承章:第三十三幕:最初の歪XIX
承章:第三十三幕:最初の歪XIX
ヴェザリアとの戦闘の後、未だ意識の戻らないアリアさんを回収してから、五人で歩みを進めやがて一つの大きな岩の前に到着した。
大きさにして高さ十メートル、幅5メートルといった所だろうか。色は中心が白く、外にむかって透明度が増している。
「大きな氷」、それが最初に思い浮かんだ。そして何より台座の上で微かに明暗を繰り返すそれは、一種の宝石のようで僕としては美しいとさえ思えたが、周囲の人間の表情から、それが良くない兆しなのである事だけは理解できた。
「リュス。……言いたく無いが――」
「解っています。文献による所の赤宝<ベルク>の暴走時と似ている反応です。……あの魔族<アンプラ>がいかにして暴走へと至らせたのか、その方法まではわかりませんが……」
魔族<アンプラ>という言葉がリュスの口から出ると、リュスの後ろに控えていたミゥさんの目が僕と捕らえ、すぐに逸らした。
「白宝<アリア>の暴走は私が知っている歴史を紐解いても、過去一度もない。リュス、何か知っているか?」
「――何も。アルフィーナ様なら知っているのでしょう?各宝珠の中で、白宝<アリア>は特に安定した状態にあった。赤宝<ベルク>や、青宝<シーラ>と違い『何にも使っていなかった』のですから」
リュスの言葉に、アルフィーナは首を振り、口を開く。
「リュス。私がこのアプリールに訪れた時、一つ不思議な現象を目にしてしまったんだ。何の事はない、ただ店先で地表から出ていた氷を触れたときだ。氷は一瞬にして液状化して、地面に広がった。……この意味が解るか?」
「……極稀に微細なヒビが幾重にも重なって、触れただけで破砕する氷もありますが、液状化をしたのですか?」
アルフィーナの問いかけにリュスは答えがわからなかったのか悩んでいたが、それも一瞬ですぐに何か思い当たったのか顔をあげた。
「まさか、貴女の破邪堅装<アーヴェリック>が反応したというのですか?!」
「リュスも知らない現象なのであれば、まず間違いないと思う。……お前の言うとおり、どの文献や資料を読んでも、最も安定した状態にあるのは白宝<アリア>だと記されているが、私はこの街を訪れ、その現象を見たとき間違いである事に気付いたよ。――負担はかかっていた。「常に」。あのアプリールが誇る城、アリアーゼ城を支えているのは大氷石。そして雪原都市と謳われる程の氷雪。その全てが白宝の魔力に起因する物だとすれば……」
「……暴走時にはその維持が出来なくなる……?――ッ!!ミゥ!この事を至急、クィンス様に報告しろ!それと雪狼騎士は全市民の誘導を行い、少しでも高い場所へ避難させろ!」
アルフィーナの返事を待たずして、己の答えで行動を起こし、ミゥさんに命令を下すリュス。
その命令を聞き入れたミゥさんは一度強く頷くと、来た道を疾駆する。
「アルフィーナ様、我々も至急非難しましょう!ここに居ては水没する可能性だってある!」
「落ち着け、リュス。見れば解る通り、まだわずかな猶予があるだろう。赤宝<ベルク>の暴走時には地表にいても確認できる程の明暗を繰り返し、周囲の魔術師には魔力酔いが起こるほどの高密度の魔力が放出されたと聞く。我々がココで息が出来ている時点で、まだ余裕はある」
「しかしッ!」
「それにまだ、試していない事だってある。――ミコト。アリアさんの容態はどうだ?」
唐突に話しかけられ、腕の中に抱いていた重さのないアリアさんを見つめると、今直意識は戻ってはいなかったが、顔色はどこか良くなっているようにも見えた。
「……まだ意識が戻っていない。表情はどこかさっきよりも穏やかには見える……けど、何か出来るような状況じゃないように思う」
「ミコト様?アリア様が本当に白宝<アリア>の内包する精霊であるとすれば、白宝に近づければ少なからず快復するのではないでしょうか?」
「そうだな……。何かしらの反応があれば、なお良いが……ミコト。アリアさんを台座に寝かせてくれ。それと言うまでも無いだろうが、何かアリアさんの身に起こればすぐに教えてくれ」
正直、確証の無い事をするのには抵抗があったが、ディーネの言うとおり、可断領域に居たときよりかは表情はいい。それは白宝と、アリアさんとの距離によるものだとするならば、確実に「良くなっている」と言える。
そしてアルフィーナ個人としての考えは既に「最悪」の状況にある今、少しでも好転する可能性を秘めている鍵を試さずには居られない。
そんな想いを感じ取ってしまう。
しかしもしこれが、もし。万が一にでも彼女、アリアさんを殺める行為だとすれば、僕は――、
「ミコト様。恐らくは大丈夫です。ミコト様にしか見えていない以上、精霊種である事は間違いありません。であれば、「個」としての強い自我を持つほどの強い精霊は同属性の魔力にあてられるとより活発化します。ですので、アルフィーナ様が仰る行動は決してアリア様の害にはならないはずです」
「……わかった」
否定する言葉がみつからず、ただアルフィーナとディーネの提案に乗る形となるのが、どこか焦りを感じる。
魔族<アンプラ>という存在を知らず、イダ達と関わり、学んだ時には既に遅く、大切な人を失う。
本当に自らの腕の中にいる人が、精霊であるという確証は無い。頬に紋<ウィスパ>を宿し、白い肌はイダを想起させる。
「何をしている、早くしろ」
一刻一秒が惜しい、と言っているかのような覇気を受け、アルフィーナの言葉に従い、白宝<アリア>の安置されている台座のすぐ近くにアリアさんを横にする。
そのまま様子を見ていると、彼女は大きく息を吸ってから、静かに眼を開き、僕と眼が会うと一瞬驚きはしたもののすぐに弱々しく微笑んでくれた。
そしてそのまま眠るように再び眼を閉じると、彼女の体が淡く光り始め、四肢の先から今までに何度も眼にしてきた精霊の姿、光の存在となって白宝<アリア>に吸われていくかのように、消えていく。
やがて身体が消え、残り頭部だけとなったとき、アリアさんの唇が何かを紡ぐが、聞きこえる事は無かった。
「……何か起きたようだな」
「あぁ……。身体が光になって、白宝<アリア>に吸収された。最後に何か言われたけど、わからなかったよ」
「きっとミコト様にお礼を言ったのでしょう」
だと良いな――。
そう口にしようとした時、変化が訪れた。皆が見上げる白宝<アリア>にではなく、リュスに。
より正確にはリュスの左手の小指にされていた白以外の色など一切無いシンプルな指輪だ。
まるで小さい砂が押し固められていた、とでも言いたいように押さえる力を失ったのか崩れ落ちていった。
そしてその粒子は風が吹いたわけでもないのに、空を走り、僕の周りの二周すると、離れて行きやがてある人物の左手の小指へと集まっていく。
アルフィーナだ。
彼女は驚きはしたものの、左手を方の高さまで持ってくると、白い風はその手へと集まり、そのままリュスの小指にはめられていた指輪と同じ物が生成される。
その様子を終始みていたリュスは肩をすくめ苦笑する。
「代変わり、ですか。……次代の寵愛を受けるのはアルフィーナ様のようですね」
リュスの言葉にアルフィーナ自身驚いているようで、己の手に出来た指輪をまじまじと見つめていた。
その指輪が、どこか記憶にひっかかっているのに、それが何なのか答えを見出せず、微かに苛立ちを覚えるが、少しは好転した、と見ていいのかもしれない。
「珍しいですね……。本来なら、代変わりは使い手の死によって起こる現象だと聞いていたのですが……」
「まぁ、私だってこんな現象、はじめて見ましたよ。しかし、私の指にあった物が今はアルフィーナ様の指にある。ソレが全てですから」
「代変わりっていうのは何?」
完全に意味が解っていない身としては、少しでも情報が欲しい。
「代変わりは七枝に選ばれている人間が死に……いえ、どうやら何かしらの理由で、宝珠からの影響を受けられなくなった状態にあたります。今の状況をお伝えするのであれば、リュス様からアルフィーナ様へ白宝の加護<リウィア>が移った。というわけです……。アルフィーナ様、お試しになっては?」
「……あぁ。――顕現<ゲイズ>」
アルフィーナのその言葉に指輪が一瞬輝くと、指から崩れ落ちたかと思ったら、一振りの白亜色をした剣が生成され、アルフィーナが手にするのを待つかのように宙に浮いていた。
それは先の戦いでアルフィーナが失った剣同様に、細く両刃を携えていたが、護拳の装飾は一切無く、シンプルな作りをしていた。
「……ん。悪くない」
アルフィーナはそのまま柄を握り、二度三度振ると空を切る音ともに、微かな残像を残す。
「アルフィーナ様?固有能力まではわかりませんか?」
「当たり前だろう。むしろこの非常時、リュスの手にあったほうがまだ使い道があったように思うのだが……」
「加護が移ってしまった以上、私でさえ白宝<アリア>に語りかける事など不可能ですからね。白宝に干渉できるようになったアルフィーナ様なら或いは何かしらの情報を聞きだせるかもしれません」
何故今なんだ?とアルフィーナ本人も理由がわかっていないようで、顔をしかめていたが、リュスの言葉に応じるように剣を握ると同時に生成された腰の鞘に剣を収め、白宝<アリア>へと向き直った。
「我が問いに答えろ、白宝<アリア>。今、貴方の置かれている状況を教えてくれ」
<解――。現在、我らが身体は小さき妖精の計らいにより、永年溜めていた<ナル>を放出するために寸刻の停止を余儀なくされた段階にある>
冷たく、どこか淡々としていた声音ではあったが、声質は女性のそれだった。
先ほどまで子供のようにはしゃいでいたアリアさんの声だとはおもいたくないのに、凛々しく対応してくれたのであればこの声音でもどこか納得ができる。
それにしてもまた解らない単語だ……。<ナル>、か。何度も話のこしをおりたくないのだが、一人だけ理解していないのは後になって聞きにくい。
「……<ナル>って言うのは何?」
アルフィーナが未だ、白宝と向き合って居たことに多少も疑問を抱いたが、好奇心が勝り、小声で隣に居たディーネに問う。
知ってて当たり前の事でも聞いてしまったのか、一瞬だけディーネが固まってしまったようにも見えたが、気のせいかもしれない。
「……何も無い、という意味です。本来、魔術を行使すると、体内から魔力が「押し出されます」。そうですね……、水桶を想像してください。その桶には蛇口も付いており、必要なとき、つまり魔術を使う時に栓が外れ、なかの水。つまりは魔力が流れ出ます。出力や負荷に応じて相応の口の広さを求められますが、その際にあるべき魔力を失ったスペースを<ナル>と呼ばれています――この<ナル>の回復は個体差が激しく、一瞬の人も居られれば、数日かかる人も居られて――」
彼女の話に集中しているあまり、アルフィーナの行動まで考えていなかった。
最初にアルフィーナの反応に気付けたのは言うまでも無く、ディーネであり、彼女は説明の途中で止め、ただ一点。アルフィーナへと顔を向けていた。
「……ミコト。何か聞こえたのか?」
<告――。我らが声は今は主にしか聞こえていない。本来であれば我らが寵愛を得た者も聞こえるのだが、そちらに割き分ける程の余裕が今は無い>
アルフィーナの顔からは「またお前か」とでも言いたげなどこか諦めの混じった顔つきではあるが、状況から察するに、僕にだけ見えていたアリアさんと思しき声は、恐らくは僕だけにしか聞こえていないのだろう。
頼んでもいないのに、そうアリアさんが語っている以上、信憑性が高い。
「……アルフィーナの問いに対して、「永年溜めていた<ナル>を放出するために、少しの間停止を余儀なくされた」と、返事があったよ。あと「本来ならアルフィーナにも聞こえるはずの声はそっちに割く余裕がない」らしい」
アルフィーナの問いに答えたにも関わらず、眼は鋭さを増す一方で、普段からキツイ眼をさらに鋭くされるとさすがに怖いです。
「まぁ良い……。私が質問をする。お前は白宝<アリア>の返事を教えろ」
「わかった」
「白宝<アリア>、停止するとの事だが、それは今現在維持しているである多量の氷雪、氷石の維持が出来なくなる、という意味であっているか?」
<解――。正しい認識である。我らの計算が正しければ、我らを囲うこの都市全てを洗い流すほどの濁流となるのは間違いないだろう>
アルフィーナにとって解りきった答えだったのだろう。彼女に頷いてみせるだけで、小さくため息をついた。
「止める手立ては何かあるか?」
<解――。我らだけでは最早止められない。現状を維持するためだけに能力の殆どを費やしている。それも持ってあと一時間が限界だろう>
「……現状を維持するだけで手一杯で、あと一時間が限界らしい」
「リュス、その時間内に避難は可能か?」
「不可能です。その時間では都民の八割以上が都市内に残る事になります……」
リュスの返答に小さく舌打ちをしたアルフィーナは苛立ちを隠そうともしていなかった。返答したリュスも先ほどまでの焦りは微かに残っているものの、どう対応すべきなのかを自らに問うているようで、不安を抱えながらも熟考している様子が伺える。
目の前に迫りつつある災害。止める手立てが無く、逃げる猶予も無い。
そんな中、民を守るべき立場にある二人が苛立ち、焦り、不安になる気持ちは当然の事だと思う。
だからこそ曖昧な答えを見出せず、確実な答えを選び、後になって後悔する。
「……リュス。「人」に限った話をしよう。……何割避難できる」
「そ、それは……。……アプリールを維持していく上で主だった人員は確実に避難できます……。後は一部の都民も避難は可能でしょうが……全体の三割……「人」に限った話で言えば五割にも満たないかと……」
アルフィーナが何を言ったのか理解したくなかった。
またソレに返答をするリュスの瞳が微かに揺れ、僕を捉えたのはかつて彼と交わした約定が原因だろう。
『この答えを容認していいのか』と。『かつて亜人種への対応に怒りを覚えた君が許していい答えなのか』と。
「被害を最小限に抑えるためにはしかたのない事だ。切り捨てる他あるまい」
「……しかし、アルフィーナ様!」
「こうやって問答している間にも時間は無くなり続ける。これ以上に確実な方法があるのなら今すぐ提示してみせろ」
アルフィーナの眼に宿り、リュスを睨みつけている何かは、苛立ちか、焦りか、不安か。ソレが何なのか分からなかったが、揺れている。
何処までも冷淡に振舞って見せても、最善ではない、確実を選ばなければならない立場にある答えに、本人が納得していないようだった。
リュスは何かあるのでは、と己の中で問答している様子ではあったが、やがて肩を落とし「……わかりました」と小さく口にした。
「……良いな?」
リュスが否応無く納得したのを見て、その銀の瞳が二人から離れた位置に居た僕とディーネを捉え、問うてきた。
ディーネは答える事無く、僕の答えを待っているようで、その視線を軽く受け流している。
アルフィーナの瞳を見つめ返した時、やはり彼女の中にある感情が読み取れなかったが、ただ一つ解った事は彼女自身も納得できていない答え。
だからほんの微かに期待を孕んでいるように感じる。
だからこそ、応じる他無かった。
「…………任せるよ」
イダと同じ紋を刻んだ頬が微かにゆれ、僕の口から出た答えにアルフィーナは期待していた物と違う事に落胆したのか、僅かな時間瞑目した。
「……行くぞ、リュス。お前は先に出て行ったミゥと連絡を取って、騎士団をまとめろ。後に要人にのみこの事を伝え、避難に備えてもらえ」
「わかりました!」
二人が勢い良く、走り出し戦闘の跡を超え、扉を出て、背中が見えなくなり、なぜか安堵してしまいため息が出る。
「……それで、どうするおつもりなのですか?ミコト様」
まるで僕がどうするつもりなのか、最初から知っているとでもいいたそうな口ぶりで、隣に残ったディーネを見つめ返し、感情なんて全く載せていないヴェールが揺れる。
それでもそんな彼女のスタンスとでも言うべきか、何があっても味方になってくれそうな雰囲気はとてもありがたいし、力になる。
だから僕が思っている「確実」な答えを小さく口にすると、返答はディーネからではなく、ココに居るもう「一人」からあった。
<解――。可能である。>




