未踏 7号 「私への呼びかけ」
「私への呼びかけ」
自分のために生きる中にある真の喜びの証明
自分への関心と不思議さの探究
日々変化する感情のおもしろさ
ありふれた日常の中の掛けがえのなさの発見
人生はどんな虚構よりも幻想的
私への呼びかけ
自分のために生きる中にある真の喜びの証明
自分への関心と不思議さの探究
日々変化する感情のおもしろさ
ありふれた日常の中の掛けがえのなさの発見
人生はどんな虚構よりも幻想的
沈黙の探究
知覚の扉の掃除作業
瞬間の日々の立ち帰り
掛けがえのないものへの味わい
人生において、あらゆる出来事の価値は同じ
失われた時を、見い出された時へ
絵画はすべて一人称で描かれている
私が生きていることと、私の時間こそをテーマにして
雨がたのしい、新緑がまぶしい、水たまりが不思議、草の成長がうれしい、こうした何気ない日々の透明な感情の先にあるものを、書くことで探ること。書くことが、明日生きることの糧になり、生きたことが、また書く糧になる生き方。
日常の中の見過ごされている微細な感情、感知し得ないような微かな心理の発見作業、発見すべき世界は無限に残されている。更なる発見の作業。
自省的ではなく、事実の記録ではなく、子供達の遊びのような、発見の連続であるような、生きていることそのもののような。
表現は出来ないかもしれない、人には伝わらないかもしれない、「雨がたのしい、新緑がまぶしい」など、人は「そう」というだけで、それ以上のものでもない。たが、私が私において、書くことで真の発見が出来たなら、そして、それが表現できたなら、人は時を見い出す。
書くこと、書かないかぎり、時間は昨日のままで留まっていると、あの犬のこと、あの虫のこと、あの感情、この感情と、家計簿とは違う、付ければ付けるほど、時間と、人生が蓄積されていくような。
物質の気の遠くなる歴史と、エネルギーを一瞬に引き出し封じ込める人の意識を以って。
記憶であり、予見であり、過去と未来を繋ぐ意識を意識する私で以って。
意識は必ずや物質と共に未来に生きると。
五月十日
終日、暖かい五月の雨。まだ柔らかな若葉の葉先から、涙のような雫が落ちていた。家々をぬらし、道をぬらし、人々の頬をぬらし、若い恋人たちをやさしくした一日。
一人で来る客はほとんどない、家の近くのファミリーレストランに私は腰掛け、雨の一日を楽しんでいる。本を読んだり、書いたり、疲れては客をながめたり。
私が来て、もう二時間になろうとしている。客は私と三組ほどの若いカップルだけ、カップルたち、今日の外の雨のように静か。見つめあい、時に軽い笑い声をたてながら、いつまでも、おしゃべりに興じている。
映画のこと、歌手のこと、旅行のこと、そして、家族や仕事のことと、何気ない二人の日常が話題。どちらかが長くしゃべっているということはない。ピンポンのように、お互いがしゃべりあうことを楽しんでいる。
日常のささやかなものの中にある喜びの発見。汚してきた知覚の扉の掃除のために、書き始めようとしている「私への呼びかけ」。最初に飛び込んで来たのが、これら、恋する若いカップルたちの姿だった。私にもあった、いくつかの恋ほどその出発において、にごりのない感覚はなかった。
同席していた数人の女性の中から、私は瞬時に一人を選ぶ。あの娘は可愛いけど引っ込み思案、あの娘は自信がなくさみしがり屋、あの娘は明るく、くったくがない、と。好きという私の個的な感覚で選びとる。好きな娘へ自然に目が向く。おさげ、ぽっちゃりした頬、きれいな声、しぐさ、プロポーション、私への感じ。様々なその娘の姿が観察され、総合され、私の心にイメージを落とす。好きという感覚で、これほど素直に従えるものはない。ありふれた日常の中にあって、これほどの喜びの発見はない。私は文章を書くのが好きだといっても、選びとったあの娘が好きだという感情ほどの純粋さはない。あの娘のことを知りたい、自分を知って欲しい、と、デイトの申し込み。なぜデイトしたいのか彼女は問わない。何のためにデイトするのか彼女は問わない。デイトして何をするのかも。問われない意味、問われない目的、問われない方法。彼女も私も知っている。これほどの、解りあえる意味、共通の目的があるだろうか。理由も、方法も、すでに了解されているところの日常の行動、恋のなかにだけ残されている人の純粋な感覚。
恋人達、幼稚園児のように、仲よく、楽しく、しゃべり続けている。好きだということが恥ずかしい、生きてきた中でこれほどの赤裸な、素直な気持ちになったことがなかったから、いつも理由や、目的や、方法を考えて生きていたから、それらを全部とり払った裸の私が見えるから、裸の心に慣れていないから、彼女も裸になっているのか、まだよくわからないから。無意味なことを少し聞いてみる。無目的な答えがおずおずと返ってくる。裸の彼女がちょっと見えてくる。沈黙していると、自分たちがいま裸で歩いていることを感じる。離れず、近寄らず、急がず、慎重に歩いていても、二人の手が触れ合う。二人は思いきって手をつなぐ、やわらかな、あたたかい、発見された手。父や母、兄弟とは違った、私が初めて触れる、もう一人の私の手を感じる。裸の心で手をつなぎ歩く恋人たち、自分自身と、もう一人の自分を得る。かつて味わったことのない所有、この世で最高の、濁りのない、そこに在るだけの、存在そのものの自分自身と世界を見つける。恋の前に、知覚の扉は苦労なく掃除されるのだった。
恋人達、瞳がぬれているよう。意味を問う、険しさはない。
恋人達、声が歌のように聞こえている。意志や、考えをまとめる為の道具ではなく、呼び合う為の、喜びの為の言葉、声。やわらかく、やさしく、なめらか。
恋人達、しぐさが風のよう、ひそやかに、ためらいがち。
雨の日の恋人達、世界と私をつないだ。
五月一二日
生きている中で、世界のこれほどの際立ちがあるだろうか。世界に戦争があり、人の病や、死があり、倦怠や不機嫌があるなかで、この五月の、日に数センチも伸びる、草木の緑。新鮮だから、けな気だから、柔らかいから、成長するから、光を反射しているから、吸っているから、唯一生きものだから、今色がこぼれているから、清水のように生命が流れ出ているから、一ケ月前には何もなかったその枝先に、今奇蹟のように、その輝く緑葉が誕生しているから、景色を包み、私の目を覆うから、彼らが生きている限り、彼らが生まれ変わる限り、私も生まれ変われると思えるから。覆われる緑が、日々変化する緑葉が、私の人生を映していると思えるから、これらの成長、変化がうれしい。新緑の、五月の、これほどの際立ちが、世界にあるだろうか。あたりまえの、巡る季節の中の、世界の出現、私は見飽きない、どの木をを見ても、どの草を見ても、限りない緑の変化。あの柿の葉の黄緑、あのビワの葉の白濁した緑、あのアケビのビロード地の緑、今生命のシャワーが吹き出ていると思える。彼らの吐息、私の生命に思える、生命そのものに思える。生まれ出づる生命、輝き。踊り、歌い、私に文句なしの信頼と喜びを与えてくれる。彼らに包まれる喜び、一緒に生きられる喜び、彼らを見守り、彼らに見守られる喜び。生命そのものの五月を、朝に夕べに、見、語り、触れ、生命に溢れるこの世界を、慈しみ味わう。見い出した私の時、私は見つめる、寄り添う、手に取り触れる。光から生まれた、水が変化したような重みのある葉、ぬるぬるした、冷ややかな、吸いつくような葉表、うぶ毛に蔽われた、さらさらした葉裏、どうしてこんな色が、どうしてこんな生命が、透明な薄い皮膜、その下の緑の粒をしきつめた層、きらきらと光っている、何かを吐き出しているよう、生命の原形質、生命の匂いが漂う、生きた絵の具のような、これらの物質、これらがあの生命の輝きを造っている。何という生きもの、何という世界、彼ら一つの思考で、美に変化している、真理に到達している。何百の思考があっても、一つの美にも到達できない私、揺れ動き、彼らを目指すばかり、美や、真理を見つめるばかりの私、一つの思考へ、一つの知性へ、彼らのような姿へ、私は生き始めなければ。
五月一五日
小犬の頃より知っているチコ、月一回仕事に顔を出した時、交わし合うだけの私とチコの間柄、もう四年になろうとしている。小犬の頃、私が何もチョッカイを出さなくても、チコのほうから飛びついて来て、ジャレて来た。今では私が行っても、飛んでくるようなことはない、ヌーゥと顔を出し、私が来たのを認めるくらい、でも、私が手を出し、声を掛けると、近寄り私の挨拶を受ける。私は首元をしばらく撫でる、笑い掛ける、話し掛ける。顔を近ずければ、私の顔を一舐めする。私の挨拶が一通り終われば、チコはまた自分の部屋へと帰って行く。
チコといい、他のどこの犬といい、私にとって親しいのは、彼らがいつも一人で生きているという感じがするからだった。その家の家族の中にあったとしても、時に私に吠えるものがあったとしても、その家族の一員を感じさせはしない。彼らは彼らで生きていると思える。誰とでも、優しく接する者には、隔たりなく、親愛を示すが、しばらくすれば、一人の世界と、一人の空間へと戻って行く、彼ら人の中で、一人で生きていると思える。この彼らの心情が私に、ある感慨を覚えさせ、励まされ、連帯感を起こさせる。彼らの目、人ほど意志を先立たせない分だけ、感覚的で、瞑想的、人を瞬間でとらえながら、情感的に生きていると思える。憂いをもって、孤独に、思索的に、限られた鎖の範囲で、充分に生きていると思える。彼らの一つの意志、それは憂欝ということ。人の憂欝のような彼らの憂欝。寂し気で、悲し気で、孤独、自分で自分を慰めるばかり。
犬の憂欝が私は好きだ、彼らの憂欝は生活になっているのだから、それは思想にまで高められているように思えるから、彼ら文学や絵画、芸術で表現はしないが、人に於いて、才能といものが、自らの価値観に基づいて、人生を組織し続けた結果にあるとするならば、彼ら、生活を組織した天才に思えるから。
五月一七日
彼に会うと、世界が不思議さで満たされていると思える。彼と話していると飽きると言うことがない。心地良いものに包まれる。
彼には、ささやかなもの、ありふれたものの中に、おもしろさや、不思議さや、美しさを見付ける能力があるから、そして、それらを人知れず味わい、楽しんでいるから、その楽しみが顔に溢れているから、人に対し、おもしろいよ、楽しいよ、と語りかけることを人との出会いとしているから。
父は三味線、母は唄、父は冬場、家業の左官が暇になると、三味線をかついで漫才に出掛けた。母は、お盆になると、やぐらの上で唄った。家族みんなが、音楽が好きで、よく家族で演奏会をやった。長兄はイタリア歌曲、三男の彼は、ギターを弾いた。高校は工業高校だったが、ピアノにこがれて、学校のピアノでよく練習した。蝶にこがれた、蝶のためには餌にする木から育てた。捕虫網をかざし、一日中木のてっぺんで蝶を待った。採取した蝶は標本を作り楽しんだ。建築にこがれた、夜間大学へ通い建築士の資格をとった。
建築のためには、会社を辞め、ヨーロッパを旅行した。京都、奈良の寺々は、くまなく歩いて回った。インテリアにこがれた、おもしろいデザインを考案しては手作りした。様々な形のモビールを作り、風に揺らせた。植物にこがれた、テレビ搭の下で、ネジ花を採取してきて、ベランダで育てた。編み物にこがれた、モーツアルトに、ブルックナーにこがれた。最近では染色に、ステンドグラスにと、彼は次々と、得たもの、出会ったものと別れることなく、広げ深め、不思議さと、創造の探検を続けている。少年時代を広げただけのように今を生きている。
六月一日
文字で表現する暇のない程の、濃密な感覚。昼寝を早々に切り上げ、自転車で街を走る感覚、二、三の女性の顔を見る感覚、川を眺める感覚、一人で入ったレストランを思い出す感覚、買い物を楽しむ感覚、夕暮れに家族が待つ感覚、子供と話し合う感覚、妻と話し合う感覚、植木を見る感覚、ステレオを聴く感覚、万年青を見る感覚、尽きないこれらの、いちいちの感覚が私の実存の感覚、明日これらが、ついえさるかもしれないという私の意識の上に焼き付けられていく感覚、これらを文字で表現したい欲求にかられはするが、果たしてこれらが、人に価値あるものか、多く人が持つ当たり前の感覚なのだから、人は好むと好まざると、意識するとしないとに関わらず、実存の動物なのだから。ただ、意識するその連続性が人それぞれ違うだけ、私は連続させているだけ。時を、存在を、先端で時に崖ぷちでとらえようとしているだけ。あっ、雨が降ってきた。あっ、夜が明けてきた。
あっ、鳥が啼いていると。
六月一二日
茶碗があり、灰皿があり、スタンドがあり、その向こうにステレオがあり、窓があり、その又向こうには、桜の木があり、家々があり、空がある。この深い深い無限の空間が嬉しい、この光と物の中に拡がる世界がある為に、私の心は宙に浮かんでいるような気持になれるし、無限の中の自分を感じることが出来る。何んでもない、この物と物との空間が懐かしい。時間が空気だとするなら、この物達は私と同じ存在なのだからと、親しみもひとしお、いつの日にかついえ去る存在としての物と私。数日来の雨、晴れた朝、物達は光と雨を吸い、輝き、風に踊っている。何んでもない、いつも在る風景なのに、深い深い空間の中の物達と私。
八月二十日
今年の夏
紫金牛の插し木。万年青、蘭、紫金牛を水苔植えに変更。植木棚の日よけ作り。万年青の吊り枠作り。芝生、池の掃除。本棚の整理、埃り取り。押し入れの棚作り。下駄箱の棚作り。食器戸棚の棚作り。台所下の棚作り。電気の笠作り。ミシン修理。調味料入れにラベル張り。道具箱作り。FMアンテナの設置。網戸の張り替え。押し入れ整理。物置整理。
水槽水替え。湯沸かし器掃除。やかん磨き。ブラインド洗い。洗濯機修理、掃除。トースター掃除。ガスレンジ掃除。自転車掃除。洋服掛け取り付け。扇風機取り付け。ビデオのブースター調整。蛍光燈取り付け。ワープロ掃除。風呂場の黴取り。嘉樹のタンスの修理。台所の壁掃除。換気扇洗い。家計簿作成。etc、etc、
気力との闘いの夏、一日何か一つを仕上げて行くことで、乗り切ろうとした今年の夏、蘇る時間と物達の輝き。何気ない物の中、何気ない一日の中にある掛け替えのなさの発見、無心にやり続けた。何かの目的の為ではなく、行為そのものの中に在るものの発見。行動する私とそれを味わう私。私の意識の存在化の夏だった。
八月二十二日
ベルクソンの意識と生命
物質とは瞬間的な精神である。
生命とは意識である。植物といえど意識が眠っているだけ。
意識とは記憶である。過去と未来を繋ぐかけ橋である。
脳は選択の機能をもつということ、意識とは選択と同義語。
物質とは惰性であり必然、生命とは自由であり創造的。
物質の爆発力を用いて、物質に貫入して、生命は存在してきた。
意識とは物質の一幅の絵である。何十億の振動と時間を、一瞬の中に封じ込める作用。
意識とは物質の力を引き出す作用。物質の歴史を圧縮し、要約して。
人間とは、対立する意識の分割支配者である。
生命は、物質の中に入り込むことによって進化する。
精神の定義とは、自分以上のものを自分から引き出す働きのこと。
自己による自己の創造者。
物質は障害であると同時に刺激である。
意識が物質を通過することによって、鋼鉄のように鍛えられ、いつの日にか物質と共に未来を生きる日が来る。
八月二十五日
何気ない日常を夢に見、その夢を私は夢の中で見ていた。とてもいい気持だった。日常が時々、そんな夢の中のような日がある。夏の一日、疲れて、光と木の葉とを私は寝ころんで見て過ごす。時空ということ、地球は、その日私を乗せ、何時間かかけて一回転する。太陽の周りを一度ほど移動する。時間と空間とを合わせた所を私は旅をしていく。自分という意識が、自分という意識に出会う旅、時空を夢の中のように、夏の一日を居ながらにして。
私の意識は私の身体を自由に出入りしている。朝起きて、歯を磨いて、顔を洗って、妻と子を送りだす。少し休んで、洗濯物を干して、片付けをして、ゴミを出す。嘗ての実感の乏しかった日常、繰り返される生活、私は夢の中で、そんな私を微笑ましく見ていた。疲れては眠り、起きては疲れ、夢の中から生活を見ていた。
九月三十日
僕はこの間、ずっと自分の感じていたことを君に伝えたいと思っていた。手紙じゃなくて、君の顔をみて、君と共有する形で伝えたいと、手紙ではそれだけのものと理解されそうで、手紙というのは、共通の感覚を伝え合うことは出来るけれど、新たに自分が感じているもの、その感じを分け合い、確かめ合おうと考えると、何て不自由な、うすぺらなものかと思えて、というのも、今僕が感じていることと、君に伝えたかったこととの問題でもあるのだけれど、言葉や文字は、感情を伝え合う道具ではあるけれど、この間の僕の感じたものを伝えようとする時、それはまだ僕の中で言葉を与えられていないような、言葉や文字にしたら、長くなり、時に嘘になっていくような感じなのだ、なにしろ、会って伝え、確かめたかった。不思議だね、この感じ、恋人同士が会いたい、会って確かめたいというのとも違う、自分の感じたものをもう一人の自分と共有したいという。もう一人の自分、心の中の、自我の自分ではなく、否も可も、僕の意志とは関係なく選択、行為する他人としての自分、それが君というわけなんだけれど、そういう存在として、君が今在ることが嬉しい。君と僕との関係、本当に不思議だ、絆という問題のような気がする、親子、夫婦とは違った、時の前で出会ったというか、存在の深淵を中立ちにして結びあった関係と表現しようか、ぴったりくる言葉がここでもないのだけれど、あの時、僕はもう一人の自分に出会った気がした、君と僕は高校時代から知りあっている、図書館での最初の出会い、道に座り、天津栗を食べながら話した。気が合い、いつ頃か共同生活もした。が、あの頃本当には出会っていなかった。僕も、君もそれぞれの時に出会ってはいたが、時を中立ちにして、君と僕が出会ってはいなかった。君はYさんを、僕はOさんをと、もう一人の自分ではなく、もう一人の他人を求めた。やがて訪れた失意の内にも、君と僕は出会わなかった。なのに、あの時、僕はもう一人の自分に出会ったのだった。あの時、僕は危うく、自分の過去を消してしまうところだった。君は僕の過去だったのに。時の前で出会ってはいなかったが、君は僕の時間を所有し、僕は君の時間を所有していた。絆とは、現在や未来ではなく、もう一人の自分が記憶している過去なのだった。変更不可能な、人に所有されている時間。僕は絆という物をこんな風に理解している。僕はやはりあの時から変化した気がする。自分の存在というものを絶えず意識するようになった。君は僕よりずっと以前から考えていたようだけれど、僕はもう一人の自分というものが、よく解らなくて、主体性とか、実存とか、自分の中の自分だけを問題にしていた。そんな時、君はただうつ向いていた。君には解っていたのだと思う。自分の存在意味が、この世界でもう一人の自分と出会うことの意味、私はもう一人の私においてしか存在できないという、自分が感じたものを、もう一人の自分と確かめ合う、もう一人の自分でないと確かめられないと云った。この存在意味にしても、時間、空間、永遠、様々な、人が理解を越える問題について、虚構を使って、名文をもって書き、表したとしても、存在させることが出来ない。もう一人の自分においてしか、確かめ、存在させられない。解るでしょう、この感じ。
誰かに話し、解る、解るよ、と言ってくれても、どこまで伝わり、どのように感じられているのか、僕の過去である君にしか、本当のところは伝わらない。君の顔、君の目、君の口を通してしか、確かめられない、実在させられない。これが、僕が最初に伝えたかったこと。
沈黙の世界ということ、以前書いたり、君にも語ったりしたことがあるけれど、言葉や文字では伝えられない、だいたいの感じは伝わるけれど、死は人にとって自明のことではあるけれど、一体それがどうだっていうんだ、と同じで、沈黙の認識にしたって、僕は、死の意識、沈黙の認識をとおして多くを学んでいる。死は、意識して解るものではないけれど、死を忘れないようにすることは出来る。病気以降、僕の生活は何気ないものなんだけれど、本質的に違ってきている。生き始めたと思える。君も癌で手術している。その上あの時の、自殺未遂まで、その二つの体験があって、僕と共通の感情があって、始めて解り合えると思えるのだけれど。理解というより、確かめ合うということかも知れないが、自分が消えるということ、かき抱きかき抱きしてきた自分というものが、妻や子が、人類が、それらが掛けがえのない多くの自分であるしても、自分にとっては、静まりかえった、無限の不思議が、沈黙がひろがっているばかり、自分は銀河の彼方、人々は地球上で、前も後ろも沈黙が支配している。支配しているのは沈黙ばかりと、消滅への不安、未だ私は何も存在していない、存在しかかったばかりで、消える訳にはいかない、いま少し、意味をみつけるまで待って欲しい、と言った意識のうろたえだった。先程、存在の深淵と言ったけど、それは割れ目のように、沈黙が口を開けているん所なんだ、日常の中で、意識の中で、その割れ目を覗いた時が、存在の深淵だと思う。沈黙がその割れ目を通して無限に拡がっている。考えていけば、全てが沈黙で蔽われて行く、石も木も、生きものも、地球も、存在は全て沈黙と繋がっている。
が、意識する自分の意識だけが、繋がっていない。漂っている。沈黙の上を、居場所を求めて、その時の恐怖、不安、自分とは一体何なんだとそれから僕は、時間というもの、空間というもの、存在というものを、僕の意識だけを頼りに考え続けた。そして、沈黙より生まれて、沈黙へ帰るということを、このあたり前のことを、やっと心安く受け入れることが出来た。畏敬をもって。これは、僕の観念や心象ではない。僕が、信仰のように、沈黙と繋がっていく感じなんだ。漂っていた意識が、居場所を見つけたような、包まれていく感じなんだ。この沈黙をある人は神と言うかもしれない、が、それは体系立てられたものではない、僕の、懐かしい、無量の、畏敬の、遥か昔、人の意識が、まだ存在のかけらの頃の、微かな思い出のようなものなんだ。僕は人が言う神を想像は出来ないけれど、この沈黙だけは想像出来る、神のように祈ることだって、人は、いつの日かきっと、はっきりと沈黙と繋がれる時が来ると思う。意識をもって、物質の中を、生き始める日が、意識とは沈黙の遊びのような気がするからこうしたことを言葉で話したって、書いたって駄目なんだよね、最初に僕が言ったように、君と手紙ではなく、何より共感したかったということ、一緒に想像する、何時間かを、その想像、思考で埋める作業を通してしか解り合えないものなんだね、本当にこうした感じ、気分は、誰でも経験があるような気がするけれど、絆がないと、時と場所が揃わないと、確かめられない。消えてしまう。僕にしたって、一日の内、何時間かをこうした沈黙との絆を確かめる時間に充てているから、連続しているのだけれど、立ちかえらなければ、喧噪にかき消されてしまうようなものなんだ。この立ち帰るということなんだけれど、この間、僕が日課のようにやり続けていることなんだ、疲れて横になる時、散歩する時、君も二度も死にかけた人間、解ると思うけど、自分が今、どこに所属しているかということ、今日、今、瞬間、昨日でも、明日でもない、今のこの瞬間に属している自分ということ、自分の死を思った時、それは明瞭だった、全ては今に属していることが、この今に属しているものは全て同じ価値だった、不自由な身体も、日常の様々な出来事も、この雑踏の街も、人との出会いも、優劣、高低などなく、かけがえのない自分の実在だった。今がどういうものか、今というものが失われようとしたとき、それは蘇った。今、この瞬間があることが、何よりの希望だった、明日がなくなったとしても、今の、この瞬間があることが。そうした今にとって、今に所属していることは全て価値だった。目的も、意味も問わない、今の属性である、その日常が最高のものだった。そうでしょう、解るでしょうこの感じ、疲れ、横になる時。夜、一人で散歩する時、特に感じる、今というものに包まれている自分の豊かさ、嬉しさ、今、この喫茶店、目の前の君、空間、物達、自分の意識、どれもこれも、在ることだけで嬉しい、この感情、君を目の前にして始めて伝えられる、僕の言葉の響き、目の色、顔の表情、それらを通して、君が信じてくれる、僕が確かにそう感じていると。僕は、一時の気分じゃなくて、意識を確かに存在させていると。何気ない日常の中に、自分の属しているこの時間と空間の中に、全てが含まれている、昨日でも明日でも、何かの中にでもなく、唯、この今の中に昔、喫茶店で、野原で、一人でボーツとする時間がとても気持ち良かった、あれに似ているんだ、何も所有せず、何も目的を持たず、ただ、今だけを所有していた、あのボーツとしていた感覚、また違った最近の感じなんだけど、何か毎日が夢のような感じがする。転移があったら、今頃は僕も必死に生きていたかも知れないが、君や、家族にも辛いものを与えていたかも知れないけれど、転移がなかった。これだけでも夢のようなんだけど、低血糖と貧血の意識で、人の何分の一かの体力で、沈黙と、瞬間と、それらに包まれ所属している自分というものを考えていると、元気に動き回っている人、犬、猫、外の物音、木々の葉のそよぎ、全てが夢の中の ような気がしてくる。ねえ、そうは思わない?人生は夢のようだと、今の中、今のこの空間の中に全てがあり、どんな出来事にも等しい価値があり、沈黙は 僕等に夢を見せてくれているんだと、沈黙に身を置いて世界を見ていると、夢のようだと。
十月一五日
人生は、本来は夢のようなものだと思う。花咲き、鳥が歌う、パラダイスとしての。見る私がいて、見られる私がいるのだから。見る私に立っていられる限り、絵や夢のように、否もっと確かなもののはず。夢の中の、脈絡のない動き、不確かな実在、頼り無さ、だが、目覚めた時の、あの確かさのように、私を見ていた、もう一人の私を知る。私に先立つ私が確かに在った事を。この私に先立つ私だけは、信じるに足るはずなのに。いつの日か、自我としての私だけを頼りとしてきた。あくまで、意識する私としての私だけを頼りとするようになってしまった。意識を伴わない私なぞ、存在しないのだと。私はあくまで、私に意識されてこそ私だと、見られる私だけを信じてきた。疑っても、疑っても、疑いきれない存在としての、見られる私だけを。傲慢に、不尊に、孤独に、空虚に、自我と、主体とを固めてだけきた。夢見る私のような、私に先立つ、意識されない私のことなぞ、想像しょうだにしなかった。病み、夢を見ているように、世界を眺めた時、初めて、突然に、私に先立つ私が想像できた。この先立つ私は、私が意識するとしないとに関わらず存在していたのだった。私が意識するその瞬間に、私に先立って在るからこそ私は意識するのだった。ただの肉体ではない、私に先立って、私をその瞬間において成立させている私が、反対に、私の消滅においても、私の意識の消滅のその瞬間を、見守り、確かめて後、やっと役目を果たす、私の意識に先立って在る私。この私に先立つ私、木や、石や、風や、あらゆる物たちのように、私に先立って在ったのだった。私の肉体、私に先立ってあるこの私。あらゆる存在と同じように、時間、空間を成立させている。木や、石や、風であるところの先立つ私、私の意識が、木や、石を、存在、を畏敬するように。私は私に於いて、沈黙と繋がり、時間、空間を支配していたのだった。私は沈黙と一体であり、私は存在と一体であり、私は絶対他者と一体である。私における絶対他者の認識。生命の奥底で結び合わされているゆるぎない絆。私は木に抱きつく、私は犬と話す、私は石と座る、私は風と舞う、私は水と流れる、私は空気と漂う、私に先立つ私、夢の中の世界のように、私を常に見守っているのだった。
十月二十日
絶対他者の認識、私を今のこの瞬間に生かしている、私に先立つもの、或は神、自然、宇宙、生命の歴史というものへの信頼けっして意識する私ではないところの、絶対他者への信頼の獲得、信仰の過程に、飛躍、超越が要求されるのは、この意識出来ないものを認識しなければならないところにあると思う。私ではない私への認識。が、死を引きよせる時、飛躍、超越を要求されることなく、自明のこととして、信仰のような、先立つ私への信頼を感じる。けっしてがむしゃらな生き方ではない。
むしろたん能して生きる生き方、味わう分だけ、蟻のようには働けない。死を引き付けている分だけ、死に耐えうる今日を持とうとする。生命の飢餓感からくる今日ではない。むしろ、死に裏うちされた、生命の充実感からくる、満たされた今日。その今日がこれで終わる、この今日がまた明日もあるというだけで、満たされた一日の終わり。そうした今日がある限り、明日も必ず巡ってくるという希望。ここには論理の飛躍はない。自然な私の感情。まだ準備していなかったのに、癌という死の宣告をされたことが、切っ掛けではあったが、その記憶がまだ色褪せないからかも知れないが、私はあの日より、準備を始めたのだった。準備を通してよく生きること、その時にあたって、待ってくれと嘆かぬよう。あの時より、蘇った今というものを低落させないために。癌のような経験がなくとも、在る満ち足りて在る今というものの証明を。私はレーニンのようには、物質からの解放をめざさない。私はイエスのようには、愛に生命を捧げない。矛盾は止揚することなく、在るがままの、量から質への自然な転換をめざして、核、地球汚染、飢餓、ファシズム、災害、etc、etc、絶対他者への深まりを通して、沈黙への想像をとおして、
十月二十二日
ニセアカシア、実を歩道に落としている
ヒヨドリ、口端を大きく開いて叫んでいる
猫、戯れて転がっている
看板屋の犬、瞑想している
キンモクセイ、夕暮れを漂っている
十月二十五日
木、日影を嘆いてはいない。意識がないからではない。意識は、陽を求めて、地を這うように幹を曲げている。存在を疑っていないのだ。存在に万感の信頼をおいている。
そして、生きるとは、自分を存在たらしめている法則に従って生きることと、日が照れば、気孔を開き、夜になれば、閉じる。結果として、今日も生きものたちに有機物を与えているのだった。
未踏7号 私への呼びかけ 1989 11