承章:第二十六幕:最初の歪XII
承章:第二十六幕:最初の歪XII
可断領域。
七宝が有する、侵入者を排除する事が出来る領域の事で、各々効果や範囲は違えど、何れも「死地」として認識される。
そもそも七宝には明確な「意志」が存在し、七枝と呼ばれる英雄達にその旨伝える、と言われ可断領域に侵入した輩を排除する任も帯びているらしい。
私が、かつてアルディニアに居た時に働かされていた、赤宝<ベルク>の可断領域は赤宝へと至る道全てを覆う一つの迷宮であり、中心に至ればその赤宝の熱に近づくために上昇する。
私達が火守り女として働いていた場所は、そんな赤宝の直ぐ傍で世界で最も「熱い」場所として知られている。
今でも、眼を瞑ればあの時の風景が思いだせる。
色は赤と、橙と、黄。その全てが光と熱をおび、直視することを妨げる。
触ろうものなら、一瞬にして皮膚が爛れ、誰しも見ないよう、触れないように過ごす。
中にはその労苦に耐えかね、自らを「蒔」とする輩も見てきた。そしてその断末魔の叫びは一度聞いて以来、耳を離れなかった。
今、こうやってニナ様の傍で普通に過ごせている私は、あの頃の私から言わせればありえない事なのかもしれない。
ニナ様と出会い、アスール村へ移り住み、同じ亜人種に囲まれて、笑い会える人と知り合え、……好きな人を有した。
その人は私にとって、陽だまりのような人で、とても強く、優しく、そして……とても儚い人。その人が心折れそうな時、支えられるよう、傍に居られるよう。
強くなりたい――。
「――フィ?……聞いていますか?」
「えっあっ………。――その……」
私は、周囲を本棚で埋め尽くされた一室でテーブルに着き、分厚い本のページをめくっていた手を止め、声がした方を振り返ると、そこには扉があり、ニナ様が立っていた。
「ミルフィ?禁書庫への出入りは、私を同伴するよう申し付けていたはずですが?」
「……申し訳ございません、ニナ様……。その……、まだ本調子では無い様に感じまして……、夜でしたし、起こすのは悪いかな、と思いまして……」
意識している訳ではないのだが、これも獣人種の性なのだろう。
なぜか、「叱られている」と解ると、耳がペタンと折れ、尾が小さく折れ曲がる。
そんな中、ニナ様よりいただいた、魔霊銀<ハイ・ミスリル>のピアスが髪留めに触れ、キンと小さく音を立てる。
その音が、まるで「それでいいのか?」と言い聞かせているようで、私は耳だけはいつものようにピンと立て、主の怒号に備えた。
「全く……。ビルクァスに始まって、ガルム、次はミルフィですか……。一体、どれだけ周りを巻き込まれるおつもりなのでしょうね、彼の騎士は……」
「申し訳ございません……。どのような罰でもお受けしますので、どうか私の願い……。おにぃ……大切な人の傍に居られるよう、私に知識を与えると仰ったあの約束だけは反故にしないで下さい」
「そんな真摯な貴女に罰を与えたら、私が彼の騎士に責められます。……ですが、そうですね、何か一つ罰を、選べるのであればぁ……」
ニナ様は扉から離れ、私が使っていたテーブルに備えられている椅子を一つ出すと、そこに腰掛、その脚に手をポンポンと二度叩き、何かを促してくる。
「座りなさい。私が読み聞かせましょう。……夜眠る事を拒む悪い子に本を読み聞かせるのは、世の「母」の務めである、とまだ日の浅い成り立ての「私」でも理解している事ですから」
卑怯だ。そんな言い方されたら、逆らえない。
でも、「ニナ様」が収集した魔道書の中には確かに開いただけで、精神を汚染される物があると聞く。
それにゆえに、入室の際には必ずニナ様に傍に居てもらうという約束を課せられた。
それを最初に反古にしたのは私であり、「ニナ様」の罰は受けなければならない。
嬉しいわけじゃない。これは主からの罰であり、私に苦難を強いる物だ。
――だから、きっと。これは獣人種の性であって、左右に揺れ動く尾を私の意志では止める事が出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……デュウェス・フェル……」
降り注ぐ氷塊の嵐をかわしつつ、キーナさんを救った時に聞こえた言葉を静かに口する。
すると、視界の隅で時折見かけた光源、精霊が群れとなし、形を変える。
最初の一回目から、何かを明確にイメージしたつもりは無いが、形は決まって三叉槍。
ココまで来ると、誰の目にも見えるらしく、銀の剣で降り注ぐ氷塊を破砕していたアルフィーナも、紙一重で最小限の動きのみで避け続けていたディーネも、目の前の光景に微かに動きが止まる。
説明している暇も無く、ただこの状況を好転させようと、ディーネの提案に直ぐに乗ってしまったが、一つ疑問が生じた。
なぜ彼女は僕が精霊の槍<エピルフィア>を放てるのか知っているのか、という疑問。
かつて僕の存在をしった魔物<ディアブロ>、ミーミクリーを逃がした時、イダは薄れ行く意識の中で狼狽した。
それは僕と言う存在が、「誰かに知られる」事を恐れていたように思う。それ故に「ミーミクリーの後を追え」と強く言われた。
ではディーネは、誰から、その隠された事を知ったのか。
ミーミクリーは、帰宅途中のリアが屠ったと聞いた。無論、道中で誰かに情報を流した後に、リアに屠られた可能性だってある。あるが……、なぜか違う気がした。
じゃあ誰からその情報を知ったのか。
イダ本人から?ありえない。彼女はイダには会えていないと言った。
ティルノ・クルンにて再会したリアから?可能性はゼロじゃない。むしろ異世界人であるという話はリアから聞かされているらしい。その延長で語った可能性だってあるがイダが僕の存在を隠匿させようとしていたのはリアも知っている。それを曲げてまで言うのだろうか。
ニナさんから?イダをミーミクリーの手から助け出した時に使った槍は、ニナさんどころか、ミルフィにさえ見られていたらしい。そこから僕という存在を知って、ディーネをアスール村に預けた時に聞かされた可能性だってある。
もしくは…………。
まとまりきっていない思考の中、ディーネを見つめると、一向に放たれる事の無い槍に疑問でも生じたのだろう、彼女と目が合ってしまい、直後ディーネの頭上から降り注ぐ氷塊に彼女の反応が送れ、顔を掠める。
風圧に巻かれ、めくれ上がる漆黒のヴェールに、一瞬だけ、彼女の頬が除き見え、そこにある「べきはずの物」が無い事を確信して、最後の可能性を脳内から追いやる。
そして腕に抱くアリアさんを左腕だけで抱き寄せ、立たせてから、皆にとっての前、であり僕らにとっての進むべき方向へ、一振りの槍を投げようと右手を構える。
握られていく掌に、柄の感触を感じ、投擲の溜めを作ると、最後の言葉を口にする。
「……アディッ・レイアッ!」
放たれた槍は、周囲に風を生み、誰しもその風に抗おうとして、姿勢を整えた。
その中で、再度ディーネを見つめると、先ほど同様に風で彼女のヴェールが巻き上がり、再び頬を覗かせる。
そこにはやはり「何も無く」、最後の可能性。
身長や、肌の色、髪の色、声音。雰囲気。その全てが違う彼女にずっと抱いていた思い。
ディーネ自身が、イダなのではないか、という淡い期待が崩れ落ちた。
そして、みんなの前で放たれた槍は見えない「何か」に当たり、一瞬だけその威力を殺したが、幾重にも重なった硝子を割るような音が聞こえ、遙前方に見える白い扉に突き刺さってもなお余りある威力で、まるで鐘でも鳴らすかのような音と共に、その扉を開いて見せた。




