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罪の在り処1

 隣国アルダームより広まった死の病は、瞬く間にクライネ王国の北端ダーウェントにもやってきた。

 王都から病の注意喚起はもたらされていたが、空気感染によって広まるそれを防ぎきることはできなかった。


 また病は低気温との相性が良かったのか、ダーウェントは他の地域の三倍にあたる感染者を出した。

 治療法がわからぬ為に人々は右往左往し、大聖堂は神へと救いを求める人々で溢れかえった。


 一方の感染者はというと、感染拡大を防ぐ為に軍の駐屯兵舎の一部に隔離された。

 看病にあたるのは収容者の家族と兵士の一部だけで、街の人間は彼らを見るとそそくさと距離を置いた。兵舎を貸している兵でさえも、苦しむ人々を腫れ物のように扱う者がいたくらいだ。


 兵舎ではすぐにベッドが足りなくなって、床にシーツを敷いて寝床を確保した。そこに横たわる者の中には、顔に白い布を掛けられた者も少なくない。

 常に誰かが泣いていて、苦しみ呻く声がする。それはまるで地獄のような光景だった。


 ルドルフが水の入った桶を持ってそこを歩いていると、一人の老爺が激しく咳き込んでいた。

 老爺の周りに世話をする人間はなく、彼はシーツの上で体を小さくしていた。


 ルドルフは駆け寄ると、老爺の曲がった背を優しくさすった。骨と皮ばかりのその体は力を込めれば折れてしまいそうで、いつから風呂に入っていないのか真っ白な髪はボサボサだった。


「おお、すまんね……」


 老爺は申し訳なさそうにそう言ったが、その顔はどこか嬉しそうだった。


「少し水を飲んだ方がいいでしょう。脱水症状を起こしたら大変です」


 ルドルフが水の入ったグラスを差し出すと、老爺は素直に手を伸ばしてきた。

 力が入らず微かに震える皺々の手に、ルドルフは自らの手を添えて支えてやった。

 数分かけてようやく水を飲み終えると、咳は止まっていた。


「随分と楽になったよ。ありがとう」


「それはよかった」


 ゆっくりとした口調で礼を述べる老爺にルドルフは微笑んだ。

 それも束の間、老爺は穴の空いた毛布にくるまると体を震わせた。

 風が吹くたびに窓がガタガタと音を立て、隙間からは冷気が入り込んで来る。老爺のいる場所は窓辺だった為に、特に気温が低かった。


「もっと部屋の中央に移動してもいいのですよ。空きならまだありますから」


 ルドルフがそう言って部屋の中央を指差すと、老爺は首を横に振った。


「儂みたいな汚い奴が近くに寄ったら、みんな嫌がる……。だからここでいいんじゃ」


 老爺はそう言うと下を向いてしまった。

 ルドルフが首を巡らせると、確かに人々が遠巻きに自分たちを見ているような気がした。

 頑なな老爺の態度にルドルフは説得を諦めると、懐から温石を取り出した。

 ルドルフはそれを老爺の手に握らせて言った。


「今はこれで我慢してください。もうすぐ王都から物資が届くので、そうすれば新しい毛布をお渡しできます」


 老爺は大切そうに受け取った温石を包み込むと、目を細めた。


「こんなに誰かに優しくされたのは、何年振りだろうなぁ……。病気になるのも悪くない気がするよ」


 本気で心底そう思っているのであろう老爺の言葉に、ルドルフは「健康が一番ですよ」と返すのが精一杯だった。

 すると老爺は「違いない」と軽く微笑んだ。

 優しさから遠い暮らしをしていたルドルフには、老爺の言葉が胸に滲みた。


 駐屯兵舎の一室でルドルフは洗濯を行なっていた。

 籐籠から汚れたタオルやシーツを次々取り出すと、お湯の張られた桶にそれを入れて洗っていく。

 それらを絞っては干してを何度か繰り返していると、二人の青年兵士がやって来た。

 二人はルドルフの姿を見るなり顔をしかめた。


「おい、お前。さっき浮浪者の爺さんと話してたよな」


 目付きの鋭い痩せ型の兵士は、不機嫌そうに言った。

 先ほど温石を渡した老爺のことを言っているのだと、ルドルフはすぐに気が付いた。


「それがなにか」


「よくあんな汚い奴の側に寄れるなぁ。肺が汚れちまう」


 青年兵士はそう吐き捨てると、自分の持ってきた衣類をルドルフの籐籠へと投げつけた。


「汚い……?」


「ああ汚ねぇだろうがよ。大体、なんで病人の世話なんてしなけりゃならないんだ。俺たちまで街を自由に歩けねえなんて冗談じゃない」


「兵は王を助け、民を守る為の存在。我々が彼らを助けることは当然だろう」


 ルドルフは洗う手を止めると、柄の悪い兵士を見据えた。

 すると二人の青年兵士は、気分を害したようで眉間に皺を寄せた。


「助ける? 守る? 何言ってんだ。あの病気は治らねぇっていうじゃねぇか。罹った時点で死んだも同然だろ? 死人守って何になるっていうんだよ」


「全くだっ! なんで俺たちが危険を冒す必要があるんだ! あんな奴らさっさとみんな焼き殺しちまえばいいんだっ!」


 ルドルフは恐ろしい言葉に耳を疑った。

 それは恐らく我が身可愛さに出た言葉だったのだろう。同じ空間にいて看病している人間の方が、遥かに感染リスクが高いから。

 だがそれでも、今の発言は到底許せるものではなかった。


「ふざけ……」


「ふざけないでくださいっ!」


 ルドルフの声は、それ以上に大きな声に掻き消された。

 ルドルフも青年兵士の二人も突然の乱入者に驚き、声のした戸口へと顔を向けた。

 そこには雪の積もった外套を着た少女が立っていた。

 歳のくらいは十五、六といったところで、ウェーブのかかった長い亜麻色の髪に、瞳は青空を映したような紺碧の色。白い肌は怒りによって朱に染まり、握られた拳は微かに震えている。

 少女は躊躇うことなく自分よりも体格の良い兵士達の間に割って入った。


「なんということを言うのですか……。貴方達には人の心がないのですかっ!」


 少女の怒りと悲しみの声に一瞬怯んだ兵士だったが、少女を頭からつま先まで舐めるようにして見ると下品な笑みを浮かべた。


「人間だからこう言ってるんだよ、嬢ちゃん。誰だって他人なんかより自分の方がかわいいんだ」


「言っていいことと悪いことの区別もつきませんかっ」


「百人の病原体を殺して、何万という民を生かすか。それとも百人の病原体を哀れんで一国を滅ぼすのか。どちらがいいかなんて子供でもわかる。俺たちの言ってることは間違っちゃいないぜ」


 兵士は悪びれた様子もなく言ってのけた。


「それよりあんた、可愛い顔してるじゃないか。ちょっと付き合えよ」


 そう言うと、二人の兵士は少女に向かって手を伸ばした。

 それを止めようとルドルフが間に割って入ろうとすると、少女は片手でそれを制した。

 有無を言わせぬその様子にルドルフは少女の顔を伺った。

 そこには深い哀しみが刻まれていた。


「貴方達の大切な人が病に罹っても、今と同じことが言えますか」


 少女に触れる寸前で男達の手が止まる。彼らもまた、大小異なれど彼女の言葉にある圧にあてられたようだった。

 唐突に訪れた沈黙を、扉の開く音が破った。


「ハーミヤ王女殿下っ! こちらでしたか!! お探し致しましたぞ!」


 額に汗を浮かべた男が部屋に駆け込んでくると、一直線に少女の前にやってきた。


「ごめんなさい。迷惑を掛けてしまいましたね」


「いいえ、滅相もありません。御無事でよかった」


 主従二人の遣り取りを、ルドルフと青年兵士達は呆然と見ていた。


「王女殿下……?」


 青年兵士が言葉に出すと、ハーミヤは肯定するように微笑んだ。

 その途端、青年兵士達の顔は真っ青になった。


「王女殿下、御無礼をどうかお許し下さいっ!!」


 物凄い勢いで頭を下げた二人に、お付きの従者は状況を飲み込めていないようであった。

 ハーミヤは顔を上げるように促すと、職務に励むよう檄を飛ばした。

 すると二人は逃げるように部屋から出て行った。

 ハーミヤはそれを見送ると、くるりと反転してルドルフを見上げた。


「久しぶりですね、ルドルフ」


 花の開いたような微笑みを浮かべて言うハーミヤに、ルドルフは笑み崩れた。


「はい、ハーミヤ様」


 六年ぶりに再会した王女は、あどけない子どもから美しい少女へと変わっていた。

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