承章:第三十八幕:白き加護は誰が為にV
承章:第三十八幕:白き加護は誰が為にV
アスール村で目が覚めてから、二週間が経過した。
目が覚めた日、何故か酸味のような何かを帯びたシチューの臭いを纏ったディーネから現状、リュスからの伝言を受け、ミルフィとニナさん、ビルクァスさんからお叱りを受けた後、生まれたての小鹿のように足をプルプルさせていたアルフィーナが部屋に入ってきて話をした。
その中で、彼女が引き取った魔族<アンプラ>について話があり、ニナさんからは先のリュスとの決闘で得た魔族<アンプラ>について合わせて聞かされた。
「ミコト様がお救いになった者達は、今は私の元で生活の術を教えております。そして、今回アルフィーナ様がお引取りになった魔族の者は……、その……「欠けている者」達で、正直に申しまして私達も手を尽くすつもりでは居ますが、最悪の事態を考えておいていただけると助かります」
テーブルに腰掛、赤い髪を揺らしながら語るニナさんはそういうと一度頭を下げてきた。
アルフィーナは痺れから開放されたためか、壁に背を預け、いつもの鋭い目つきでニナさんを睨みつけていたが、そんな二人の間は必ずビルクァスさんが立ち、いざという時に備えていた。
「身体の方は勿論なのですが、心の欠落の方が大きいと言わざる得ません。……ルミア、あぁ……アルフィーナ様がお引取りになった魔族の中に居た比較的事情に明るかった者に聞きましたが、利き腕を落とされた者達は護るべき相手を失い、両下肢が欠けていた幼い者は……その、姉を亡くしたそうです……」
何故かそう語るニナさんが視線を彷徨わせている事を不思議に思うと、側に控えていたディーネが付け加えてくれた。
「どうやらこの三名が亡くした人というのが、ミコト様が「救えなかった」者だったようです」
そう言われ、真っ先に思い浮かべてしまったのが優しく微笑むイダさんだった。
それを解ってか、ディーネは否定を意味したいのか、言葉はなく首を振る。
「ニナから話を聞いてから、私も感じたが、確かに下肢のない者と、お前がリュスとの決闘で救えなかった者、似ているよ」
そう特に感情を込めず淡々と告げたアルフィーナの言葉で、話題に上がっている魔族達が誰を失ったのか理解した。
「ですので……その、謂れの無い想いを抱かれ、ミコト様に危害が及ぶのを私は望みませんし、このまま会わずにお過ごしになられた方が良いと思ったのですが……」
「いいえ!むしろ逆です!ミコト様なら、きっと解決してくださいます!」
「――と、そこにお控えのディーネ様に言われ、こうしてお話した次第です。私といたしましては、今は時間が必要にも思うのですが……」
苦笑して話してくたニナさんはどこか疲れているようにも見えた。
「いったい何を考えての事かわからないけど、僕にディーネが期待するような力はないよ」
「力など必要ありません。ミコト様がその者たちと会い、言の葉を交わし、どう行動するのか。たったそれだけで救われる、私はそう確信しています」
そう自信満々に言われ、こいつは僕がなんでも解決してくれるようなネコ型ロボットにでも見えているのだろうか?
「……会うだけは会うよ。でもそこから何か好転するとはとても思えないんだけど……」
――と、この時は本当にそう思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ご主人様、ご令妹様より言伝を預かって参りました。『早々に作業を切り上げないと、ガルムさんの髭を全て毟ります』との事です」
日が真上まで昇ったと思われる頃、ガルムさんの工房で作業をしていると、ここ最近聞きなれ始めたあまり感情の乗っていないような淡々とした声が聞こえた。
ちなみに、「ご令妹様」というのはミルフィの事だ。っていうか、全て髭を毟るって何ソレ怖い……ミルフィさんいつからメイドさんから、妖怪にジョブチェンジしたの?
しかも僕に直接の被害が出ないあたり、大して痛くも痒くもないが、眼前で炉から取り出した金属塊に大槌を振るっていたガルムさんは手が止まり、顔を青くしていた。
「ぼ、坊主。今日のところはこのくらいにしておかねーか?な?お、俺もほら、ちょっとこー……疲れてきたみたいで。迎えも来てんだし、飯にしようや。な?!」
何故かテキパキと作業を中断し、道具を片付けていくガルムさん。
日頃作業の延長申請はガルムさんからしてくるほど、仕事に熱心なのに、何故か髭が関わると、急に焦りだす。
「ご令妹様よりお話を聞いた事がありますが、なんでもガルム様は毎朝鏡の前で一時間近く髭の手入れをしているそうです」
え?ごめんなさい。その使い古されたデッキブラシみたいな毛先が整っていない髭は毎日丁寧に手入れされて「ソレ」なんですか…?
「おいこら!アル、カ……?か?――、ええいくそ、どっちだっていい!例え聞かされても、言わねぇのが情けってもんだろうが!テメェの「腕」二度と調整してやんねぇぞ!」
「ガルム様。例えご主人様が師事している相手であろうと、ご主人様より頂いた名前を違えられれば私も黙ってはおりません。……私は、「アルノ」です」
工房内にシャインと軽く金属が擦れあうような音が響き、視界には入っていないがアルノさんが腰に吊っていた剣でも抜いたのだろう。
「ま、待て!お前ら双子似てんだからしかたねーだろうが!――ちょ、ま!剣を抜くな!向けるな!お、おい坊主!止めろ!!」
「あ、僕奥に道具しまってきますね」
怒れる者に関わってこちらにも被害を被るなどごめんである。そもそも名前を間違えるのが悪い。
そうだよね?えーっと……、うん。「アルノ」さんだ。声は瓜二つだから違いがまるでわからない。
振り向いた先で機械とも取れる、右腕の義手でロングソードを握り、じりじりと壁際にガルムさんを追い込んでいくアルノさん。
潤んだ瞳で、助けを求める師匠ことガルムさんを放置して、道具置き場への戸に手をかける。
「ら、らめぇえぇぇぇぇえぇぇ――」
「……剪定です」
おっさんドワーフの悲鳴と、美女魔族の無慈悲な一言と共に放たれた斬撃により、デッキブラシのようだったガルムさんの髭は、何故かカイゼルに纏まっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「汚された……清い身体だったのに……」と何故か炉の隣で膝を抱えて丸くなっていたガルムさんを放置して、工房の外へ出ると日は真上から下がりつつある程度といった具合で、ミルフィが怒るのも無理は無いと思った。
「ご主人様、今日はご令妹様とアルカがしっぽ亭にて給仕を行っていますので、昼食はそちらになさいますか?」
後に続いて工房から出てきたアルノさん。
二週間前、ニナさんたちの話に出ていた魔族と面会した時、彼女達は何もかも諦めきっているような疲れた顔をしており、とても見ていられなかった。
そんな中、何故か二人の青髪、青い紋を持つ魔族の女性が、アルフィーナを視界に入れると、微かに熱が宿るのを見て取れた。
理由は後になって聞かされたが、アルフィーナの言葉により、多少なり生への執着が持てたのかとも思ったが、しばらくするとその瞳も自らの無くなった腕を確認すると、微かに宿っていた熱さえ儚く消えた。
そんな二人に腕を作ってあげたい。
そう思った頃には面会して早々、ガルムさんの工房を訪れ、設計に明け暮れ、霊銀を用いた金属繊維を作りこれを骨格としたフレームに纏わせ、擬似的な筋肉を再現。
あとは彼女達の魔力操作の錬度によって、霊銀が反応し、伸縮するといった具合だ。
最初は二人とも戸惑いつつも、徐々に動かせるようになってくると、その機械の腕で自らの頬を撫ぜ、いつの間にかそこに伝っていた雫を指先で捉え、感極まったのか泣き出した。
と、ここで終わる「はず」と思っていたのが早計だった。
彼女達は名を持っていない事をつげ、僕に名を貰いたいと言ってきた。右腕の無い姉にアルノ、左腕の無い妹にアルカと名を上げると、二人共何故か僕を「ご主人様」と呼びはじめた。
ちなみに彼女達の言葉は、元々イダさんとリアが二人で生活していた環境で育っていた分、僕やニナさん、博識なディーネ、アルフィーナには問題なかったが、周りの者に伝わらないために、ニナさんが事前に集めていたアリュテミランの涙を用いて日常会話を行っている。
言葉が伝わるようになってくると、何故か兄を取られた妹の心情からかミルフィが僕に対しそっけなくなり、アルノさん、アルカさんがその様子を見て首をかしげていた。
「お昼のピークも過ぎてるだろうし、そうしようか。……それで、アルノさん。腕の調子はどうですか?どこか違和感とかあったりしませんか?」
「特にはありません、というよりも、今はまだこの腕の癖を理解したくて、いろいろな作業で使わせて頂いてます」
「何かあれば些細な事でも仰ってください。可能な限り、調整してみますので」
「はい。……本当にどれだけ感謝の言葉を伝えても、満足できないほどの事をして下さいました。妹――、アルカも同じ想いです」
そう言葉にして、微笑む様はつい先日までいつ終わっても良い、と感じ取れた顔とは似ても似つかず、同一人物とはまるで思えない。
それでも、稀に何を考えているのか、どこか虚空を見つめ考えている時があるが、それを何かは聞かず、触れようともしない。それは時間が解決すべき事なんだと思うし、何より僕もまだ「同じ」だと思うから。
歩きだし、「兎のしっぽ亭」の前まで来ると、陽は下がりつつあるというのに、店内にはまだ活気があふれ、料理や微かに酒気を感じ取れる。
初めてココに訪れた時と違い、多くの亜人に、少しではあるが「人」が各々の席に、中には同じテーブル着き食事をしている。
僕が店内に入った事に気づいた一部の客は手に持つコップを掲げ、挨拶をしてくれたり、笑顔を向け、声をかけてくれる。そこには人も亜人も区別は無く、皆同じだ。
二週間ほど前に居た大都市ですら、こんな風景を見た事がないのに、こんな小さな村には確かにある。それが嬉しくもあり、悲しくもある。
「兄さん、遅いです!」
屋敷の給仕服のまま、店内を駆けまわっていた灰狼こと、ミルフィが下膳中の食器を持ち、怒気を露わに話しかけてくる。
眉も吊り上がり、怒っているのはわかるが、ミルフィさん?まずはその左右に振れている尾をなんとかしようか。怒っているのか嬉しいのか解らないから。
「いや、ほら、師匠と一緒で、作業に集中すると時間が、ね……。あっという間に過ぎていくんだよ。不思議だね」
「不思議なのは兄さんの頭の中です!ちゃんと決まった時間にしっかり食事を摂ってください!そういった乱れが、重なっていくと身体に良くないんですよ?!」
ミルフィさんや。あなたはいつからお母さんになったのでしょうか……?など、と口が裂けても言えず、ただ言われるがままになっていると、周囲からはクスクスと笑みがこぼれ、すぐ近くというか背後に立っていたアルノさんも口元に手を当て笑みをこぼしていた。
まぁニナさんの傍仕えをしている分、不調を兆すような行動を是としないのは解らないでもないし、人一倍気をつかっている部分なんだろう。
「ほら、ミルフィさん。早く「愛しのお兄さん」をいつもの席に案内してあげて?まだまだ忙しいんだから。愛を囁くならもっと人が居なくなってから、ね?」
「なっ!?ち、違いますからッ!べ、別にそういうッ!……お、お席にご案内します……」
急にミルフィが感情を殺したのには理由がある。
キーナさんだ。あの兎人族<ラヴィテイル>さんは、最近知ったのだが、笑顔が怖いのだ。普通に笑っている分には笑顔が素敵なのだが、怒っている時も笑顔になるタイプの人だ。
つまりは何か、日々の忙しさから少しお疲れモードでストレスでも溜まっているのだろう。そこに手伝いに来ている人が油を売れば、「笑顔」になるのはあたりまえ。
いつぞやも「兎に負かされる狼」の構図を見た気がするが、どうやらこの世界では獣人種における肉食種の上位性は無いのだと思われる。きっと。おそらく。……たぶん。
「ど、どうぞ。こちらの席にお座りください」
「あ、あぁ……ありがと、ミルフィ」
「……ご、ご注文は何になさいますか?」
なんだろうか、この。痴女白兎を怯えていた頃のミルフィを見ているようなデジャブ。
「……、なんでそんなにキーナさんが怖いの……?」
「……最近、ラスティルさんと一緒に、キーナさんまで私に変な服を……」
あぁ、察し。
「と、とりあえず、頑張って……ね?ミルフィ。注文はいつもので」
席に着いてからミルフィの灰色の頭に手を乗せ、二、三度撫ぜてやると完全に丸まっていた尾も再び伸び、左右に揺れ始める。
表情も明るくなり、一度頷いてから、厨房に消えていった。
「ご令妹様は頑張っておられますね。ニナ様から聞いた話では、ニナ様の傍仕えには給金を頂いておらず、本人も貰うのを拒否し、こうやって自ら労働に従事する事を選んでおられるとか」
「ニナさんは払いたいみたいだけど、ミルフィが「家族だから近くに居るのであって、仕事として近くに居るのではない」って言われたらしいよ」
「魔族を家族……ですか。この村での出来事は、本当に驚かされてばかりです」
そう口にして、己の機械の右腕見つめ微笑むアルノさん。その瞳は失い続けた先に見つけた、あるいは与えられた幸福を本当に慈しんでいるように見えた。
そして厨房から出てきたアルカさん。左腕が肩から無く、アルノさん同様の義手を装着しており、その腕には似つかわしくないバスケットを下げ、僕を視界に収めると微笑み近づいてきた。
「ご主人様、姉はご迷惑をおかけしていませんか?」
「おい、アルカ。私をいったいなんだと思っているんだ……」
「大雑把で、いい加減な素晴らしい姉だと思っております」
「どこに素晴らしい要素があるんだ……。お前だって気を抜くとすぐ眠りこけるだろうが……」
「休める時に休む、それが戦士としての必要な事だと思いますよ?姉さん。――ご主人様?いつでも傍仕えを専属にしてくださってかまいませんからね?姉よりも私の方がいいとおもいます」
そう言い、微笑むアルカさん。逆に後ろに控えているアルノさんはどこか不機嫌そうだ。
「それで、あの……、本来なら私達が持っていくべきなのでしょうが、「また」お願いしてもよろしいでしょうか……?」
「……いつから取りに来てないの?」
「フィリッツさんからは、昨夜遅くまで待っていたそうですが、結局取りに来なかったらしく、本日もお見えになっていません」
申し訳なさそうにアルカさんが口にして、カウンターには彼女が手に下げていたバスケットが置かれる。
中には金属容器に入れられ、熱が下がらないように工夫されたこの世界でいう所の保温容器が二つにパンが数種。
一人の一食分にしては十分な量だが、これを摂るべき相手が来ていない。それ故にアルカさんも困っているようだった。
本来ならそんな義理はなし、彼女自身も不要と言い、今回のように取りに来ないという結果になっているのだが、これらの食事はアルフィーナのために用意されたものだった。
彼女はこの村に初めて訪れた時同様、用事を済ませると早々に村の外へと出て行き、野営をしている。
僕が目を覚ましてからの二週間も全て外で過ごし、食事は携帯していた保存食のみ。村とはいえ、都市と都市を繋ぐ道にあるため宿場の数も少なからずあるのに利用を拒み、風雨さえ気にした様子もなく、木にもたれかかって寝ている。
そんな状態を良しとしなかったのは、この村に住まう「全員」でああったのは言うまでもないが、それでも彼女は首を縦にふらなかった。
「……アルカさん、今ミルフィが準備している料理、同じように包んでもらって良いかな?持って行って一緒に食べるよ」
「ありがとうございます。直ちに準備いたします」
そう言い残し、アルカさんは厨房へと消えていったが、背後に佇むアルノさんの不満顔は解消されていなかった。
「私は取りに来ないのであれば、届けるまでせずとも良いと思います。アレも旅には慣れているはずでしょうし、野営したくらいで体調を崩したりはしませんよ」
「そ、それだけの問題じゃないんだけどな……。ほら、ココが亜人種の住まう村だったとしても、都市を行き交う人達にとっては休める場にもなってるわけさ……。そんな人たちが外見だけでどこの誰かが解ってしまう程知名度の高い人間を村に入れずに外で野宿させているなんて事になったら、大変だろう?」
「解らなくもないですが……、そもそも何故あの女はこの村に入るのを拒むのですか?」
「……そればかりは直接本人に聞くしかないね」
そう言いつつ、以前アルフィーナが口にしていた「石」の話を思い出していた。
彼女の言う「石」はアルフィーナ自身が行った事への返しではなく、多くの「人」が行ってきた事に対しての返しだ。
村に住まう亜人のみんなが彼女をそういう「人」として見ているのは、嫌悪感からというよりも恐怖感からの方が多いように思う。
そしてアルフィーナも決して亜人だからと軽視しているわけでもない。
お互いがお互いを意識するあまり、離れすぎて関われずに終わる。そんな形に落ち着いてしまっているだけだ。
「……我々のせい、でしょうか?」
「いや、それは……」
無い、そう続けようとしたけれど、続けられなかった。
確かにアルフィーナのこの行動は、アルノさんの言う通り魔族<アンプラ>の影響が少なからずあった。
でもそれは嫌悪感や、恨みからくる物では決してない。というのも、この二週間、暇がある時に精霊の眼を借りてアルフィーナの行動を見ていた事があった。
そんな中、彼女はとある行動の回数が異常だった。『それ』が何を思っての行動なのか、同じ過ちを犯してしまった側にいると否応にもわかってしまう。
「何か、大事なお話し中でしたか?」
アルノさんに何と伝えるべきか悩んでいると、先ほどよりも一回り大きいバスケットを下げたアルカさんが帰ってきた。
「ああいや、大丈夫だよ。……ありがとう、アルカさん。それじゃあちょっと行ってくるから、アルノさんはココで待っててくれるかな?」
「……はい」
「アルノさん。アルフィーナはその……、いや僕が言うべき事じゃない、かな。とりあえず、アルノさんが考えているような事ではないので、安心してください」
そう言い、気づいた時にはアルノさんの頭に手を乗せ撫ぜていた。
最早完全に癖になりつつあるな……。ミルフィへの対応を、自分よりも身長の高く、大人びている彼女に行うのは少し抵抗があったが、微かに耳が動いているあたり嫌ではなさそうだった。




