承章:第十八幕:最初の歪IV
承章:第十八幕:最初の歪IV
首筋に刃を添えられた男は、微かに歯を鳴らし、己の発言を後悔したのか、完全に血の気が失せていた。
それでも、刃を添えている本人は一向に離すつもりもなく、表情が伺えない事が更に拍車をかけ、男の表情を青く染める。
「話が進まないだろ、ディーネ。……「お前までも」暴走するな」
荒事にはむしろ成れているのだろう。どこか落ち着いた様子で、隣に腰掛けていたアルフィーナがディーネに声をかけるが、彼女は一向に刃を納めるつもりもなく、ただその場に立っていた。
その様子を見て、アルフィーナもただ肩をすくめるだけで、「お前からも言ってやれ」と眼で語られ、それに応じる。
「えっと……、ディーネさん。僕なら平気ですから、戻ってきてくれませんか?」
微かに、彼女のヴェールが上下に揺れ、男の首筋に添えられていた曲刀を鞘へと戻すと、張り詰めた緊張が解けたためか、男の脚から力が抜けたようにして椅子に腰を落とす。
その様子をディーネはただ見つめ、否。見下しているのだろうか、数秒の間を置いてから、僕らが座っているテーブルへと戻り、隣の椅子に腰掛ける。
丁寧な口調で、優しい面しか見てこなかった分、彼女の突拍子もない行動に若干引いていたが、彼女が僕の為にとった行動に、どう返事をしていいのか悩んでいると、初めてこの世界に来た時に、イダがリアに言った言葉を思い出し、同じように口にした。
「「僕のため」という理由で人を傷つけたり、殺めたりしないでください。貴女が罪をかぶる事を望んでいませんから」
「……それは命令ですか?」
「そう言えば、ディーネさんは絶対に従ってくれるのですか?」
僕の問いに彼女は熟考を要したようで、数秒の間を置いて――首を振る。
「従いかねます。……「ある程度」は我慢が出来るかもしれませんが、絶対の保障はありません」
たかだか一人の暴言で、あそこまで箍が外れた以上、その我慢の限界がかなり低い事をにおわせる。
「……だったら「願い」です。ささやかな」
そう言い、隣に腰掛けた彼女の手を取り、互いの小指を絡める。
最初は手に力が入っていたが、小指を絡めてからは自然と落ち着いた様子で、ことの成り行きを見守るようにしていた。
「僕が居た世界でやる、簡単な約束事の時に使います。こうやって指を交わし、後に離す事で約束を交わした事になります。この約束を破ったら……縫い針を千本飲まなくちゃいけないので、絶対に守ってくださいね?」
児戯にも等しいそれを、ディーネはただ己の手の力を抜き、されるがままとなっていた。
こういうとき、彼女がどんな表情をしているのか気になり、顔を見るがそこにはただヴェールがあるだけで、表情が伺えず少しだけ悲しい。
「んっん!」
しばらくそうしていると、「誰か」の咳払いが聞こえ、慌てて指を離す。
離された指をディーネが見つめているように見えたのは気のせいではないはずだが、不機嫌真っ盛りのコッチのレディもなんとかしなくては。
「……話を戻したいんだが?」
「ど、どうぞ!」
「ったく……」
そう唇を尖らせるが、落とした視線は自身小指に注がれているのだろう。そして、未だ交わっていた小指を見つめているディーネは放置する。
「今回、この白宝<アリア>が何故暴走に至ったかは解らないし、そもそも本当に暴走しているのかさえ解らない、が……厄介な事には変わらない」
「アルフィーナの旅は……その、魔王の討伐、もしくは再封印なんだろ?白宝<アリア>の暴走と何か関係があるのか?」
「……暗黒大陸に行くには各都市の宝珠全てに謁見する必要がある」
そう言われ、いまいちピンと来ないのだが、話を聞いた限りはその都市が都市たる所以ともいえるような効果を発揮しているのだろう。
であれば、一つの疑問が浮かび上がる。
「……そう簡単に謁見できる物なの?」
「不可能だ。……本来なら、な」
「……つまり、非常時である「今」なら、謁見も可能だ、とそう言いたいの?」
「あぁ」
「……危険は?」
「有るに決まっている。……お前が知っているか解らないが、五年前の赤宝<ベルク>の暴走時にはアルディニアの都市、六割が一瞬にして焦土と化した。事前に避難が済んでいたとは言え、多くの亜人種奴隷が火守り女として、赤宝<ベルク>の暴走による被害を真っ先に受けて死んだよ」
避難が済んでいた。それなのに被害が出た。亜人種の奴隷達が。
いつだったか、ミルフィからそれとなく聞いた事があったが、改めて聞かされると、胸が締め付けられる。
「今回暴走を迎えているのは白宝<アリア>だ。……私が知る限り、白宝<アリア>の暴走はその歴史に残っていない、初めてのことだ」
「……どうなると思う?」
「さてな。……ただ、このメニューにもあるとおり、寒冷地で育つ動植物が激減している様を見ると、白宝<アリア>の暴走は、恐らくその冷気を失う事なのではないか?」
「あくまでも仮説だがな」と苦笑しながら、付け加えるとアルフィーナは手を挙げ、酒場の店員を呼び寄せる。
そしてそのまま、僕に振り返ると、言葉を続けた。
「……アプリールには現在大小無数の氷雪が存在している。その上に居を構える者も多くない。アリアーゼ城がその最もたるものだろう。だがな、その全てが自然発生したものではない。全てが白宝<アリア>の魔力を帯びて生成された物だ」
アリアーゼ城。アプリールの中央に位置する、大氷塊の上に建てられていた城。
「……徐々に冷気を失っていくのであればまだ良い。どのような被害が、どの様にして訪れるか解らない今において、お前はどう評価する?」
しばらくして、粗野な給仕服を着た女性が訪れ、三人分の水の入ったコップをテーブルに置き、去って行く。
アルフィーナはそのうち、一つのコップを手に取り、先ほど描いていた円があった場所、その最北部にコップを置く。
そして、
「私はな、コレが最悪の例として考えているんだよ」
アルフィーナはそう言うと、指でコップの縁を弾き、勢い良くコップから注がれていた水がこぼれる。
その水はアルフィーナが指で描いていた円の上半分を浸し、その中には僕がイダと暮らした白の森があり、思い出の地として捕らえるよりも先に、真っ先にその円の中にある、水浸しとなるであろう村を思い描く。
僕がどのような顔をしているのか、想像するのは容易い。アルフィーナの顔をみればそれが手に取るように解る。
「……どうする?――「精霊騎士」?」
その言葉に、僕は――。




