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罪の在り処3

 ハーミヤが病に感染したことは、すぐにダーウェント中に知れ渡った。

 ハーミヤは兵舎に用意された個室で療養することになったが、体調がいい時は同じように病に苦しむ者達の元を訪れ会話をしていた。

 それでもハーミヤの病状は決していいものではなかった。

 食事の乗った盆を片手にルドルフはハーミヤの部屋へと声を掛けた。


「ハーミヤ様、お食事をお持ちしました」


 しかしいくら待っても中から返事はない。

 許しもなしに王女である彼女の部屋へと入るのは気が引けたので、ルドルフは素直に厨房へと引き返した。


 以前にも増してハーミヤは部屋を留守にしていることが増えた。病状は悪化の一途を辿るばかりだというのに、部屋で療養しないハーミヤにルドルフは困り果てていた。

 厨房で食器を洗い終わり自室へ戻る途中、医務室からハーミヤが出てくるのが見えてルドルフは足を止めた。


 ルドルフに気が付いたハーミヤがおっとりと微笑むが、その顔色は蒼白く弱々しいものだった。

 壁に手をつきながら向かってくるハーミヤの体を、ルドルフは優しく支えた。もはや歩くことすら彼女にとっては難しいことのようだった。


「やっと、やっと完成したんです」


「完成って……、まさか」


「はいっ、薬がやっと完成しました。これで、みんなを助けることができます!」


 そう言って微笑むハーミヤの目は希望に満ち、輝いていた。


 それからすぐに医師達によって薬が処方された。最初に完治者が出たのはそれから五日後のことで、それは人々に安堵と歓喜をもたらした。


 その一方で、ハーミヤの病状はなかなか好転しなかった。

 ベッドに伏せる彼女の元には医師が足繁く通い、ルドルフもまたできうる限りハーミヤに付き添った。

 その日の診察を終えて医師が出て行くと、ルドルフとハーミヤは二人部屋に残された。


「何かお飲みになりますか? 用意致しますよ」


 そう言って立ち上がろうとするルドルフの服の裾を、ハーミヤは弱々しく掴んだ。そして懸命に言葉を紡ぐ。


「外が、見たいです。連れて行ってくれませんか?」


 ハーミヤの希望にルドルフは困惑した。今日は朝から大雪で、気温は零度を下回っている。

 望むことならなんでも叶えてあげたいが、体に障ることとなれば話は別である。

 ルドルフが渋っていると、ハーミヤはなおも言葉を重ねた。


「少しでだけでいいですから。お願い……」


 服を掴んだまま離さないハーミヤに、結局ルドルフは彼女の望みを叶えることにした。


 階段の数はおよそ百五十段。兵舎屋上から眺める景色は、この街を一望することができるのに、冷たく長い石のきざはしは嫌われて、訪れる者は殆どいない。


 もはや歩くことさえままならぬハーミヤをルドルフは横抱きにして階段を上った。途中に造られた窓からは真っ白な雪が吹き込んでくる。


 春はまだまだ先のようだ。一面の銀世界に溜め息を吐けば、白い息が現れ消えた。空気はこんなに冷たいのに、腕に抱えた彼女は酷く熱い。そのことが気掛かりで、熱など早く下がって欲しいと思うのに、一度下がり始めれば、今度はどんどん冷たくなっていく気がして恐ろしかった。体はとても軽くなって、着込んだ服の重さの分しか殆ど感じられない。


 屋上の木の扉をゆっくり開けて、ハーミヤを椅子の上に下ろす。ハーミヤは重たそうな瞳を懸命に開くと、広がる景色を眺めた。


 誰よりも春を愛したハーミヤ。どうしてもとせがむから連れては来たが、広がるのは雪に覆われた王国だ。灰色の空と白い大地。哀愁を誘う冬将軍の治める地。しかし彼女はそれを愛おしそうに眺めている。

 ハーミヤは舞い散る雪を捕まえるかのように空へ向かって両手を伸ばした。すると袖口がスルスルと下がって、彼女の白い腕が露わになった。


「身体を冷やしてしまいますよ」


「大丈夫です。涼しいくらいですから」


 そう答えるハーミヤは、やはり微笑んでいた。

 しかしその白い腕には、いくつもの小さな傷ができていて、肌が赤紫に変色していた。それが注射痕であることにルドルフはすぐに気が付いた。


「ハーミヤ様、その腕の痕は……」


 深刻な声でルドルフが尋ねると、ハーミヤはしまった、というように顔を強張らせた。それから腕の痕を隠すように身体を搔き抱いた。


「どういうことですか、それは。治療でもこんなに注射針を刺すことなどないと思いますが」


 心配する気持ちを抑えることができずに、ルドルフは尋ねた。

 ルドルフの真剣な表情に、ハーミヤは僅かに罰の悪い顔をした。


「私がお願いしたんです。治療薬を見つける為に使ってくれと」


「……自ら、検体になられたのですか」


 ルドルフが驚愕と苦渋に声を詰まらせると、ハーミヤはそれを悲しげな瞳で見つめ返した。


「救護団に志願した時から覚悟はしていたんです。感染した時は、自らを使ってでも治療方を見つけようと」


「何故そこまで……」


「……民には伏せられているのだけれど、少し前にお母様がこの伝染病に罹って亡くなったんです。悲しくて、辛くて、でも弱っていくお母様を見ていることしかできなくて恐ろしかった。こんな思い、もう誰にもしてほしくありません……」


 それにと、ハーミヤは躊躇いがちに言葉を続けた。


「私はお兄様のような傑物でもなければ、お姉様のような美貌もカリスマ性もありません。この国の為に自分にできることをしたいだけなんです」


 ルドルフは堪らずハーミヤを抱き締めた。


「貴女は、自らを貶めるような言い方をなさいますが、私は貴女以上に優しい方を知りません……」


 耳元でハーミヤが微笑む息遣いがして、そっと背中に腕を回された。


「変ね。貴方にそう言われると、涙が出そうになります」


 そう言ったハーミヤの目は微かに赤くなっていて、それさえもルドルフには美しく映った。

 ハーミヤは再び眼下に広がる白い街を眺めた。


「素敵ね」


 言葉の意味を理解しかねてルドルフが首をかしげると、彼女は無邪気に笑う。


「だって、この雪の下には春が眠っているんですよ。暖かな空気に呼び覚まされて、どんな色に染まるのかしら」


 彼女の視線を追って、ルドルフもまた再び外へ目をくれる。彼女にはきっとこの雪景色も、色鮮やかに映っているのだろう。自分も同じものが見たくて、恋い焦がれた。側にいれば、見える気がした。一人では無理でも彼女と一緒ならば。瞬きすら惜しんで見つめていれば、微かに春が透けて見える気がした。


 それが嬉しくて隣を見ると、ハーミヤの瞳は閉じられていた。疲れて眠ってしまったのだろうか? そっと抱き寄せると、血の気が引いた。先程まで熱を持っていた筈の彼女の体がひんやりと冷たい。


「ハーミヤ様」


 灰色の空から綿のような雪が降り出した。


「ハーミヤ様」


 長い睫毛に雪が積もる。


「ハーミヤ様」


 どんなに呼びかけても、彼女は目を開けない。

 神様、どうして。……彼女を連れて行かないで。独りにしないで。世界が急速に色褪せて、色を無くす。

 他に何も望まない。彼女の側にいられるのなら。


 願った瞬間、ルドルフの内から黄金の光が溢れ出た。それはとても暖かく、懐かしい光だった。驚いている暇もなく光はルドルフからハーミヤの体へと移り、そして消えていった。するとハーミヤの胸が再び上下に動き始めた。

 ルドルフの頬を一筋の涙が伝う。全て思い出した。自らの正体も役目も何もかも。

 だけどもう、何もかもが遅かった。世界のどこかで張り詰めていた糸が切れる音をルドルフは聞いた。


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