承章:第三十六幕:白き加護は誰が為にIII
承章:第三十六幕:白き加護は誰が為にIII
いつだって眼が覚める時は、脳が働いていないせいか、考えがまとまらず、視界に納めた物もなぜか霞み、輪郭を取らえられずにしばらく見つめてしまう。
ココ最近、軟らかい寝床に縁が無かった分、自分の身が沈むほどの軟らかさを有する寝具に甘え、もう一度意識を手放そうとして、違和感を感じた。
間違っても、寝る前に寝具に横になった記憶も無ければ、この懐かしい微かに干した薬草の匂いがする寝具に。
意識を手放そうと瞼が閉じつつあったのに、たったそれだけで思考が鮮明になり、瞳に捕らえる世界が輪郭を浮き上がらせる。
いつかみた天蓋付きのベッドに、テーブルが一つ。椅子は二つあり、一つには見知った顔が腰掛け本を読んでいた。
「やっと起きたか。……痛みなどは無いか?」
いつから腰掛け居たのかは解らないが、心配そうにアルフィーナに問われ、遅れて全身に鋭く刺されたかのような痛みが走り、思わず声が漏れ、呼吸が止まる。
その様子を見て、アルフィーナが慌ててかけよると、身体を押され、そのままベッドに戻される。
どこか不安げに見える顔は、年相応なのだと改めて理解する。
「……体外に魔力を流そうとするな。身体強化も禁止だ。……今は身体を休めろ」
言われ、リアとの特訓。「無意識にでも魔力操作を出来るようにする」というのを課せられ、寝ている状況下でも魔力操作が途切れると叩き起こされたのを思い出す。
無意識にオンにしている事を、意識してオフにする事が意外と難しく、落ち着いた頃にはアルフィーナはクスクスと小さく笑っていた。
「お前、あれほどの事をしておいて、結構不器用なんだな。……安心したよ、お前に人間らしい所が見出せて」
「……な、何が楽しいの、か、解んないけど……、今どうなってる?」
「そうだな、お前がやった事は無事成功したよ。その眼で、いや、今は確認するのは止めておけ。またさっきみたいに痛みが生じられても困る。後で案内してやるから、今は休んでおけ」
まるで病気の子供が無理に起き上がろうとするのを止めさせる母親のように、優しく制され呆れたかのように苦笑する。
しばらく見つめていると、いつもと違う点が気になり始める。まず最初に眼を合わせると、そらされる。
頬には微かに朱がさし、何故か照れているかのようにも見える。恥らう乙女、そんな言葉が一瞬よぎるが、目の前に居るのは間違いなく「あの」アルフィーナである。
何かを言いかけ、口を閉ざし、また言いかけては止める。瞳が微かに潤み始め、やがて眼が伏せられる。
まるで告白前の乙女のような。
「い、一度しか――!「アルフィーナ、だよね?……ん?一度しか?何?」」
意を決したかのように口を開いたアルフィーナと完全にかぶってしまい、聞き返す。
聞き返す、が――。さっきまでの乙女モードはやはり気のせいだったらしく、いつもの氷点下だ。
一目見ただけで「美人だけど、性格きつそう」そう見て取れる。そんなアルフィーナだ。
でもなんでだろう。彼女の後ろにどす黒い何かが見えはじめ次第に大きく膨らんでいく。
やがて再び眼が交わされた時には、きつく睨まれると同時に腹に拳が突き刺さり、衝撃だけが身を襲う。
「死ね」
あ、はい。本人でした。この声、睨まれるだけで氷付くような視線。見間違うはずがありません。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
仕事の関係上。亜人種の方には良く合います。
というか、つい最近まで私の働き場は「亜人種専門店」のような物でした。
それがたった一人の青年を招いてから、フィル兄さんの考えが変わり、今では多くの人種の方も来店されます。
そしてその青年が教えてくれた料理、「兎肉の牛乳煮」は今では当店で一番の人気料理になっており、いつの間にかお昼時は私とフィル兄さんの二人では回せないほどの人で溢れるようになっていました。
キーナさんが……、いえキーナ義姉さんが手伝ってくれるようになり、お店もまわるようになって、忙しい時に来店した青年とその義妹はよく私が厨房に拉致するために、わざと時間をずらすようになり、なんとか仕事を手伝わせようと作戦を考えていた所で、青年はアプリールへと赴きました。
そして義妹は青年の事を思ってか、日に日に立派な尾が垂れ下がっていったのです。
しばらくして青年の現状がわかり、義妹が署名を集めている所に遭遇する事が多くなり、その甲斐あってか青年は帰ってきました。
帰ってきた、というか運ばれてきたらしいのですが。命に別状は無いらしいとの事ですが、青年のほかに二人の客人と、四人の魔族が一緒でした。
魔族のことは、村長の預かりとなり、二人の客人はいつも一人が青年の側につき、もう一人が街を散策している事が多くなり、青年が運び込まれてから五日目の今日。
眼前に漆黒のヴェールをたらし、表情が全く伺えないリンファ族の方が来店しました。
最初は不審者かとも思いましたが、リンファ族がどのような種族なのか遅れて思い出し、接客を行ったのです。
始めは何か珍しく感じたのか、キョロキョロと見えているのか見えていないのかわからないヴェールの奥の瞳で周囲を伺い、青年が教えてくれた料理を出すと、「こ、これが噂の!」とどこか驚きを隠せない台詞をもらしてから、匙を取り見事な所作でヴェールに触れずに口に運ばれました。
女性の私から見ても、見とれてしまう所作で、しばらく見つめていると盛り付けていた料理はいつの間にか無くなっており、慌てて食後のサービスに花茶を差し出すと、これも見事な佇まいで口にされました。
精錬されたその動きに感動して、また気付かないうちに見つめていると、
「でゅぶふぁッ!!」
という奇声と共に、ヴェールの奥から、どこかフローラルな白濁料理が飛来して、私は二度とこの人の正面に立たない事を硬く誓いました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アルフィーナに腹部を強打されてから、しばらくして、何故かディーネの大声が屋敷に木霊し、アルフィーナの表情が見る見る青ざめていく様は少し面白かった。
部屋から出て行ったアルフィーナとディーネとの会話をまとめると、振り下ろされた拳の痛みをちょうど食後だったディーネに襲い掛かり、胃に収めた物が全部口から出たそうな。
しかも場所が兎のしっぽ亭との事。昼時と言えば周りには他の客も居ただろうし、可哀想な事に吐しゃ物を正面に立っていた店員(女性)がもろに浴びてしまったらしい。
どっちが被害にあったのか解らないが、キーナさんなら後ほど謝罪すべきだろう。元はといえば僕の失言のせいだ。
もう一人の白い方の兎さんなら、まぁ。いいかな。
などと、自身の中でまとめていると控えめなノックと共に、給仕服に身を包んだミルフィがカートに乗せられた軽食と共に部屋へと入ってくる。
閉じていく扉の向こう側の廊下でアルフィーナが正座をしている様を見る限り、どうやら我がパーティーでの序列は一番上にディーネが来るらしい。
「賑やかですね」
そして件のミルフィさんは笑顔である。まごうことなき、笑顔である。
しかし、何かこう。弓形の眼の奥に、何かが燃え盛っているように見えるのは気のせいだろうか?
更に言えば、尾が立ち、時折蛇行している。これは確か、シェパードなどの狼に近しい犬種が行う、攻撃に移る直前の反応だ。
ステイ。ミルフィさん、ステイ。そのどこで覚えたのかさえ解らない掌の中にある火球をしまおう。今時分は身動き出来ないのでしゃれにならないです。
待て、落ち着け。僕。イージー……、イージー……。うん、きっと何かに対して怒ってる。
「……しょ、署名活動してくれたそうです、ね?あ、ありがとうございます。助かりました」
笑みが濃くなり、掌に収まっていた火球は収まりきらず、爛々と燃え盛り始めました。
「ま、待って!わ、解った!ドレスだよね?!勝手にミルフィの衣装を着てしまった事に怒ってるんだよね!?」
あ、違うわ。一時とはいえ、兄が姉になった事がショックだったわけじゃないらしい。
ていうか片手だった火球が倍ですよ、倍。両手に一個ずつです。増えてます、ええ。火の勢いもマシマシです。
どうやらこのお屋敷の火災報知器は揃って昼寝でもしているようです。
じわりじわりと接近し、ベッドの横まで来たミルフィさんは目を開き、身動きがとれない僕を見降ろし、否。
これは最早見下しているレベルではなかろうか……。お兄ちゃん、君をそんな子に育てた覚えはありませんよ?
「他に何か言いたいことは無いんですか?」
冷たい。いや、むしろ寝具が燃えるんじゃないかってくらい熱いんだけど、声がね。
熱いのに冷たいんです。フレイ○ードさんの気持ちが少し解った気がします。
――と、いうかですよ。さすがに卑怯ですよ。涙を流すのは。
「……ただいま」
降参だ。さすがに「恥ずかしいから言いにくい」などという理由で、義妹を泣かす義兄など居ないでしょうよ。
見降ろし……、見下していた瞳が微かに潤み始め、早々に白旗をあげてしまい、なおも悲鳴をあげている身体に鞭をうつ想いで、身体を起こし、ミルフィの頭に手を乗せ撫ぜる。
両手の熱源は消えうせ、結局ミルフィは涙を流してしまったが、あのままじらして泣かせた涙よりは、きっと暖かい物だろう。
もう一番大切な人に「ただいま」は伝えられないけど、こうやって「ただいま」を待ってくれる人が居るのは、何か悪くない……。




