事の代わりにハーミヤは小さく頷いた。
「あれは別にあなたのせいってわけではないでしょう。前にも言ったけれど、あれはハーミヤが人前でダンスを踊るのが苦手なことを知っていて、無理に誘った元婚約者の彼にも問題があるわ。大体、あれくらいのミスは男性が支えて立て直すくらいでなくてはいけないのよ。私から言わせてみればリードミスだわ」
「でも私がヒールで足を踏んだりしなければ、そもそもあんなことにはならなかったはずですし」
「あの時かかっていたワルツだって、私やお兄様ならいざ知らず、初参加のあなたにはテンポだって取りにくかったはずでしょう?結局見栄を張ってしまった彼の責任よ。気にしては駄目」
「ええっと……」
フレイアの言葉にハーミヤは困った顔を作った。
そうは言われてもやはり九割は自分の責任に思えた。しかしそれを口にすると反論されて丸め込まれそうなので、ハーミヤは言葉を喉元に押し留める。
実はハーミヤが婚約者と破談になる原因を作ったものが香鶯祭にはあるのだ。
三日間に渡って行われる香鶯祭の最終日は、王宮で舞踏会が催される。平民、貴族関係なく自由参加が可能な為、そこには様々な身分の人が訪れる。城に仕える侍従達が着飾っているのもその為だ。多くは意中の相手を誘って参加するのだが、中には貴族の子息に見初めてもらえるかもしれない、という御伽話のような展開を期待している者もいる。
舞踏会の参加には十五歳以上という条件があり、条件を満たしたハーミヤは昨年初めて舞踏会に参加した。しかし相手の脚を踏んで転倒するという醜態を晒してしまったのだ。
相手役を務めたのは彼女の許嫁であったが、その一件以来避けられ続け、ついに婚約を破棄したいと本人から直接告げられた。
家柄だけで決められた関係の為、ハーミヤと彼の間にもともと愛があったわけではない。だからこそ特段気落ちしたということもなかったが、恥をかかせてしまったことについては申し訳ない気持ちで一杯であったので、ハーミヤは望み通り婚約の破棄に応じた。
それ以来、ダンスには苦手意識を抱いており、できる限り参加を避けたいところであった。
「それで、今年の舞踏会は誰と踊るの?」
「えっ、と……」
フレイアの問いにハーミヤは思いきり顔を逸らした。それから蚊の鳴くような声で答える。
「その……今年は参加するつもりはないんです」
しかし、社交界の華たるフレイアがその答えに納得する筈もなかった。
「駄目よ! 一年に一度の大事な日なんだから!」
フレイアは声高々にそう言うと、勢いよく立ち上がった。周囲の視線が一斉に向けられる。目立たぬようにしていた筈がいつの間にか注目の的である。ハーミヤは姉を座らせようと小さくなりながらフレイアの袖を引っ張った。
「お、お姉様。あの、人目が……」
半ば涙目でハーミヤが訴えるも、フレイアは構わず続ける。
「今年は冬がなかなか去らずに、香鶯祭が一月以上も遅れてしまったし、疫病だけでなく自然災害も頻発したでしょう? だからこそ、そんな厄を吹き飛ばす為にもしっかり祭に参加なさいな! それに民だってあなたの元気な姿を一目見たいと思う筈だわ……」
フレイアはそう言うと、最後は優しくハーミヤの頬を撫でた。
「でも私、ダンスは」
ハーミヤにも姉の気持ちは痛いほどわかる。しかし素直に頷くのは憚られた。それほどあの一件は心に残っているのだ。
「もう一度言うけれど、ハーミヤは全然悪くないのよ? そうね、要するに相手が問題なのよ」
フレイアは頰に手をやると何事か思案しだした。
難しい顔で考え込む姉にハーミヤが声を掛けようとした時、不意にフレイアが顔を上げた。
「そうだわ。ルドルフを誘ったらどうかしら」
「えっ」
思いもよらぬ人物の名前にハーミヤは目を瞬かせた。
「近衛騎士ならダンスだってお手のものでしょうし、取り合わせ的にも王族に見劣りしないわ」
「でも、何故彼なんです? 近衛騎士なら他にも四人いるではありませんか」
「だってあなた、叙任式の時ルドルフのことばかり見ていたじゃない」
「えっ、あっ、それは」
何か言い訳をしなくては、と思うのに上手く言葉にできなくてハーミヤはあたふたした。
「それに式典が終わった後も追いかけて行って、声を掛けていたでしょう? だから私、てっきり……」
「見ていたのですかっ!?」
まさかあのおかしな発言を聞かれていたとは。
ハーミヤは驚きと羞恥で真っ赤になった。
「お姉様、あれはそういうことではなくて。えっと、その……」
誤解だと言いたくてもハーミヤにもあの感情をどう説明すればいいのか分からない。
しばらく容量を得ない言葉を発していたものの、居た堪れなくなってハーミヤは高いヒールを履いたまま一目散に走り出した。
「えっ、ハーミヤっ!?」
突然立ち上がったかと思うと、走り去ってしまった妹をフレイアは呆然と見送った。




